日本最大級の洋書専門店で、注目の未翻訳本を探す
「読書の秋」に手を引かれて、東京・新宿にある洋書専門店〈Books Kinokuniya Tokyo〉を矢倉喬士さんと散策。おすすめの洋書を紹介してもらった。書店に入ってまず矢倉さんが足を止めたのは、文学賞候補作や話題作などが並ぶ新刊コーナー。
「アメリカで“いま読まれている”作品がちゃんと並んでますね。今年話題になっている作品はかなりの程度手に入るような品揃えになっていると思います」
このC Pam Zhangの『LAND OF MILK AND HONEY』は、まだ日本での翻訳はありませんが、今日お店にあれば買いたいと思っていた作品です。有毒スモッグが世界を覆い、農作物は枯れ、食用動物の多くが死に絶えるのですが、なぜか汚染を免れているらしいイタリアの山奥のカルト的コミュニティで、失われたはずの食材を使った料理をふるまうシェフの話です。設定だけでも面白そうです」
新刊コーナーの中心には、アメリカで最も権威のある文学賞のひとつである「全米図書賞」のノミネート作品も並ぶ。2023年度は11月25日に受賞作が発表されるが、矢倉さんが「今年一番注目しているのはこれです」と手に取ったのが、ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤーの『Chain-Gang All-Stars』。BLM運動の文脈とも連動して日本でも多くの人に読まれた『フライデー・ブラック』(駒草出版)の著者による長編デビュー作だ。
「『Chain-Gang All-Stars』は、前作の『フライデー・ブラック』を正統に進化させた内容だと思います。人種差別などの社会問題をSF的飛躍や皮肉なユーモアを交えて描く作家で、本作では架空の未来を舞台に、受刑者たちが剣闘士としてチームを組んで参加できるデスマッチの様子が描かれます。たいていの囚人剣闘士はすぐに殺されてしまいますが、勝ち残り続ければ自由を得られます。
人種差別と大量投獄の問題を抱えたアメリカの刑務所制度を、企業が資金を投入してファンたちが熱狂する囚人闘技場・リアリティショーとして提示するユニークな作品です。人種差別とは、アメリカが誇るエンターテインメント事業である、という風刺が効いています」
続いて、「これはオバマ政権時代を代表するヒット作だと思います」と教えてくれたのが、2015年に刊行されたハニヤ・ヤナギハラの『A Little Life』。
「オバマ政権時代には、“オートフィクション(自伝的物語)”や“メリトクラシー(学歴や能力主義)の敗北小説”“歴史小説”“トラウマ小説”という種類の作品が多く生まれる傾向があったと批評家のクリスチャン・ロレンツェンが整理したのですが、『A Little Life』はメリトクラシーの限界を示唆しつつ、トラウマ小説の王と呼べるほどトラウマの要素を突き詰めた小説でした。
爽快感とは真逆の、鬱々としていて哀しい、負の突き抜けた感情が迫ってきます。黒人大統領の誕生で、もはやすべての問題は解決されたという幻想すらあった当時のアメリカでは、社会問題よりも個人の問題にフォーカスした物語が力を発揮する土壌があったのかもしれません。それはある意味で贅沢な時間だったと、ロレンツェンは指摘しています」
洋書の中には、未翻訳であることが強く魅力を放つ作品もある。Harmony Beckerによる、日本のシェアハウスを舞台にしたグラフィックノベル『Himawari House』だ。特に、最初に洋書を手に取るには打ってつけだというポイントも。
「留学で日本に来た日系アメリカ人ナオと、韓国出身のヘジョンと、シンガポール出身のティナが、日本のシェアハウスで共同生活する話です。特にこの作品が目新しくて面白いのは、英語の発言は英語で、韓国語の発言は韓国語で、日本語の発言は日本語でそのまま記載されていること。
どれかの言語に統一するのではなく、それぞれの話者の言語を活かした表現になっているんです。それに、シングリッシュやジャパングリッシュという言葉があるように、英語のなかにも様々な差異があるわけですが、この本はそうした複数の英語の差異を消去することなく提示できていて、それが物語の展開にも影響するところが素晴らしいです。
この作品は日本を舞台にしていて日本語の会話も多く、韓国語や日本語には英語の字幕が添えられているようなものですから、対訳つきの語学教材のようにも使えます。少女マンガ的な恋愛要素や留学生たちが直面する差別なども描かれていて、ストーリー的にも身近に感じられると思います。
この作品は逆に、日本語に翻訳してしまうと作品の魅力が損なわれてしまうかもしれませんし、そもそも原作自体が作品内で既に翻訳を行っているような不思議な作品です。ある言語で書かれた作品を別の言語に翻訳するのではなく、複数の言語が作品内に共存していて、作品自体が翻訳を行っている。
本当のグローバル化時代の作品ってこういうことなんじゃないでしょうか。創作者、翻訳者、読者の意識を変えてしまうような一冊です。これからこの作品を誰かが翻訳するのではなくて、この作品単体で翻訳賞に値すると思っています」
〈Books Kinokuniya Tokyo〉で見つけた注目の未翻訳本4冊
初心者が洋書を選ぶときのポイントとは?
