季節のことから色やモチーフを
決めればいい、と納得しました。
渡来 徹
UDAさんの著書『kesho:化粧』を読んで、いけばなとフラワーアレンジメント、化粧とメイクアップ両者の関係性を改めて考えました。以前お稽古に来てくれたときも日本の伝統的な表現方法に基づく化粧を探ってらっしゃいましたが、この一冊では七十二候に絡めて構成されてますね。
UDA
日本人の場合は顔が平面的だから、目鼻立ちやチークなど顔の造形にとらわれずに「いいな」と感じる箇所に自由に色を置くだけで、化粧として成立する感覚はあったんです。しかも、いかに手を加えずに成立させるか、みたいな。そんなことを考えていたときに、仕事を通じて出会った和菓子や着物の職人さんたちがみな、季節の話をしていた。それがすべてだと感じたんです。季節のことから色やモチーフを決めればいいのか、と。
渡来
面白いですね。日頃、花を扱う身としては季節に抗う術はほとんどなくて、流れるがままに現れる花材をいけるしかありません。
UDA
自分の作品集を作る前に『IKKOAN 一幸庵 72の季節のかたち』(青幻舎)という和菓子の本に出合ったんです。七十二候をもとに72種類のオリジナル和菓子が載った作品集で、化粧でも同じことができる気がしました。
和菓子には「見立て」と呼ばれる京菓子の抽象表現と、「写し」と呼ばれる江戸菓子の具象表現が両輪にあって、これを僕は「自分の頭の中/遊び」と、「日常/日々の化粧」と捉えたんです。この両者はどちらがクリエイティブだということではなく行き来することに意味がある。となるとkeshoはそれぞれを表現した144作が必要になるなと。
渡来
足掛け4年をかけて作られただけあって季節の写真も充実していますし、ビジュアルブックとしても触発されるものがたくさんあります。
UDA
『kesho:化粧』ではハウツー以外の手段で自分らしさを表現する提案をしたかったんです。だいたいの人が「自分の顔って?」というイメージにとらわれてしまっている。化粧が不安を解消する手段だったりするんです。それは間違いではないけれど、そこにもう一つ、自分の感覚、感性を入れることで、より自分らしくなれると思うんです。
渡来
渡来: 花もそうですが対象に向き合いすぎると視野が狭まっていくというか、発想が凝り固まったものになりがちですね。花を凝視しすぎると、花が描き出す空間にまで想いが及ばなくなってしまう。
花に触れながら、話は続く。
UDA
僕自身は今まで以上に時間の使い方を意識したくて、実は来月は仕事を控えていろんなものを見て過ごそうと考えているんです。江戸時代の人が生涯で得た情報量を僕らはスマホやTVから一日で得ているという説を耳にして、一体どんな時間を過ごしていたんだろうかと思ったりもしています。
渡来
確かに現代人は情報の種類は膨大かもしれませんが、一つあたりの深度は、もしかしたら江戸時代の人の方が深かったのかもしれないですね。ハイキングの途中でとある景色に目を奪われる、立ち止まって時間の幅を持たせることで草木を照らす光が変わる、風に揺らぐ。もしかしたらほんの20秒後にもっと素晴らしい景色になるかもしれない。キャプチャしたほんの一瞬をすべてとして判断して次に次にと情報を拾い集めるとまず出合えません。
今回いけばなを体験してもらうために、鎌倉の野山で採った花材と市場で仕入れた花材を用意しました。花材の状態もさまざまです。UDAさんの書籍でいうところの蛍光色を使う感覚もあります。今、使えるものは効果的に使って昔のものを解釈し、今の暮らしにフィットしたいけばなをつくる。
UDA
『kesho:化粧』では七十二候に合わせてピックアップしている色は伝統色のように見せかけて、3割ぐらいは自分で勝手に名前を作っているんです(笑)。
渡来
あー、やっぱりそうなんですね。調べても出てこないわけだ(笑)。
UDA
伝統色だけだと今の化粧を表現できないと思ったんです。蛍光オレンジなんかも使ってます。ただ実際は本当に鮮やかな紅葉って光の加減で蛍光色みたいに見えたりするじゃないですか。
渡来
果実も水分が多いと蛍光っぽく見えるときがありますね。でも今時期のように花材の水分が抜けるにつれて色彩が鈍っていく。そもそも日本の風土だと湿度の高さが物の発色にも影響しますね。結果的に影や余白をも愛でる文化を育むに至ったのかもしれませんが。
UDA
花のいいところを見つけようじっくり観察したり、うつわとのバランスを考えているだけであっという間に時間が過ぎますね。
渡来
いけばなを通じて、日頃不足しがちな季節感や、ことの前後を含むゆったりとした時間の流れを体験してもらえると思います。あんまり没頭しすぎると、今の時代の速度感に取り残されちゃうかもしれませんが(笑)。