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流行写真通信 第8回:ヒッチコックから学ぶ、時を超える映画の催眠術

雑誌「COMMERCIAL PHOTO」でシリーズ133回を数えた長期連載が、BRUTUS.jpにお引っ越ししてきました。編集者の菅付雅信が切り取るのは、広告からアートまで、変貌し続ける“今月の写真史”。人気企画「今月の流行写真TOP10」も継続。写真と映像の現在進行形を確認せよ。

text: Masanobu Sugatsuke

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「初めてアルフレッド・ヒッチコックの映画を見たのは8歳の時。それは『サイコ』で、子供にとってはとても恐ろしいものだった。生まれ育った北アイルランドのベルファストの映画館で観たんだけど、当時の北アイルランドはIRA(アイルランド共和国軍)と政府軍の内戦状態で、街の中を歩いている方が恐ろしい状態だったから、映画館は僕にとって現実逃避の場所になった。僕にとって『サイコ』は没入できる“安心な恐怖”だったんだ」

マーク・カズンズ
ドキュメンタリー映画監督、マーク・カズンズ。

そう語るのはドキュメンタリー映画監督のマーク・カズンズ。彼は映画史の研究者であり、ドキュメンタリー映画の監督として第74回カンヌ国際映画祭でカンヌ・クラシックスのオープニングを飾った『ストーリー・オブ・フィルム 111の映画旅行』を作り、スタンリー・キューブリック賞も受賞するなど、世界的な評価を得ているシネフィルの映像作家だ。

カズンズの最新作はヒッチコックを巡るドキュメンタリー『ヒッチコックの映画術』。この映画はヒッチコックの初期の作品から晩年までの名作映画の名シーンをふんだんに紹介して、そのマエストロな技を語るという構成。

しかし、1980年に没したヒッチコックが自作を語るとはどういう仕掛けか?実はイギリスのコメディアンでものまね芸で知られるアステリア・マクゴーワンがヒッチコックの過去の発言を引用してそっくりにナレーションしているのだ。

こういう人を煙に巻くような遊び心、それがカズンズがヒッチコックから学んだ一番重要なこと。『ヒッチコックの映画術』の中では真実や噓を混ぜながら、亡くなったヒッチコックを生き返らせ、生き生きとした声を与える。

「僕はフィクションとノンフィクションの明確な区別を信じていない。もちろん、ヒッチコックが亡くなったことは誰でも知っているからね。ヒッチコックの催眠術的なトリックに満ちた映画を解説するために、僕も観客に催眠術をかけて、ヒッチコックの亡霊が語りかけるようにしたってわけさ」

ヒッチコック映画の最大の特徴は、まさに催眠術的な映像のマジック。カメラを縦横無尽に動かし、交響曲のように編集する。ヒッチコックは間違いなく傑出した視覚言語のマエストロだった。

「ヒッチコックはいかにカメラを扱うと観客に刺激を与えられるかを熟知していた。彼はサイレント映画監督としてキャリアを始めたから、セリフがなくても映像だけで物語を語る方法を知っていたんだ」

なぜヒッチコック映画は時を超えて、永遠のクラシックとして愛され続けるのか?カズンズはこう考える。

「彼の映画はその時の流行の要素をあえて入れてない。彼の全盛時は1950~60年代で、当時はロックンロールやビートルズが一世を風靡してユースカルチャーが台頭していたのだけれど、そういう“時代精神”のアイテムを入れてないんだ。多くの映画製作者は流行の要素を入れるだろう?ヒッチコックは意図的にクラシカルな要素、男優たちはスーツをビシッと着て、女優は衣装も髪型も前時代的にグラマラスだった。

だからこそ、流行を追いかけた映画ではなくて、時を超えたんだ。彼の映画は現実の反映ではなく夢だ。夢はタイムレス。そして夢は願望でもある。人は自分の人生を他人の人生に投影したいもの。誰もがグレース・ケリーやケーリー・グラントのように美しくありたいと思うけれど、そうはならない。でも観客が現実から逃避し、夢見る状態に引き摺り込む催眠術をかける方法をヒッチコックは十二分に知っていたんだ」

この『ヒッチコックの映画術』を評価する監督に、意外にも日本のドキュメンタリー映画の巨匠、原一男がいる。『ゆきゆきて、神軍』『全身小説家』『水俣曼荼羅』などで世界的評価を得ている原をカズンズは以前から敬愛し、本作のプロモーション来日時にわざわざ会いに行き、意気投合したのだという。

リアリストで知られる原だが、元々ヒッチコックに影響を受けていたと語る。

「私は映画的表現を作品ごとに工夫して観客に差し出すエンタメ精神にいつも圧倒されてヒッチコック作品を観るわけです。あくまでも映像で見せ切るドキュメンタリーを作りたいと考える私は、彼の映像主義的な魂を学びたいと思っています」

『ヒッチコックの映画術』から学べることは大きいと原はいう。

「私は『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(ヒッチコックとフランソワ・トリュフォーの対談集)から映画術を学びたいと思い、何度も読み返していますが、この本はヒッチコックの作品を読み解きながら主に技法的な面についての考察がメインになっているのに対し、カズンズ監督の『ヒッチコックの映画術』は、ヒッチコック自身の生育や内面にわたっての考察がメインになっていて、学ぶべきは“映画する心”だなと思っています。

ですから、トリュフォー版とカズンズ版の2つでヒッチコックに関する最良の正副読本というテキストが完成し、眼前に存在するわけですから、あとは後続の私たちがためらうことなく、ただただ学べば良いのだ、というしかありません」

カズンズは現在の映画がヒッチコック映画のような視覚言語力を失ったとは思ってないという。

「なぜなら、ポン・ジュノ監督の『パラサイト』はヒッチコック亡き後の最もヒッチコック的映画だろう?ヒッチコック亡き後でも、彼のようなヴィジュアル・シンキングができる映画作家はいると思う。ショットを学び、引きで撮るべき場面を学び、俯瞰ショットや高い位置でのショットの組み立て方を学ぶこと、それは映画や映像の基本的文法だ。子供が文章の組み立て方を勉強するように、映画監督や映像作家はショットの組み立て方を勉強しないといけない。そしてそれは永遠にヒッチコックから学べるんだよ」

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