小学校低学年の頃から歌謡曲が大好きで、『ザ・ベストテン』など歌番組を見て育ちました。6年生の時、YMOとRCサクセションという黒船が来航し、『宝島』を熟読しながらサブカル臭濃厚な音楽を聴き、中学校3年の時には立派なパンクスになっていました。始まったばかりの『MTV』では洋楽のロックやニューヴェイヴもチェックして。
若さゆえやっぱり破壊力のある音楽ばかり選びがちだったけど、山下達郎さんの楽曲だけはずっと聴き続けていた。兄貴が家でなにげなくかけていたり、CMソングをたくさん手がけていたから刷り込みがあったのかもしれない。それからテレビ番組の影響も大きいかな。
EPO「DOWN TOWN」(シュガーベイブのカバー)や「土曜日の恋人」が、『オレたちひょうきん族』のエンディングテーマだった時期があり、聴いていると「あぁ〜週末が終わっていくなぁ」という、子供なりの切なさを感じていた。その記憶がかなり鮮烈に残っているから、今でもその2曲を聴くと少し淋しい気持ちになる。
1970年代のシュガーベイブの作品やファーストソロ『CIRCUS TOWN』、ライブ盤『IT'S A POPPIN’ TIME』などは大人になってから追体験。どれもクオリティが高く、いちいち衝撃を受けた。子供の頃は、テレビで聴いた曲単位のことしか覚えてないけど、集中して向き合ってみると、アルバム単位で一枚一枚すごくしっかり作られていると実感します。
ソロになった直後の〈RCA/AIR〉時代の作品など、今聴くと超カッコいい。『GO AHEAD!』『MOONGLOW』の1曲目は一人で多重録音したアカペラになっていて、その後の『On The Street Corner』シリーズにつながっていく感じなのかな。そういえば車の運転免許を取った直後『On The Street Corner』シリーズをカセットテープのA面B面に詰め込んでドライブのBGMにしていた。いろいろな意味で、かなり重宝した思い出があります(笑)。
それでも、やっぱり思い入れが強いとなると『MELODiES』(83年)になる。
中学校3年の時にリリースされたこのアルバム。最初はレンタルレコード屋で借り、カセットテープに落としたんだけど、聴いているうちに「あ、こりゃテープじゃダメだ!」と感じて、すぐにLPで買い直した。高校生の時なんか、パンクやニューヴェイヴ漬けだったけど、『MELODiES』だけは別格として聴き続けていた。
中でも「あしおと」には、ちょっと甘酸っぱい特別な思い出がある。18歳の時、駅前の花屋でバイトしていて、毎日夕方に店頭から家路へつく人たちを眺めていると、中にはキレイなお姉さんもいたりして(笑)。“オレは好きになっちゃったけど、向こうが気づくことなんて、ないんだろうなぁ”という気持ちでいた。そんな時、頭の中でBGMとして流れていたのが「あしおと」。この曲は達郎さんの妄想ラブソング。
最近知ったことだけど、設定は繁華街の花屋で働く若者が、毎日店の前を行き来する女性を好きになったというものみたいで。20年以上経って「あ、やっぱりオレのことだったのか⁉」って、シンクロしてました。
もうすぐテレビや街中から聞こえてくる名曲、「クリスマス・イブ」を収録しているので、クローズアップされることの多い『MELODiES』。『RIDE ON TIME』(80年)や、『FOR YOU』(82年)の頃、顕著だった“夏だ!海だ!タツローだ!”というイメージを払拭したため「なんで夏の曲がないんだ!」という批判もあった。
それに加え『MELODiES』から、これまで楽曲のほとんどを作詞していた吉田美奈子さんと袂を分かち、ほぼ全曲で、自身が作詞を手がけるようになっている。達郎さんの歌詞というのは、基本的にネガティブで、ハッキリ言って妄想的(笑)。
だから、内向的な歌詞の楽曲が多く、一般的にちょっと地味な作品とされてきた。一方通行の「あしおと」をはじめ「悲しみのJODY〜She Was Crying〜」は海辺で別れた恋人の歌。これは前作までのイメージとの訣別を意味するとも取れる。夜の遊園地に恋人と2人で潜り込む「メリー・ゴー・ラウンド」は完全に妄想じゃないか?どれも切ないラブソングだ。
「クリスマス・イブ」に至っては、相手が来ないことが前提になっている。いい感じで毎年、年末に流れているけど本当は甘い雰囲気で恋人同士が聴く曲じゃないんですよ(笑)。
それでもなぜ、山下達郎の作るラブソングは愛されるのか。例えば、今のラブソングというのは“メールの返信がない”とか、細部まですごく具体的なんだけど、その反対に達郎さんの歌詞には具体性がなく、どれも抽象的だ。それは多分、聴いた人が曲にそれぞれのイメージを持ちやすくするためじゃないかと思う。
設定やストーリーを具体的に歌わないから聴いていると心情よりも、景色が浮かんでくる。悲しい気持ちではなく、鮮やかなイルミネーションが浮かぶからこそ恋人と「クリスマス・イブ」が聴けるのかもしれない。
また、本人がテレビなどのメディアに露出しないのも、リスナーに映像的なイメージを押し付けないためだとされている。90年代以降、シングルを作る時、チャート番組でのオンエアに備えて、MV(ミュージックビデオ)を作ることが一般的になった。しかし、達郎さんのMVはどれも具体性に欠ける。言い換えれば、どの作品も作る気概をほぼ感じない。本当にMV自体、どうでもいいものかもしれない。映像作家としては、正直もったいない気がしますけど。
作詞作曲を手がけ、自分自身で歌っているにもかかわらず、主役は音楽とリスナーにあることを徹底している達郎さんは、ライブにおいても変わりがない。たとえ季節が外れていても、初めて来たお客さんのために「自分の曲で一番有名だから」という理由で必ず「クリスマス・イブ」を演奏しているのだ。
個人的に感じることは『僕の中の少年』(88年)以降、楽曲のテーマが壮大になっている気がします。オレのベストである『MELODiES』みたいな、妄想的なラブソングとは言わないけど、今の達郎さんが作る個人的な愛の曲が聴いてみたいですね。