岡本真帆
忘れたくない一行
傘を届ける、車で来るなど「雨だから」に込められた期待に対してではなく、その人は「迎えに来て」に全力で応えた。何があったら裸足で来てしまうんだろう。でも会いたい一心で、すべて置き捨てて駆けつけたように思える。迎えに来た人の純度百パーセントの気持ちがまぶしい。結句の「来やがって」もまた、いい。
忘れたくない、自身の一行
上坂あゆ美
忘れたくない一行
繁華街で「とおくまでいこうねこのはるやすみ」と言われ、その瞬間に大音量のアドトラックが通り抜ける。台詞(せりふ)は平仮名、トラック音はカタカナ漢字のみで構成されているからそれがわかる。あまりにも短歌でしか成し得ない一瞬の切り取り、それが2人の春休みを永遠のものにしている。生きることの美しさを強く感じる。
忘れたくない、自身の一行
伊藤 紺
忘れたくない一行
人が人にしてあげられることの限界と、無限の可能性を同時に提示している歌だと思う。最終的に人は信じたいものを信じるしかない。巨大な“地上絵”は、意味なんてないこの世と重なっている。受け入れること。なんの根拠もない「大丈夫」をあなたが信じられるならば、悔しいけれど人生は「大丈夫」なのだ。
忘れたくない、自身の一行
初谷むい
忘れたくない一行
「だめな誓い」はしてはいけなかった誓いかもしれないし、そもそも内容が破綻している誓いだったのかもしれません。それでも、「だめな誓いを立てるほど」に「噴水」は「美しくなる」。しぶきを上げる噴水のイメージからは愛そのもののエネルギーを感じます。誓いは立てること、それ自体に意味があるのかも。