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私の忘れたくない一行。小西康陽、曽我部恵一、前野健太、寺尾紗穂が選ぶ歌詞

歌詞は、最も身近な詩だ。歌謡曲からポップス、ヒップホップのリリックまで。メロディやサウンドと一緒に楽しむものだが、言葉そのものもリズムを持っている。敢えて言葉だけを切り取って、定型詩や散文詩と同じように豊かな表現を細部まで味わいたい。

小西康陽

忘れたくない一行

泣き出すまいと 泣き出すまいと 口を開いては 笑うのだ

武蔵野タンポポ団「ミッドナイトスペシャル」(1972年)
作詞・武蔵野タンポポ団

中学生の時、繰り返し聴いたライブ盤に収められていた曲。伝説のブルースマン、レッドベリーの持ち歌に武蔵野タンポポ団のメンバーで歌詞をつけたようですが、ラングストン・ヒューズの詩集にもこんなフレーズがあったような。それはともかく、この物憂いレトリックはずっと自分の心の中で鈍く響いております。

忘れたくない、自身の一行

神様が私をお試しになる いまはたぶんそんな時でしょう

カヒミ・カリイ/ピチカート・ファイヴ/ピチカート・ワン「私の人生、人生の夏」より。

曽我部恵一

忘れたくない一行

俺は死ぬまでロックする 俺はとことんロックする

真島昌利「RAW LIFE」(1992年)
作詞・真島昌利

マーシーは本当のことしか歌わない。いや、マーシーに限らず、ロックの歌詞というのは、本当のことを歌う場である。自分が知っている、自分が見てきた本当のこと。それはつまり自分自身、「私」そのものということだ。遠藤賢司は以下のように言った。たとえそれが嘘だとしても、嘘の数だけ自分の命を燃やせばいい。

忘れたくない、自身の一行

バカばっかり バカばっかり バカやろうが自分の描いた絵に酔って泣いてる

曽我部恵一「バカばっかり」より。

前野健太

忘れたくない一行

おじさんになったね 自分だっておばさん 油っこいものはもう 入らないね

ハンバート ハンバート「黄金のふたり」(2022年)
作詞・佐藤良成

「おじさん」「おばさん」という一見歌詞には不向きな言葉を、見事に花開かせた。普段使う言葉にこそ、歌の蜜がぎっしり詰まっていると思います。人が年を取るという避けられない事実。そこから目を逸らさず、飛び込んでいって「それも歌だよね」と紡ぐ姿勢に胸打たれます。仲の良い2人もいずれ死にゆく。かけがえのない日常の愛しさがにじみます。

忘れたくない、自身の一行

今の時代がいちばんいいよ あたらしい街でもいいよ

前野健太「今の時代がいちばんいいよ」より。

寺尾紗穂

忘れたくない一行

いつかあなたを 知る日がきても 愛してるのたとえ あなたが誰であっても

大貫妙子「Rain」(1997年)
作詞・大貫妙子

愛は時間なのだと思う。出会った時とは変わってしまった、と人は言う。でもそれは、別の一面が見えただけだ。恋の炎によって相手を知ることはできない。それは一瞬の幻像だ。相手を本当に「知る」ことなどできないと最後のフレーズは教えてくれる。そのことが腑に落ちた時、人は初めて他者を愛せるのかもしれない。

忘れたくない、自身の一行

一羽が二羽に 一人が二人に ただそれだけで

寺尾紗穂「一羽が二羽に」より。