「あの頃。どうしようもない芸人とお客さんが身を寄せ合う、すり鉢状のゴミ箱にいた」
東京NSC5期生の吉村は、自身の若手時代を「東京吉本の若手暗黒期」と語る。
「東京NSCは、1期生の品川庄司さんを筆頭に、4期生のロバートさん、インパルスさん、森三中さんとスターが揃っていました。だけど99年に僕らが入学してから2007年に『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)というネタ番組が始まり、人気番組になるまで、ほとんどの芸人が活躍できずに散っていったんです。デビューしてからしばらくは自分のことなんて“準吉本”くらいにしか思ってなかったですし」
そんな東京吉本の若手芸人たちがくすぶっていた場所が、06年にオープンした渋谷の〈ヨシモト∞ホール〉だ。半円のすり鉢状になった会場の底にステージがあり、そこに立つ芸人を観客は見下ろす形になる。
「まぁ、腐ってましたよ、僕だけじゃなく。売れる見込みもなくて、ファンの女の子と合コンすることばっか考えてましたから。お客さんのことも全然大事にしてなくて、今ほどネタに力を入れて舞台に立ってる芸人も多くなかった。出待ちで差し入れをもらっても、お礼すら言わない。なのにファンはずっとついてきてくれた……というか、どうやらファンのみんなも行き場のない人たちが多かったみたいで。今思うと、あの頃の∞ホールはどうしようもない芸人とお客さんが身を寄せ合う、すり鉢状のゴミ箱みたいなモンだったんでしょうね」
「鉛色の青春」へのはなむけの意味も込め、『吉村崇の勝手にシリーズ ~祝!東京NSC30周年「決起集会」』の開催を決意。
「当時僕らを観に来てくれたファンも大人になって、中には結婚したり子供を育てたりしてる人もいるでしょう。そろそろ当時の掃きだめを懐かしんでもいい頃かなと。あの頃の感謝とお詫びを伝えるにはいい機会だと思ったんです」
狙いはファンとの旧交を温めるだけではない。令和のお笑いを担う若手芸人たちとも、このライブで交流を図りたいそうだ。
「東京NSCのひとケタ生は“(NSC)シングル(世代)”って呼ばれて、陰口叩かれてるらしいんですよ(笑)。今の若手は、賞レースのために芸を磨いてみんな達者じゃないですか。でも僕らは何でもアリの平場でみっともなく泥くさい笑いを取ってきた。キワモノと言われる芸人もたくさんいましたし。今回はあえて当時のような体を張る企画もやろうと。“老害”と言われるかもしれないけど上等ですよ。順番を待ってても席は空かない。若手はこの老害芸人を潰すつもりで来てほしいですね」
そう息巻いた吉村だが、「食えない頃には見えなかったことだけど、テレビの世界に入って、お笑い界は自分一人の力ではのし上がれないと気づいた」とも話す。
「ネタのエリートみたいな若手の子と話してみると、根っこは同じなんですよ。僕らがネタにコンプレックスがあるように、彼らも平場が苦手なことを悩んでいる。それを知った時に、これはコミュニケーションが必要だなと思ったんです。これを機にお互いのノウハウを教え合いたい。例えば(明石家)さんま師匠に、ジミー大西さんや、村上ショージさんのような存在がいるように、芸人って仲間と一緒に這い上がっていくもんなんです。東京NSCで育った芸人仲間として世代を超えて力を合わせられたらいいですね」
奇しくも〈∞ホール〉はこの3月で閉館が決まった。東京の谷底に位置する渋谷の、さらにどん底でもがいた芸人と、ここで青春を過ごしたファンの情念は、この決起集会でようやく浄化される。
