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映像作家、VJ・宇川直宏に聞く。これからの時代、師匠って必要ですか?

グラフィックデザイン、VJ、ライブストリーミング、常に前人未踏の領域に踏み込んできた宇川直宏は、数年前に美術家の田名網敬一と映像作家の松本俊夫に弟子入りもとい弟子認定を請うた。なぜ、宇川は突然師匠が欲しくなったのだろうか。インターネット以降の世代の師弟関係について聞いた。

初出:BRUTUS No.828『一流が育つ仕事場。』(2016年7月15日発売)

photo: Takao Iwasawa / text: Keiko Kamijo

「師弟関係のかたちは変わるけど、
学び、リスペクトを継承する対象は必要だよね」

僕がグラフィックデザインを開始したのは1988年で、その後様々なスタイルに表現領域を拡張しましたが、当時から現在に至るまで一度も師匠がいる現場にいたことがない。当時のデザイン業界には師弟制度があって、ある特権的な立場の人しか仕事に携わることができなかった。

だけど、僕のデビューと同年にDTP革命が起きる。マッキントッシュが実用化され、デスクトップで印刷用の完全版下が作れるようになった。DTP第1世代なんです。それ以前はマニュアルが存在せず、現場でじかに師匠の技巧に触れて学び取るよりほかなかった。

でも革命以降、師匠はマニュアルにとって代わられ、アプリケーションそのものが、脳や身体の延長としてデザインをアシストしてくれる時代になった。そして、90年代半ば、QuickTimeが発明されて、絵と音が同期した時間軸を編集できる時代が到来した。

そこで、僕は誰に教わることもなくミュージッククリップを生み出しVJシーンを育んだ。そして2010年、ソーシャルメディアの夜が明けて、現在、僕はライブストリーミングを表現としている。

つまり、僕の表現は新しいテクノロジーを乗りこなし、そして裏切って、突き抜けながら、未踏の実験領域のみに魅了されて成り立っていると言っても過言ではありません。つまりその現場には先人が存在しないので、師匠もいないし、継承されるべきDNAもない、突然変異であり続けていたのです。にもかかわらず僕は元来犬派なので、師弟制度への憧れがあった。

その後も実験の最前衛に魅了されると同時に、芸人の方々の芸歴が導く上下関係や、襲名や世襲のような人間関係に基づいた、爵位や伝統、技術や思想の継承に興味があった。そこで、43歳の頃、遂に弟子入りを決意しました(笑)。師匠は2人、田名網敬一先生と松本俊夫先生です。

なぜこの2人だったかというと、答えは明白。それぞれの現場で実験を繰り返してきた二大巨頭だから。松本先生は映画と映像の違いも概念化されていなかった50年代から「映像」という思想を伝え広め、実験映像という方法論を推し進めた巨匠。

田名網先生も同じで、商業イラストレーター、デザイナーとして活躍しつつ、60年代の半ばに先陣を切ってアニメーション制作を始めたり、現代アートの世界に切り込みながら独自の地位を確立した。だから、常に実験的な活動をされていたお2人のことは一方的に尊敬し、交流を持たせていただいていた。

直接お会いしたのは、90年代終わり。後から聞いた話だと、松本、田名網両先生も僕に会った時に同胞的な匂いを感じ取ってくださっていたようです。それはきっと、僕の活動に対して“実験”精神を見た、隔世遺伝的なDNAの継承を感じたからだと。そこで、“実験”を軸に直系尊属的に暗黙の師匠と弟子の関係になった。だけどしばらく経って、本当の弟子にしてほしくなり(笑)、弟子認定をもらいに行きました。

それは、松本先生の日芸の最終講義の日。田名網先生も講義を聞きにいらしていたので、まずは聴講席側にいた田名網先生に突然「改めて弟子にしてください」って言いました。いきなり。当時43歳の僕が。「え?何言ってるの?」って先生に笑われたので、こうお伝えしました。

美術の文脈というのは歴史時間軸で串刺しになっている。だから、アーティストは美術史的批評に常に晒されている。美術史の中で作品が生き続けないと、存在は消えてしまう。逆説的には歴史的なありかが、作品を生かしてもくれる。しかし、グラフィックデザインや映像は、本来、トレンドとテクノロジーに加担している文化だから、消費が前提としてある。

だからこそ僕は、独自的な歴史時間軸形成を欲していたし、遺伝子的な伝統を継承していく道筋と存在=師匠が欲しかった。田名網先生には直接教えは被っていないけれど、その活動と背中を見て勝手にたくさんのことを学ばせていただいたので、リスペクトを込め、そのことをカミングアウトしたかったんです、と。すると、田名網先生は、笑いながら「いいよ」と言われて(笑)。

松本先生にも講義の後に、「デザインの師匠は、田名網先生が引き受けてくださったので、僕を映像の弟子にしてください」って言ったら「今さら?」と。結果、弟子認定をしてくださって、いきなり2人の師匠が降臨しました。

映像作家、VJ・宇川直宏
京都造形大学で教鞭も執る宇川だが、師匠になっているつもりはないという。「理念を押し付けるのではなく、いかに自由に個性を伸ばすかを考えて場を作る。DOMMUNEと同じです」と宇川は言う。

しかし、僕に湧き起こったこの感情は、そのままインターネット以降の世代に響くと思います。これからの時代は、師匠不在ではなく“師弟”のかたちが変わっていく。直接教えを授かるのではなく、様々な現場で学んだ後、先駆的存在を勝手に師と仰ぎ、リスペクトを発露としながら、進んで伝統を継承する師弟関係もありなんだと。

テクノロジーを味方に、最前衛の実験の現場に身を投じる人たちは、その知識や技術を直接伝授する師匠がいないのは当たり前。でも、僕にとっての田名網先生や松本先生のような、生き方や姿勢、佇まいを学べる存在はいるはず。僕は、弟子として、松本イズム、田名網イズムの継承をしていくつもりです。

だから、インターネット以降の世代でも、リスペクトの表明という形での表現精神の継承、つまり新しい形の師弟制度はなくなることはないと思う。

一方で、その“師匠”を見つけるための現場は必要だと思います。その一つがここ、ドミューンだといえるでしょう。なぜなら、ここには日夜、世界の超一流たちと、絶対的可能性を秘めた若い才能、この2つの極点が集まってくる場所だから。このリアルアンダーグラウンドには強烈な磁場がある。

だから、超一流のアーティストが、世界中からわざわざここに来てプレイする。なぜならフレッシュでアンチコマーシャルなメディアだから。ゲストだけじゃなくて、スタッフもドミューンを通過して様々な業界に巣立ってる。だから、ドミューンは2つの意味で一流を生み出す現場だと断言できます。