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私の忘れたくない一行。飯島章友、川合大祐、柳本々々、ササキリユウイチが選ぶ「川柳」

俳句と同様に五七五を定型とする一方、季語を持たずより自由闊達(かつたつ)な表現が見られるのが川柳。“サラリーマン川柳”に代表されるように身近な表現ツールであることも特徴的だが、今回は特に、文芸としての川柳に向き合う作家たちが“忘れたくない”一句を選んだ。

edit: Ryota Mukai, Emi Fukushima

飯島章友

忘れたくない一行

鉄棒に片足かけるとき無敵

なかはられいこ/作。『くちびるにウエハース』(左右社)収録。

「足掛け回り」の場面として読んだ。近年「無敵の人」なんて言葉がある。それは失うものがなく、絶望と表裏一体になった無敵だ。でもこの句の無敵は逆。自信と表裏一体だ。なぜなら鉄棒で回転するときの恐怖心も消え失せ、今や自分自身すら敵ではなくなっているからだ。こんな無敵感が待っているから前向きになれる。

忘れたくない、自身の一行

上向きにすれば蛇口は夏の季語

『成長痛の月』(素粒社)収録。

川合大祐

忘れたくない一行

いい孤独

柳本々々/作。『バームクーヘンでわたしは眠った』(春陽堂書店)収録。

「いい孤独」。これで一句なんである。五七五じゃないのに川柳?と言われるかもしれないが、私は「表現をする」可能性に勇気をもらった。ああここまでやっちゃえるんだ、という勇気。句として見れば「孤独」が五七五から外れ孤独でいるというメタ構造句なのだが、理屈抜きにおもしろい。おもしろい言葉は、勇気だ。

忘れたくない、自身の一行

関脇のタイムトンネル掘るちから

『リバー・ワールド』(書肆侃侃房)収録。

柳本々々

忘れたくない一行

生きているのを忘れてた 光ってた

普川素床/作。『川柳作家全集 普川素床』(新葉館出版)収録。

おしまいだと感じられたのにピカピカしてるのはなんでだろ。「なんで?」「ううん」「うん」すごく悲しいのに絶望してるのにあたりがこんなにまぶしいのはなんでだろ。「いつも未来はふしぎ」「え」終わりに立った私ときみがきらきらしてる。めをあける。私はふいに口にする。「いつもみらいはひかりなんだね」

忘れたくない、自身の一行

花たたきつけるかもしんないもん、会ったら

『バームクーヘンでわたしは眠った』(春陽堂書店)収録。

ササキリユウイチ

忘れたくない一行

紀元前二世紀ごろの咳もする

木村半文銭/作。『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)収録。

咳をしても一人、生半可な孤独。二千年前のやつらは無論、全滅さ……。川柳の咳の寂しさは途轍もない。だが様子がおかしい。弩級の孤独になっちまう咳を、ほかの咳も併せて、いつでもできると言いたげだ。「ごろ」のいい加減さ、のらりくらり。徹底的に孤独になりに行ける。現代川柳は、複雑に、ポジティブだ。そうだろ?

忘れたくない、自身の一行

凌霄がどうなったっておれの負け

『馬場にオムライス』(私家版)収録。