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小説『東京タワー』から15年。 リリー・フランキーさんとタワーを見ながら

老若男女、観光客から地元の人まで。“東京”といえばやっぱりこちら、「東京タワー」。BRUTUSと東京タワー、どちらにもゆかりの深いリリー・フランキーさんと昼下がりの三田を散歩しつつ、話を聞きました。

初出:BRUTUS No.919『東京の正解』(2020年7月1日発売)

photo: Katsumi Omori / text: Izumi Karashima

東京タワーをどこから見るのが好きですか?と尋ねたら、慶應大学三田キャンパス前の通りからの眺めが好きだとリリー・フランキーさんは答えた。

「やっぱり、はっぴいえんどが見ていた、松本隆さんが見ていた風街の中の東京タワーが永遠の憧れなんですよ、僕ら田舎者にとっては」

BRUTUS

東京タワーを実際に初めて見たのはいつでしたか?

リリー・フランキー

福岡から18で出てきて美大に入ったときだから、1982年。でも最初に住んだのは立川で、次は国分寺。東京タワーなんてまったく見えない(笑)。

しかも、(東京タワーのある)港区に行く用事もなければ行こうという発想もなかったし。当時の僕にとって街といえば吉祥寺のことで、都会といえば新宿のこと。中央線を横移動するだけでしたからね。

B

とすると、東京タワーを意識するようなことはあまりなかった?

リリー

いや、カッコイイ建物だなというのは思ってた、子供の頃からずっと。しかもアイコンの最たるものじゃないですか。「東京の絵を描きなさい」って言われたらみんな東京タワーを描いたものなんです、当時の子供たちは。

だから、大学生のときも課題で東京タワーをモチーフによく描いたんです。建物のデザインとしてもすごく優秀だし。

B

リリーさんの小説『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜』にもありますが、リリーさんが東京タワーに初めて上ったのはお母さんが亡くなった後だったんですよね。

リリー

東京タワーに上らないとこの物語を終われないなと思ったし、なにより、お袋が入院していた病院が東京タワーの麓にあって、窓からタワーがいつも見えていたっていうのは大きいですよね。それで、お袋の位牌を持って上って。

そのとき初めて東京の街を上から眺めたんですよ。ああ、東京って、墓だらけなんだなって。それに気づくと、ビルが全部墓石に見えてくるんだよね(笑)。

B

東京は墓場。言い得て妙(笑)。

リリー

結局、東京タワーはいつも見てるけど、行ったことはないという僕みたいな人は多いと思う。だから、スカイツリーができて、電波塔の役目を終えたとき、みんなハッとしたと思う。

「もしかして引退していなくなっちゃうの?」って。愛おしさが出てきましたよね。お祖母ちゃん感が出たというか。年を取った親のような存在なんですよね。

東京タワーは、僕の優秀な「編集者」だった

B

じゃあ、東京に来て38年ということは、創刊40年のブルータスが見てきた東京をリリーさんもほぼ同時に見ていたということですよね。

リリー

ちょい後輩として。しかし、40周年で東京特集といえば、川勝(正幸、編集者&ライター)さんが腕まくりするはずの号でしょ(笑)。

B

ホントそうなんです。あらゆるポップカルチャーを横断し執筆してきた川勝さんが亡くなって8年。その不在は大きいなと改めて思います。

リリー

今は知らないけれど、マガジンハウスって昔は出入り自由な雰囲気があって。僕がよく出入りしてたのは27、28の頃だったかな。

B

どこの編集部でしたか?

リリー

最初はポパイ。広告のカンプ(ラフ)をよく描いてたんですよ、イラストで。例えば、缶コーヒーを持った女性の絵をレイアウト用紙にイラストで割り付ける、そういうバイト。Macがない時代でしたから。

B

へえ!90年代初め頃ですか?

