〈ピエール・ジャンヌレ〉の椅子、〈ルイス ポールセン〉の照明、〈柳宗理〉の日用品……。インテリアの世界には、“名品”と呼ばれるプロダクトが数多く存在する。
たしかに、それらが魅力的なことは間違いない。懐に余裕があれば手に入れたいという憧れだってある。しかし、だ。世界は広い。既に価値の定まったものではなく、いまだ知られざるプロダクトの中にも“無名の名品”と呼びうる魅力的なものがあるんじゃないだろうか。
そんなことを思っているときに読んだのが、『みんなの現代アート 大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために』だった。
著者は、ロンドン在住のアーティストとして知られ、いわゆる“有害な男らしさ”についてつづった『男らしさの終焉』も話題のグレイソン・ペリー。自身のアーティストとしての経験を交えながら、軽妙洒脱な筆致で描かれるのは、アート・ワールドの摩訶不思議さだ。中でも、「いいアートとは何か?」について解説された箇所は、とりわけ興味深く、例えば、ペリーは次のように書く。
その上でペリーは、心理学者ジェームス・カッティングが行ったというとある実験を紹介している。
被験者に印象派の絵画の写真を定期的に見せるという実験なのだが、するとどうだろう、被験者はそれによく似たものや、他の有名な絵画より、定期的に見せられた絵画を好むという結果が出たというのだ。したがって、カッティングは「書籍や新聞、雑誌やテレビなどで特定のイメージを繰り返し見せられることで、私たちの文化において古典とされるものの価値が保たれている」と結論付ける。ペリーは「これらの実験結果にはばらつきがあり、私はいまだに懐疑的だ」と断っているが、なるほど面白い。
要するに、私たちが“美しいアート”と思っているものは、メディアや著名人がお墨付きを与えることからくる「安心感」によって支えられている可能性が高いというわけだ。インテリアの“名品”についても事情はさして変わらないだろう。実際、冒頭に挙げた〈ピエール・ジャンヌレ〉の椅子も2000年初頭にパリのいくつかのギャラリーが収集を始めるまでは、インドで廃棄処分されていたというではないか。
無論、他人の趣味をとやかく言うつもりはない。しかし、ときには「安心感」を手放し、自分だけのセンスを頼りに、“無名の名品”探しにいそしんでみるのも一興ではないか。クセが強かったり、バッドテイストなものだっていい。
私たちは、僻地の民族音楽も“レア・グルーヴ”として愛せることができるのだから。もしかすると、そうして手に入れたものが、いつか教科書に載る正真正銘の“名品”と呼ばれる日が来るかもしれない。万が一そんなことがあれば、自分のセンスが“正解”だった気がして、ワクワクしてくるではないか。