Watch

Watch

見る

流行写真通信 第29回:今年上半期ベストな写真集、アンリ・ロアの「不可能な島」が見せるマジック・リアリズム

編集者の菅付雅信が切り取るのは、広告からアートまで、変貌し続ける“今月の写真史”。写真と映像の現在進行形を確認せよ。

text: Masanobu Sugatsuke / editorial cooperation: Aleksandra Priimak & Faustine Tobée for Gutenberg Orchestra

連載一覧へ

アンリ・ロアのセルフポートレート
アンリ・ロアのセルフポートレート/Self Portrait © Henry Roy 2025 courtesy Loose Joints / AGWA

「この『不可能な島』という不思議なタイトルは、自分にとって、写真が精神的な旅を意味しているからなんだ」

そう語るのはハイチ系フランス人写真家アンリ・ロア/Henry Roy。彼の最新写真集にして、オーストラリアのパースにある西オーストラリア州立美術館/The Art Gallery of Western Australiaで開催されている彼の写真展のカタログでもある『Impossible Island』(Loose Joints)は今年2025年上半期の写真集の中で断トツベストと呼べる仕上がりだ。彼の故郷であるカリブ海のハイチ、スペインのイビサ島、様々なアフリカの国々、彼の住むパリなど世界各地で撮影されたポートレイト、ランドスケープ、極めてプライベートな写真などが混在しながらも、見事に統一された世界観を伴って、見る者を安息の地に誘うような陶酔感がある。さらに彼が本のあちこちに載せた詩的なテキストも幻惑的で、イメージとテキストの見事なハーモニーに酔わされる。

ハイチ出身で3歳のときに家族と共にフランスに政治亡命したという経歴を持つロア。フランスで育つ中で写真に興味を持ったのは、友達が家にある暗室に彼を連れて行ってくれたことがきっかけだったという。

「暗室の中で現像液に浸した印画紙から徐々にイメージが現れてくるだろう?その光景にショックを受けて、本能的に決めたんだ、私は写真家になろうと」

ロアにとって、そのときから写真は「普段見えてない何かが現れること」となった。フランスに住むハイチからの亡命者という自分のアイデンティティの捉えどころのなさも、写真が持つ「何かを捉え直す」力に惹かれたのかも、と彼は語る。

写真を学び始めた当初のロール・モデルは、リチャード・アヴェドンやアーヴィング・ペンといったファッション写真の巨匠だったというロア。しかし、彼の教師は写真の授業で、写真以外の映画やアートなども積極的に教えたという。ロアはその教えを「文化全般へ興味を持たせ、芸術の全体像を把握することに導いてくれた」と感謝する。王道のファッション写真をレファレンスとしながらも、彼が学校を卒業するころには、ヨーロッパの写真の潮流は大きく変わり始める。

「写真家としてキャリアをスタートしようというとき、『THE FACE』『i-D』『DAZED&CONFUSED』といった雑誌と出会い、それらのイメージに深く影響されたんだ。それらはとても自由で、アマチュア的な感覚があり、ローテクだった。私はそれらの写真家と彼らの実験精神に惹かれたんだ。そして偶然にも、私のガールフレンドが『Purple』共同編集長のエレン・フライスを知っていて、私の作品をフライスに送ったところ、彼女が私の写真を気に入ってくれて、それから『Purple』での仕事が始まったんだ」

ロアが当時、最も刺激を受けた写真家は、『Purple』に頻繁に寄稿するヨーガン・テラーとヴォルフガング・ティルマンスだった。ロアいわく「彼らは仕事の写真も作品の仕事も見事な一貫性がある。どれも写真作家の視点を感じるものだった」

雑誌の仕事から始まり、広告なども手がけるようになったロアだが、いずれも自分の作家的視点を織り込んだ写真を意識したという。

「私は決していいファッション写真家ではない。ファッションそのものに特別関心もない。これが私の写真家としての態度なんだ。もちろん、依頼仕事もたくさんしたよ。ポートレイトや少しだけファッションも。でも同時に、私は全体的に自分自身を反映した、自分ならではのイメージを発展させていったんだ。私は人工的なエフェクトを使わずにイメージを創ることを心がけている。あくまで現実に根ざしたイメージをとね。でも一方で、夢見るときに、現実が揺らいだり、消えるような感覚があるはず。そんな現実的なイメージを用いて、超現実のような感覚を描きたいと思っているんだ。だから自分のことをフォト・ジャーナリストとは考えていない。私は個人的で深い情感を用いて、写真で現実を超えたいと試みているんだ」

