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流行写真通信 第26回:鷹野隆大が提示する、力が支配する世界と対抗するための「弱さ」

編集者の菅付雅信が切り取るのは、広告からアートまで、変貌し続ける“今月の写真史”。写真と映像の現在進行形を確認せよ。

text: Masanobu Sugatsuke / editorial cooperation: Aleksandra Priimak & Faustine Tobée for Gutenberg Orchestra

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「近年の世界状況を見ると、強いものが弱いものを蹂躙する、他者に対して自分と同じ価値を認めないという風潮が急激に強まっていますね。それに対抗するには『力には力で』とは異なる、別の軸を持ってこないと難しいんじゃないかと思うんです。

私のような何の力もない者が闘うには、むしろ『弱くある』ということで対抗できるのではないかと。それが今回の展覧会の大きなポイントです。一人の表現者として、別の軸を世の中に示していければと考えています」

こう話すのは写真家の鷹野隆大(たかの りゅうだい/Ryudai Takano)。彼の個展『鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―』は、総合開館30周年を迎えた東京都写真美術館にて2月27日から開催されている(6月8日まで)。

鷹野隆大のポートレート
鷹野隆大のポートレート 撮影:藤澤卓也

本展では、都市風景からセクシュアリティに関するイメージ、写真の光学原理に立ち返った影を捉えたものなど、一人の写真家の個展とは思えないほどのイメージの多様性を持って、整然としたカオスのような空間をつくり上げている。

鷹野が写真家になろうと決意したのは、決して早くはなかった。いや、早くないどころか、クリエイティヴな世界に進もうと思ったこと自体が、早稲田大学に入学してからという。

「大学入学後、最初に受けた授業は美術評論家の坂崎乙郎先生でした。『自分に正直に生きれば必ず社会に潰される。しかしそれでも正直に生きろ!』と熱く語っていました。授業では当時彼が研究していたエゴン・シーレや自殺したウィーンの画家たちの話をよくしていました。午後2時過ぎに始まった授業が夜の6時や7時まで続くことも度々ありました。とにかく熱い授業で、彼の話を聞いて、自分も何かそういうことができないのかと思い始めたんです。それでまずは絵を描き始めました」

その後、表現媒体が写真に移っていったのは、大学4年の時、久しぶりに会った写真好きの友人の影響だという。

「絵を描く勉強をまるでしてこなかったので、なかなか自分の思うように描けなくて苦労しました。ところが写真はシャッターを押せば一瞬で一枚の絵ができる。そのスピード感が心地よくて、すぐ写真にハマりました。当時私が描きたかった絵は、振り返ってみるとスナップショットみたいなものだったんです」

写真を意識するようになり、最初に大きな影響を受けたのは森山大道だという。

「早稲田から高田馬場の間の古本屋街を歩いていたとき、たまたま手に取った古い雑誌に掲載されていた森山さんの写真に衝撃を受けました。そのころはまだ絵画に興味があって、そうするとどうしてもヨーロッパに意識が向いてしまう。やはり向こうが本場と考えていましたから。でも、森山さんの写真を見て、日本というものが被写体になり得るんだということに気づいたんです。身近なもの、自分が関わっているものが被写体足りうるんだと。その転換は自分にとってとても大きかったです」

自分と関係のある被写体の写真を撮り始め、1994年に平永町橋ギャラリーとコニカプラザで個展を開く。写真展は雑誌『アサヒカメラ』の展評に載り評価を受けるが、結果的に何年経っても売れない状況が続いた。

「2005年に初の写真集『IN MY ROOM』(蒼穹舎)を出したんですが、全然反響がなかったんです。写真専門誌の『アサヒカメラ』ですらも。評価されるわけでもなく、作品が売れるわけでもなく、そろそろ作家活動は限界、次の個展が最後かなと思っていたら、いきなり木村伊兵衛写真賞を受賞しました。受賞の連絡はメールで来るんですよ。知らない人から連絡が来て、最初『いたずらかな?』と思って、知り合いにそんな人がほんとに編集部にいるのか確認したくらいです(笑)。でも、それ以降、一気に状況は変わって、それにも驚きました」

今回の展示では、セクシュアリティに関しても果敢に表現する鷹野ならではの作品も展示されている。本展のキュレーションを担当した東京都写真美術館学芸員の遠藤みゆきがその意図をこう説明する。

「鷹野さんは、強者が弱者を蹂躙することがまかりとおる昨今の世界情勢をふまえ、『弱さ』の象徴として《2017.06.12.L.bw.#07》を今こそ出品しなければ、との思いから出品を決めています。この覚悟を美術館もともに引き受けたいと感じました。作家が当初から本展の核として考えていたため、作家の希望を叶えるためにも美術館全体で実現に向けて動きました。性的表現の受け止めは多様であるため、ゾーニングして展示しています」

本展の印象的なポスターなどのグラフィックを手がけたアートディレクターの北川一成は、鷹野の作家性をこう語る。

「出会いは、2024年に国立西洋美術館で開催された鷹野さんも参加アーティストだった展覧会です。その時の印象は、写真家ではなく芸術家。あるいは私の写真家の定義が古かった。今回の写真美術館のグラフィックは鷹野さんと私の共作です。つまりこれも今回の写真美術館で発表される彼の作品の一部ということです」

本展は写真だけではなく映像作品もあるが、鷹野は写真のかけがえのない特徴を次のように語る。

「まず、動画は物質として持つことができない。モノとして所有するためには写真にするしかない。人間は所有欲が尽きないので、気に入ったイメージを物として持ちたいという意識は、なくならないと思います。データをモノとして実感するのは、やはり難しいのではないかと。身体性の問題も含めて、物質であることは、これから社会のデジタル化が進むにつれて、逆に注目度が増していくのではないかと思います」

鷹野はデジタル化が進み、静止している写真より動いている映像がますます大きな地位を占める近年の視覚表現において、その情報の少なさこそが写真の価値だという。

「動画と写真は根本原理が違うと思っています。動画を撮る時には動きを考えて撮りますよね。一方、写真は何かというと、空間には奥行きがありますが、その奥行きをなくすものです。それは情報の劣化とも言えますよね。でも見方を変えると、その時、二次元の“構図”が現れるんです。世界を構図に変換すること。あるいは構図を表現の主題とできること。これが写真の決定的な特殊性だと思っています。いわば新しい世界の現れであり、『写真は真実を写す』というより、ある種の虚構化によって生まれたものだと考えています。この意味を積極的に認めることによって写真の価値が生まれると思っています」

総合開館30周年記念「鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―」 展示風景
展示風景:総合開館30周年記念「鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―」 東京都写真美術館 2025年 撮影:藤澤卓也 画像提供:東京都写真美術館

展覧会場は、美術館の中にひとつの街をつくったかのような立体的な構成となっている。そしてそこには写真と映像のイメージはあるが、文章がない。

「そう、会場内には文章表現は一切ないんですよ。だからこそ、自由に見ている方も結構多いのではないかと。最近は物語とイメージを結びつける傾向が強いように思います。この展示ではそういう物語の抑圧からイメージを解放したいという思いもありますね」

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