そこは私たちがこれまで見て見ぬふりをしてきた場所
——児童養護施設にカメラを持ち込むことは、きっと大きなリスクを伴うことだったはずですよね。
齊藤工
ええ。きっかけは数年前、あるイベントのスタッフとして児童養護施設を訪れたことでした。その帰り際に、そこの子供が「どうせ二度と来ないんだよね」と言わんばかりの目で僕を見ていて、それなら継続して子供たちに会いに行こうと。何度か通ううちに、彼らは心を開いてくれるようになりました。
と同時に、児童養護施設はそれまで見て見ぬふりをしてきた場所だったなと強く感じたんです。おそらくそこには我々が知っておくべき物語があるんじゃないか。そう思ったことがこの作品の始まりです。でもそのタイミングで『14歳の栞』に出会わなければ、この作品は実現していなかったと思います。
——『14歳の栞』はある中学校の一クラスに密着したドキュメンタリーですが、子供たちのプライバシーを守るため、観客にSNSでの発信に配慮を求めるなど、非常に倫理的な作品でした。パッケージ化も配信での公開もされていません。
齊藤
そうやって被写体を守りながら、映画を届けていくことができなければ、この作品は成立しないと思ったんです。
竹林亮
齊藤さんに声をかけていただいて、その児童養護施設で子供たちと話したら、何を考えているんだろう、このあとどう成長していくんだろうって、気になって仕方なくなったんです。何よりも友達になりたいなと思って。それで僕も何度となく通うようになったんですが、子供たちを撮るにしても、いきなりだとおじけづく子もいる。だから本当に信頼してもらえるまでは、いっさいカメラを回しませんでした。
齊藤
カードゲームだけして、帰る日もあったんですよね(笑)。
竹林
ドキュメンタリーを撮るには時間が必要なので、もともと覚悟はしていたんです。それでもカメラを回さないことは、やっぱり怖かったですね。ただ、人と人との関係が最も大事なので、撮りたいという欲を捨てようと。次第にいろいろ話してくれるようになりました。撮影するからには、僕は出演してくれた彼ら、彼女たちにとってプラスなものになってほしいと思っているんです。だから出なければよかったと感じてしまいそうな要素は極力排除して、例えばここで泣いてもらいたいとか、ドラマティックな瞬間も無理やり引き出さないようにしました。
齊藤
そうやって嫌がることをしない監督に対して、逆に子供たちの方が提案してくれるようになっていったんです。今度髪を切りにいくから、ついてきてよとか。つまり一緒に映画を作る仲間になっていったんですね。僕が被写体として感じてきたのは、カメラは時として凶器にもなるということ。でも監督の現場ではまったく感じない。監督の人柄だと思います。
——お話を聞いて、子供たちの日常が生き生きと記録されている理由がわかりました。
竹林
もちろん日常に入り込むと、落ち込んでいる場面もあるんです。でも彼ら自身が観て、生きる力を呼び覚ますようなものになるといいなと思って、生き生きしたところをより多く使っているんだと思います。
齊藤
実は作品の完成後に、子供たちと監督のチームがより関係性を深めているんですね。いまもご飯を食べに行ったり、俳優志望の子は僕の撮影現場を見学に来たり。作品自体は123分で終わりますが、物語はずっと続いているんです。