矢倉さんが初めて洋書を読んだのは、高校3年生のときだったという。友人が『ハリー・ポッター』の原書を読んでいるのを目にして、カッコいいと思うと同時に自分もやってみようと火が付いた。そこで最初に手にしたのが、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』。「Graded Readers」と呼ばれる、レベル別で語彙や文法の難易度が調整された英語学習者向けの本から入った。
「初めて洋書を読むって、かなり体力が必要だと思うんです。読み切れなくて挫折してしまう人も多い。だから最初は、とにかく“最後まで読み切る”成功体験を得ることが大事だと思います。日本語が登場することも多い『Himawari House』のような作品や「Graded Readers」で簡単なレベルから初めて、徐々に自転車の補助輪を外すようにステップアップしていくのがいいのかなと」
また、初めて洋書を選ぶときに大事になるのは、興味を持続させられる作品であることだという。
「例えば、ブラッド・ピットがタイラー・ダーデンという鮮烈な役を演じた『ファイト・クラブ』という映画には、実は続編があって。それは日本未翻訳のグラフィックノベルでしか読めないんです。そういった、“続きが知りたいなら原書を読むしかない”という状態に身を置かれると、必然的に日本語以外の言語を使うしかないですよね。
村上春樹さんも過去に、『前半を日本語訳バージョンで読み、続きが気になる状態で原書に切り替えるのがいい』といったような英語の勉強法を提案していましたが、これも同じ要領ですね。他人から薦められる本ではなくて、自分が知りたいと思うものを他の言語に切り替えるという方法を試してみてください」
矢倉さんが語る、さらに深いアメリカ文学の現在地
日本未翻訳で矢倉さんが「ぜひ読んでほしい」と教えてくれた本はまだまだたくさん。近年のアメリカ文化を知る上で欠かせない「人種差別」と「ドラッグ」について書かれた2冊の
専門書をレコメンドしてくれた。
「2020年に刊行された『From Here to Equality』は、1865年に奴隷制が廃止されて以降も白人と黒人の不平等が続いている現状について、どれくらいの富の不均衡が発生したのかを、歴史を辿りつつ示した本です。特に、かつての奴隷たちとその子孫が受けてきた経済的損失に対して、どれほどの賠償金を支払えば適切なのか具体的に数字で提示していて興味深いです。
研究者たちの賠償金試算額が列挙されていくのですが、いちばん少なく見積もったとしても6兆ドルは必要です。大きい額だと100兆ドルを超える試算もあります。こうしてひとたび賠償と口にすると、誰がその金額を負担するんだとか、現実性がないといった意見が飛び交うのですが、黒人知識人のタナハシ・コーツは人種差別の歴史とそれが生み出した格差を具体的な数字とともに知ることがまず大切だと主張しています。知ろうとすること。それだけでも十分に意味はあるんです。
それにこの本は、実現可能性にこだわって書かれています。1年にどのくらいの賠償予算にとどめれば毎年の国の運営を圧迫しすぎないのか、賠償を受けられる条件とその証明方法、実現に向けた政治家へのロビイング実践にいたるまで考えられています」
『DREAMLAND:The True Tale of America's Opiate Epidemic』は、21世紀のアメリカが迎えていた歴史に残るドラッグ危機に焦点を当てた一冊。アメリカでは“オピオイド危機”と呼ばれる、麻薬性鎮痛薬(=オピオイド)の過剰摂取による被害が深刻な社会問題になっていて。