リリー

そう、30年ぐらい前。あの頃のマガジンハウスは景気が良かった(笑)。社食でよく食べたし、遅くまでいたら近所の洋食屋へ連れていってもらったし、朝までいたら、じゃあ築地行くか!って(笑)。

B

リリーさんはその後、ライターとしても古くはガリバー(同じくマガジンハウス刊の旅雑誌)やブルータスで執筆されるようになりました。

リリー

僕は今もそうだけど、手書きで原稿を書くんです。2000字でと言われると、400字詰めの原稿用紙5枚でピッタリと、最後の一マスで終わるように書けるという。

B

すごい技術です!

リリー

ナンシー関さんにも褒められました。「あんたすごいね」って(笑)。だけど、ナンシーさんはもっとすごい。1500字のコラムを書くのに4500字書いて、そこから推敲を重ねて1500字にする。

あの人が切り捨てた文章って、そのへんのライターが書いたスカスカのものとはワケが違う。濃密だし情報も詰まってる。「それを捨てられるあなたの方がすごいよ!」って。

B

ということは、『東京タワー』も全部手書きだったんですよね?

リリー

それ以外方法がない(笑)。もともと、母親の病室で何かできることはないかって書きだしたのが最初。でも、母親もいなくなって、書き進まないまま時間が経って。

結局、福田和也さん、坪内祐三さん、柳美里さんと一緒に『en-taxi』という同人誌をやることになって、だったら続きを書くしかないなって。だからあれがなかったら書いてない。

B

『en-taxi』は季刊誌でしたね。

リリー

年4回。だから、連載を始めて終わるまですごく時間がかかった。足かけ4年じゃないかな。

B

4年、東京タワーと向き合った。

リリー

書くのが本当にしんどかった。母親のことをうんぬんというより、愚直に写生に徹すると決めていたから。子供のときの自分の気持ちを今の自分が鑑みて書かないようにしようと。だから、延々写生をするつらさがあったんです。

B

東京タワーを見るのもイヤになったりしませんでしたか?

リリー

というより、編集者感がありました、東京タワーは。見るたびに、あー書かなくちゃって催促される感じがしたし。いつでもどこでも見守ってくれる優秀な編集者(笑)。

イラストレーター・リリー・フランキー
「昔、東京タワー50周年記念でキャラクターをデザインしたけどその後どうなったのかな?」とリリーさん。

東京は飽きない街。首都の魔力があると思う

B

本が出て15年が経ちました。

リリー

でも、生活はなんにも変わってない。『東京タワー』前から借りているところに今も住んでいるし。もとはアトリエとして借りた場所だったんです。

だけど、どうせ1人だし、家とアトリエ両方あってもしょうがないなと。で、家をなくして。今はアトリエに住んでる状態。

B

仮住まい的なことですか?

リリー

そうすることで自分の中のなにかを納得させてるんだと思う。これが「家」と思うと居心地が悪いけど、「アトリエに住んで、勉強してるんだ、オレは」っていう(笑)。

B

じゃあ、そのうち「家」を探すんですか?居場所を探すというか。

リリー

まず、東京が自分の街だと思ったことは一度もない。じゃあ、どこが自分の街かというと、それも難しい。もともとここが自分のホームという明確な場所がないんです。

18まで福岡や北九州で育って、母親が住んでるからそれがホームだと思ってた。でも、それもなくなると、本籍を置いてる場所でしかない。

B

つまり、自分の居場所ではないなと思いながらも東京にいる。

リリー

いつかここからいなくなるつもりで出てきたわけだし、今でもそう思ってる。いつかここを捨てるだろうなって。でも、東京って飽きるのに時間がかかるんです。飽きかけてるんだけど、心底飽きてない。

B

なぜ飽きないんでしょう?

リリー

それが首都の魔力。パリもロンドンもニューヨークも。でも、この自粛期間で、あれ?なんでみんなで集まってたんだろうって、世界中で疑問になってるけど(笑)。

ただ、東京は意外とアナログで。人と人のつながりがないようである。それはたぶん、田舎から出てきた人たちが東京という街を形成してるからだと思う。シティだけど田舎臭さが消えない街。それが東京だと思う。