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60年代を象徴するジャズ喫茶〈DIG&DUG〉

大卒の初任給が15,000円の1960年代初頭、3,000円する輸入盤LPはめちゃくちゃ高価だった。配信が常識のいまじゃ考えられないが、だからこそ当時の若者たちには「レコードを聴く場」が必要だったのだ。新宿に「ジャズの聖地」を作った男・中平穂積さんの証言。

Text: Izumi Karashima / Edit: Kaz Yuzawa / Special Thanks: Tokyo Kirara Co., Ltd. Hisashi Kadono, Eisaku Ono, Kyoko Sano

ジャズを流せば客が入る店から“ジャズを聴かせる店”へ

新宿にジャズ喫茶〈DIG〉を開店したのは1961年11月。場所は、二幸ビル(現スタジオアルタ)の裏、ロールキャベツで有名な洋食店〈アカシア〉のビルの3階。大学卒業と同時に店を持っちゃったんです。25歳でした。

僕は和歌山の新宮市出身で、高校生の頃に映画『グレン・ミラー物語』を観てジャズの虜になったんです。ルイ・アームストロングやジーン・クルーパのライブ演奏を観て感動しましてね。もっといろんなジャズを聴きたい、もっとレコードを買いたい、そのためには東京に行きたいと。で、親父を説得して日大藝術学部に進学して。

入学したその日、学校の近所の喫茶店に入ったらマイルス・デイヴィスのトランペットが流れててびっくりしたんです。喫茶店でジャズを聴けるなんて、さすが東京だと。

〈DUG〉での若き中平穂積さん
〈DUG〉での若き中平穂積さん。『新宿DIGDUG物語』(東京キララ社/絶版)より。

それからはジャズ喫茶巡りの日々。池袋の〈パンセ〉、有楽町の〈ママ〉、京橋の〈ユタカ〉、新宿の〈木馬〉〈ポニー〉〈ヴィレッジ・ゲイト〉、横浜の〈ちぐさ〉とかね。『スイング・ジャーナル』で調べて片っ端から行きました。おかげで大学は5年通いました(笑)。

ただ、あちこち通ってはみたものの、どこも僕が思うような場所じゃなかった。本当にジャズが好きでやってるわけではなかったんです、その頃のオーナーたちは。ジャズをかければお客が来るし純喫茶やるより儲かるからというのがほとんどで。店にテレビがある〈木馬〉なんかは、力道山の試合があるというと、プロレス中継の店になっちゃう(笑)。

だったらジャズを愛する僕が店をやろうと。日本のジャズ文化を盛り上げたい、そんな気概もあったんです。〈DIG〉という店名はマイルスのアルバムタイトルから拝借しました。DIGには探究という意味があるんですが、ジャズでは「いいぞ!」というときの掛け声が「ディグ!」。いくつか候補を考えた中で、ジャズや映画の評論で知られる植草甚一さんもそれがいいとおっしゃってね。

スタジオアルタ裏のジャズ喫茶〈DIG〉(1961−83)。

植草さんとは僕が大学5年生のときに〈ポニー〉で出会ったんです。その日、店内はすごく混んでいたんですが植草さんの隣だけはポッカリ空いていて。みんな植草さんのことを知っているから畏れ多くて座りたがらないんです。でも僕は遠慮なく「隣、いいですか?」と。マスターにセシル・テイラーの新譜をリクエストして。

すると、レコードがかかった途端、植草さんが「君がリクエストしたの?」と話しかけてきたんです。「セシルは僕も注目してるんだ」と。

それで、セシルやチャールズ・ミンガスなんかの話をして、「ジャズに詳しいけれど、君は何やってるの?」と聞かれて、「大学を出たらジャズ喫茶を始めようと思ってます」と言うと、「どうかねえ。両親が水商売をやらせてくれるかねえ」って(笑)。

以来、植草さんとは親しくなって、僕の結婚式では仲人もやってくださいました。

オープンして半年もすると連日満員、行列ができるようになりました。
人気となった理由の一つには、量より質、コレクションを充実させたからだと思います。ほかの店では聴けない幻の名盤を集めていましたから。ジョージ・ウォーリントンの『ライヴ・アット・カフェ・ボヘミア』、トミー・フラナガンの『オーヴァーシーズ』とかね。

僕にとって、ジャズ喫茶は利益のためじゃなく啓蒙のため。ジャズを正しく伝えたい、いちばん新しいレコードを聴かせたい、そんな思いが強かったんです。ですから「レコード・コンサート」も開催しました。毎月特定のミュージシャンを決め、レコードをかけながらゲストを呼んで解説してもらうんです。

植草さんや『スイング・ジャーナル』の編集長だった児山紀芳さん、ジャズ評論家の佐藤秀樹さんなどが解説を担当してくれました。

なによりもジャズが好き。だから60年続いたんだと思う。

そして67年、紀伊國屋裏にジャズバー〈DUG〉をオープン。

もっと楽しめる場を作ろうと思ったのが発端です。というのも、〈DIG〉は「おしゃべり禁止」。お客さんの大半はレコードが聴きたくて1人で来て、コーヒー1杯で5時間6時間と粘るんです。そこへ2人以上でやってくると、どうしてもおしゃべりが始まってしまうし、そうすると誰かがうるさいと言いだしてケンカになってしまう。
だから私語厳禁。お酒もビールの小瓶1本までと決めていました。

紀伊國屋裏のジャズバー〈DUG〉(1967−87)。

でも、ジャズは本来楽しく聴くものですから、なんでも受け入れるフリージャズのような場があってもいいじゃないかと。

そのうち、渡辺貞夫さんや日野皓正さんといったジャズミュージシャンたちが〈ピットイン〉などでのライブ終わりで〈DUG〉に来るようになり、「ここでも演奏したいからピアノを置いてよ」と言われましてね。自然とセッションするようになったんです。そこから発展して、バリー・ハリスの『ライヴ・アット・ダグ』など〈DUG〉でのライブレコーディングをリリースしたりもしました。

店を始めて今年でちょうど60年。振り返ればいろんな人たちが通ってくれました。国内外のジャズマンたちはもちろん、作家、編集者、写真家、俳優、文化人……。そういえば、村上春樹さんも学生時代によくいらっしゃったそうで、彼の小説(『ノルウェイの森』)に〈DUG〉が登場してるとお客さんに教えてもらいました。

ある種、あの頃の文化の交差点であり、サロンのような場になっていたと思うんです。でも僕は、自分がお客さんだったらいまはこれが聴きたいだろうと思ってレコードをかけていたし、お客さんを喜ばせることしか考えてなかった。

なによりジャズが好きという、ただ、それだけでやってきたように思いますね。

現在の〈DUG〉は靖国通り沿いのビルの地下1階。経営は長男の塁さんに譲ったが、中平さんも顔を出し客と交流する。