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食べる

体に染み込ませた〈大三元〉の師の味を、同じ町で。錦糸町〈中華料理 徳武〉

家族経営で人件費がかからない、家賃が要らない、という理由で成り立っていた古き良き町中華は、後継者不足や高齢化、町の再開発などを理由に、今や絶滅の危機。さて今日は町中華、の気持ちに応えてくれる店は減る一方だ。店と味を守ろうとする、錦糸町〈中華料理 徳武〉の、今。

photo: Hisashi Okamoto / text: Haruka Koishihara

錦糸町で43年間にわたって愛された〈中国酒家 大三元〉。近隣の人はもちろん、その味を求めて遠方からも客が来る、錦糸町が誇る中華の名店だった。

小学生の時、母に連れられて〈大三元〉で舌鼓を打っていた少年は、やがて高校生になると友人に誘われて、思い出の店にアルバイトに入ることに。それが〈中華料理 徳武〉の主・徳武信哉さんだ。

中華料理 徳武の徳武さん
海鮮料理にも力を入れていて「週に1度は豊洲市場に仕入れに行っています」と徳武さん。

まかないで出された四川スープそば(サンラータン麺)のおいしさに衝撃を受け、卒業後はそのまま就職。名物店主・齋藤喜仁さんの下で、最初こそホール担当だったが皿洗いから鍋振りと、順調に修業の階段を歩んだ。が、徳武さんが勤めて27年経った2023年、店はやむなくその歴史に幕を下ろすことに。生え抜きの弟子である徳武さんはごく自然に、〈大三元〉ファンが多く暮らす同じ町で独立する道を選んだ。

24年4月、自身の城を晴れてオープン。かつて汁なし担々麺が流行った頃に齋藤さんが編み出し〈大三元〉きっての名物だった汁なし辣醤麺も、もちろん用意している。これはゆでた細麺を、冷水で締めてから具材や調味料としっかり炒め合わせてあるのがまずユニーク。そして仕上げに板カイワレを高く盛り付けたそれは、目に美しく、舌に刺激的。辛味と山椒の痺(しび)れ感がやみつきになる!と引き続き熱烈なファン多数だ。

地域に根づいた逸品が、消滅の危機を乗り越え今日も変わらず作られる。錦糸町の幸せな日常は続く。

錦糸町〈中華料理 徳武〉
店は錦糸町駅と両国駅の中間あたりに。タイル業を営む父と兄に依頼したという店内の壁にもご注目。