文章が“うまさ”とは、一体どういうことなのか?
井出幸亮
拝読して思ったのは、文章がめっちゃうまい(笑)。この本の中でも、「写真がうまいって言われる」話がありましたが、果たして「うまい」ってなんだろうと。アーティストであれば、単に技術的に「うまい」とは評価されたくないとか色々あると思う。
でも、そういうものを全部超えて、うまい。それは大森さんの写真を見た時の感覚ともやっぱり似ているんですよね。ちょっと謎めいていたり、あえて言いすぎていなかったり。その一方ですごく具体的な言葉、例えば、〈ケーズデンキ〉とか《たべっ子どうぶつ》っていう固有名詞がスッと差し込まれる。
その具体性に"旨味"みたいなものがあって。具体性と抽象性との往復というのかな。バランスがすごく心地いい。
大森克己
ありがとうございます。子供みたいな疑問そのままだったり、大人としての素朴な感想とか、青年の妄想とかを書き連ねていくと、何だかこんなものになってしまった、という。「お前、何者なんだよ」って思いませんでしたか?(笑)
井出
いやいや。本書で触れられていた落語になぞらえて言えば、これは「名人」だなあと。それは文章だけでなく、モノを見ることの名人なのかな。
素晴らしいミュージシャンの演奏みたいに、「トーンが良い」というか。大森さんの目線やものの感じ方が、すごく心地よく入ってくる。
大森
写真に関しては、「うまい」って言われる理由がわからなくもないっていう自分もありつつ、やっぱりちょっと嫌だったんだけど、まあ、もうその役割をちゃんと引き受けるべき時期なのかなと(笑)。
コロナ禍で暇な時に「写真がうまいって言われること」に関しての文章を書いてみたら、とても反響があって。言い方が難しいんだけど、何事にも練習は必要だよな、みたいなことも年とると否応なくわかってくる。
音楽聴くのも、選挙に行くのも、ご飯食べるのも、全部練習しないとやっぱりうまくいかないみたいなのはあって、だから、この本の文章は人生の公開練習みたいなことかもしれないと、今、思いました(笑)。
書かれた文章は、果たして本当なのか。
大森
いろんな対話の練習のきっかけにもなるといいなとも思います。写真家で言えば、長島有里枝だったり、植本一子だったり、女性からの率直かつ真摯な、社会に対する問いや呼びかけがはっきりとあるよね。
それに対して、大人の男の倫理と欲望の輪郭が曖昧すぎちゃって、今それをちゃんと語ったり書いたりしなきゃいけないんじゃないか、という気持ちはありますね。何でも女と男という区別で考えるのは乱暴ではあるんだけれど。
僕が中高生の頃に読んでいた大先輩の作家、吉行淳之介とか開高健は、今なら「アウト」っていうこともいっぱい書いていたと思うんだけど、人生の喜び悲しみが生で伝わってくる感じは、やっぱり、そのあたりの先輩たちはすごかったわけで、そこは更新していかないとなって。ボクがいうのは、まあ何様なんだって話ですが。
井出
そのあたり、「あえて」書いているんだな、と。言葉は一種の記号だから、誰がどう発するかで意味が変わってくるわけですが、大森さんの文章はメインストリームの価値観に対する距離の取り方も含めて、「すべてわかってやっている」"大人の嗜み"みたいなものを感じます。
大森
でも、文章は怖いですよ。証拠の残り方が写真と全然違うから。一枚の写真で撮った人間を決めつけることはないでしょ?推察するのが、すごく難しいから。
でも、文章はここに書いてあるじゃんって。ただ、この本でも、このまま続けたらひょっとして小説になるのかな、っていう章もあって、小説ってなんでも書けるのか?とか思って怖い気持ちにもなる。
井出
大森さんのエッセイには「これって本当の話なのかなあ?」と思う部分がいっぱいあって。でもそもそもフィクションだろうとエッセイだろうとSNS上のテキストだろうと、言葉=真実ではない。
それは写真が常に真実を写すものではないということと同様に、意外と理解されづらい。
大森
この本を読まれることにも、ヒタヒタと心が震えるものがありますね。本を作るにあたって、僕のことを全く知らない、写真も見たことない人が読んでくれた時に、どれくらい伝わるのか、そこは開いておきたいと思ったんです。
どう読まれるのか、めちゃくちゃ興味あるし、それは、やっぱり怖い。まあでも、覚悟はしてますけど(笑)。