ロアは現実を捉え直すという自分の方法論は、故郷ハイチの影響があるという。

「私は自分のことをアニミスト(精霊崇拝者)と呼んでいる。それは自分の文化的背景に繋がっているんだ。私が生まれたハイチの文化では、ヴードゥー教(注:西アフリカの宗教とカトリックが融合したハイチ独自の宗教。精霊信仰を基盤とし、人間に精霊が憑依すると考えられている)の文化がある。私はヴードゥー教の実践者ではないが、ハイチにはリアルと夢がないまぜになった感覚があり、それは『世界には見えない力が生息している』という考えなんだ。私の作品で表現したいのも、まさにそういう考えだね。ラテンアメリカ文学でいう『マジック・リアリズム』もそのような考えだよね。そう、日本の村上春樹の小説も『マジック・リアリズム』だと思うね」

L: Coconut tree in smoke, Jacmel, Haiti, 2011
R: Nancy, Kinshasa, Democratic Republic of the Congo, 2004
L:Coconut tree in smoke, Jacmel, Haiti, 2011
R:Nancy, Kinshasa, Democratic Republic of the Congo, 2004
© Henry Roy 2025 courtesy Loose Joints / AGWA

この本に収められたイメージやテキストを交互に読んでいくと──そう、それは観るというより読むという言葉がふさわしい──、読者はロアと一緒に旅をするような感覚になる。

「私は特定の場所や時間から解き放たれたタイムレスなイメージを追求している。この本では約10カ国で撮られた写真で構成されているのだが、どの写真がどこの場所か特定しにくいようにしている。意図的に読者が撮影の場所や時期を特定する手がかりを外すようにしているんだ。それが独特の漂流する感覚を創っているのだと思う」

直訳すると「不可能な島」と呼べるこの不思議なタイトルには、実は具体的な被写体から触発されている。

Henry Roy “Impossible Island”表紙
Henry Roy “Impossible Island”表紙 © Henry Roy 2025 courtesy Loose Joints / AGWA
“Impossible Island” by Henry Roy is published by Loose Joints & The Art Gallery of Western Australia.
https://loosejoints.biz/

「本のタイトルである『Impossible Island』は、この本に何度も登場するイビサ島のすぐ近くにある小さな島、エス・ヴェドラを表す言葉なんだ。そこはほとんど巨大な岩石でできたタワーのような島で、私が写真を始めたときにそこに招かれて以来、何度も訪れている場所だ。とても魔術的な島で、まるで空想上の島のようでもある。私には、自分がどこに行こうと、同じ感覚を求めているようなところがあるんだ。その感覚は自分が亡命者だということにも関係がある。もしも君が自分の生まれ故郷から離れてしまったら、──私の場合はそれがハイチという島国で、それはもう戻ることのできない場所なのだが──、君はまったく同じ状態の場所には戻れないだろう。君がどこに行こうと、君はストレンジャーなんだ。だから人は自分の居場所をつくらなければならない。私の写真はその行為を手助けすると思うよ」

ロアの写真展のキュレーターである西オーストラリア州立美術館のロバート・クック/Robert Cookはロアの写真をこう語る。

「私たちの美術館は、『写真は、単に世界のことをレポートするだけでなく、世界で生き抜くために求められる視点を与えるもの』というテーマで展示を行っています。ロアの写真はまさにこの文脈に沿っています。彼はこの時代に求められる、詩的かつ政治的な作品を創っています。彼の写真は、現代における『どこにも属していない』感覚を捉えるという意味で、明確にグローバルな性格を持っています。私たちは写真を見るとき、映画スターも風景も人の顔も、実際に丁寧に見ているわけではありません。それら被写体に『接近している行為』としての写真を見ていて、それらのイメージを消費しているだけです。しかし、ロアの写真は、モノの見方を注意深くし、イメージを消費しないものなのです」

このロアの世界を漂う感覚、特定の時間と場所を指し示さない美学は、写真をタイムレスなタイムマシンに変えてくれる。そしてそれは美しくも、少し切ない。

Two students, Dakar, Senegal, 2016
Two students, Dakar, Senegal, 2016 © Henry Roy 2025 courtesy Loose Joints / AGWA

「私の写真は、自分の人生を彫刻する方法だと思っている。写真の何を最も愛しているかというと、絵画とは違って、写真を撮るには、撮影現場に行かなければいけない。そのリアリズムが私にとって決定的なんだ。写真は私に旅をさせ、人々と引き合わせる。そういった経験から、この本は生まれている。それは私的な物語といえるね。私はそれを『漂う物語』と呼んでいる。つまり、特定の話を語るのではなく、ある世界をほのめかし、個人的な宇宙を示すものと言えるかな。私はこれを写真の詩的手法と呼んでいるんだ。そこには『世界とはこういうものだ』と一般的に語られる現実に対する抵抗も含まれているんだ」

この展示後も様々な展示や出版が予定されているというロア。そのひとつに日本でのプロジェクトもある。

「東京のギャラリー、Space Unのエドナ・デュマから依頼され、日本に滞在制作する予定なので、すごく楽しみにしている。またセネガルでの展示を元にした本が年内に出る予定だ。それらも自分にとっては今までと同様、どこに行こうが同じテーマになるはずだよ」

今月の流行写真 TOP10

連載一覧へ