中毒のまん延を見越してボロ儲けした製薬会社もあれば、危険性を知りながら患者たちに処方箋を出しまくって事業を拡大する悪徳医師もいて、効き目の強いオピオイド系薬物による中毒者が激増してしまったんです。そこに、メキシコから入ってくるブラックタールヘロインのような薬物も合流して、危機はますます深刻になります。
このオピオイド危機は “アメリカの病” とも呼ばれていますから、今、アメリカ文学というものがあるなら、オピオイド文学は確実にその潮流の一つと言えます。
この本では製薬会社関係者や麻薬捜査官、売人や中毒者、そして医師などの証言を取り入れながら、“オピオイド危機”の正体を解き明かしています。ドラッグの問題は日本人にはまだあまり身近ではないと思われているのか、関連書籍が翻訳されることが少ないですが、アメリカでは人種差別と同じくらい喫緊の課題としてあるので、ぜひ手に取ってみてほしいと思っています。
これは2015年に出された著作を若い読者に向けて簡易な表現にしたバージョンなので、読みやすいはずです」
最後に、矢倉さんが近年で最も印象深い作品のひとつで、かつ日本人にも受け入れられるだろう作品としてアフガニスタン系アメリカ人の作家ジャミル・ジャン・コチャイによる短編集『The Haunting of Hajji Hotak』を挙げた。
なんでも同作には、小島秀夫監督によるメタルギア・シリーズ第8作となるビデオゲーム『Metal Gear Solid V:The Phantom Pain』を主人公がプレイする短編小説が収められているという。しかし、ただゲームをプレイするだけの作品ではない。
「1編目に収められているのが、「『Metal Gear Solid V:The Phantom Pain』をプレイして(“Playing Metal Gear Solid V:The Phantom Pain”)」という短編。米文学の殿堂でもある『ニューヨーカー』誌にも掲載されて話題になりました。
主人公は米国西海岸に住むアフガニスタン系移民の少年。メタルギア・シリーズの最新作を発売日に買いに行くところから物語は始まります。ゲームの舞台は、ソ連による侵攻の最中にある1984年のアフガニスタン。プレイする中で少年は、自身のルーツであるアフガニスタンの記憶に思いを馳せていくんです。
この短編で注目すべきなのは、アフガニスタン系アメリカ人がアフガニスタンを舞台とするビデオゲームをプレイするときの複雑な心境を見事に表現しているところで。途中から現実と虚構が揺らぎ始めるこの物語では、主人公の少年がゲームの世界に入り込んでソ連軍に酷い目に遭わされた父や叔父を見つけ出して救出しようとしたりするんです。
この短編集には、他にも魅力的な作品がたくさん収録されています。アフガニスタンで暮らす医師夫妻のもとに謎のダンボール箱が届き続けて驚きの中身が入っている話や、博士課程の院生がサルに変身してしまって動物園の檻に入れられた後でタリバンと手を組んでアフガニスタン政府軍に戦いを挑む話、アメリカの諜報機関のエージェントである「あなた」がアフガニスタン系移民家族を監視するうちに情が芽生えてしまって……という話などです。
ポップカルチャーやSNSを取り込んだ新時代の優れた作品だと思うので、日本での翻訳も待望しています。というか、この本が翻訳されるとすれば、まずもって日本語に訳されるべきじゃないでしょうか。だってメタルギアですよ?」