アーティストがスニーカーを作るという異例のコラボ、そして空前の大ヒット、さらに謎の多い最新作(当時)。渦中のトム・サックスにそもそもマーズ ヤードとはなんぞや?という素朴な疑問をぶつけてみた。
「ナイキとは2007年からミーティングを始めて、2011年にようやく合意に至ったんだ。僕の友人でもあるCEOのマーク・パーカーと意見交換を続けたけど、僕がやりたいことは彼が気に入らず、その逆もしかりで、お互いになかなか意見が合わなくてね」
そして2012年、サックスとナイキ、お互いどちらが欠けても成立しない50/50というアイデアに両者が合意した結果、満を持して初めてのカプセルコレクション“ナイキクラフト”の一部としてマーズ ヤードはデビューすることとなる。
そもそもナイキクラフトとは、身近な素材を寄せ集めてそこからDIYでアートを作り上げるトムとグローバルブランドであるナイキという一見両極端な2つが融合したユニークなライン。と同時に、トムがNYで発表した「スペースプログラム:マーズ」(合板で作られた宇宙船で火星に行くというコンセプトの壮大なアート展示)とも連動するため、初代アイテムのすべては“宇宙飛行士が火星へ持っていくもの”というお題の下に作られた。
第1弾のコレクション内容は、スニーカー、ジャケット、トートなど計5点から構成されドーバーストリートマーケットなどで発売した。
「『マーズ ヤード』は、カリフォルニア州パサデナにあるNASAのジェット推進研究所で働く科学者という特定の人たちのために作られているんだ。『エア ジョーダン』がマイケル・ジョーダンのために作られたのと同じように、僕らは人工のマーズヤードで火星へ送るロボットのテストを行ったりする彼ら科学者のためにこの「マーズ ヤード」を作った。これは、どのスニーカーも世界中のトップアスリート向けの仕様に沿って作られているというナイキの信条ともぴったりと結びつくんだ」
常に改善、進化するマーズ ヤード
一躍大ヒットを飛ばすことになるのは、「マーズ ヤード2.0」がローンチした2017年のこと。初代「マーズ ヤード」をトム本人が5年間実際に履き続け、耐摩耗性の弱さなどの問題点を改善した。ポリエステルを縦に編んだトリコットメッシュなどの新たな素材を使用して強度を上げた「マーズ ヤード2.0」は発売後に即完売。入手困難なレアスニーカーの仲間入りを果たした。
そして発売された「マーズ ヤード オーバーシュー」もまた、この進化の流れの先に生まれた。「マーズヤード2.0」は冬の終わりの悪天候時に足が冷たく濡れてしまうという問題点があったが、それをボートのロープや帆に使われている高強力な繊維のダイニーマ素材ですっぽり包み込む仕様に仕上げ、「今回は、僕のスタジオチームのための要素も加わった」と言うように、ニューヨークの極寒の雪雨にも耐えられ、かつストリート、地下鉄、さらにはファッションでも通用するようなアイテムにアップグレードされた。
発売後は即日ソールドアウトで、ネット上ではお決まりのように高値で取引される話題アイテムになっている。
「正直こんなに人気が出るとは思わなかったけど、それはモノがちゃんと人によって考え、作られたことが伝わったからだと思う。透明性というのがナイキクラフトのキーワードなんだ。このスニーカーでいえば素材がすべて見て取れるということ。染料で染めたりせず、素材の持つ原料感を生かしている。そしてこの透明性を重視している背景には、多くの幻想を抱かせる商品広告に対するアンチテーゼがある。
ファッションが持つ“人を魅力的に見せる”という力は好きだよ。でも、広告によって幻想を抱かせ、ありのままでいることを怖がらせることもある。僕のスタジオでは広告、映像、彫刻といろいろな表現の方法を使うけれど、いつも一貫してこの透明性というアイデアを伝えてきた。例えば僕が作った茶碗にも必ず僕の指紋が残っている。人の手がそこに加わっているという証拠もまた、透明性の一つだよね。ナイキクラフトはただのブランド名ではなくて、モノに対してどうアプローチをするかという“哲学”なんだよ」
スニーカーはアート?それとも実用品?
ネット上で高値で取引されるほどになった今、履くのを惜しんでクローゼットにしまい込むスニーカーヘッズたちも少なくないはず。アーティストが作ったスニーカーはやっぱりアートなんだろうか?それとも実用品なのか?そんな問いにトムははっきりと断言する。
「イケてるやつらはこのスニーカーを死ぬまで履き続けると思う。棚にしまい込んでるやつらは人生を無駄にしている。自分の人生よりもこのスニーカーを大事に思ってるわけだからね。ナイキの誰に聞いても、スニーカーが一番に来ることはなく、スポーツが第一だと言うだろう。この靴を雨の日に履くのを恐れるようなやつは的外れだし、作った僕にとっては傷つく行為でもある。ルール違反だよ。死ぬまで履き続けてもらいたい。いつでも新しいソールを付け替えて修理することもできるよ!」