カメラを通じて伝える、誰かの日常。映画監督・竹林亮と映像ディレクター・上出遼平が語る

多様な社会環境で生きる人々の日常を切り取るドキュメンタリー。2人の作り手が考える、カメラを向けること、伝えることの意義と責任とは。

photo: Kazuharu Igarashi / text: Kazuaki Asato / edit: Emi Fukushima

「多分もう、みんなの顔を忘れられない気がする。会ったこともないのに、大切な人が増えてしまったような感じ」。

話題沸騰中の映画『大きな家』。その推薦コメントとして『ハイパーハードボイルドグルメリポート』シリーズで知られる上出遼平さんが寄せたのが冒頭の言葉だ。

児童養護施設に暮らす少年少女の日常が、なぜ多くの観客の胸を打つのか。ドキュメンタリー映像が持つ伝える力について、本作の監督・竹林亮さんと上出さんが語り合った。

上出遼平

『大きな家』は優しい映画でした。作り手の優しさがガシガシ伝わってきて、心地いい。実際にやってることは難しいしリスクの塊なのに、すごいなと。子供たちとはどうやって距離を詰めたんですか。

竹林亮

子供たちが生活する「家」で撮影を行うので、積極的にコミュニケーションを取りましたね。宿題を教えたり、引っ越しを手伝ったりして、「我々は役に立つよ」と伝え、警戒心を解くところからスタートしました。

上出

ドキュメンタリーにおいて、撮影者が被写体に干渉すると本当のリアルが撮れなくなるという意見は強固です。でも、そもそも被写体に影響を与えない撮影はあり得ない。だから『大きな家』のように、撮る人と撮られる人のやりとりが見える映像の方がよっぽどリアルだと僕は思うんですよ。

竹林

今作は将来の子供たちへのビデオレターみたいな気持ちで撮りました。彼らが自然と大事なことを話してくれるから、いつか本人たちが観て嬉しくなるような純度の高い映像に仕上げようと撮影も編集も進めました。当初はうっすらとあった、製作側の見せたいものと、観客が観たがるもの、そして子供たちが納得できるもの、といった三者のバランスに対する葛藤も、いつの間にか消えていたんです。

上出

被写体と撮影者が濃密な時間を過ごすことで、お互いの関係性が深まる。観客という第三者の存在を度外視した方が作品の純度が上がることは往々にしてありますね。現場の一対一のやりとりが心打つものであれば、その興奮は観客にも伝わるからそれでいいと思う。

でもあえて、やや意地悪なことを言わせてもらうと、ビデオレターなら公開しなくていいのでは?という疑問が浮かびます。竹林監督の胸中で、どのような納得を経て上映に至ったんですか?

映画監督・竹林亮
画面に映らずとも、子供たちと関係性を育む竹林監督。

竹林

まず撮影に入る前に、児童養護施設が抱えている課題を職員の方々に何度かヒアリングしました。そこで必ず話題に上がったのが「子供の自己肯定感を上げたい」ということ。成人すると彼らは施設を出て、社会人として一人で生きていく。その時、社会的な偏見にさらされて、生活が立ち行かなくなる子も少なくない。それを解消してあげたいと。

そこに僕らはこの映画を製作する意義を見出しました。彼らが自分自身を誇らしく思えるような映像作品を作れば、自己肯定感を育んでもらえるのではないかと。実際、撮っていくうちに子供たちは「これ、テレビで流してよ」と言ってくれて。

上出

自分の誇らしい姿を見てほしくなるんでしょうね。こういったジャンルのノンフィクションだと、子供たちのプライバシーに配慮してモザイクがかけられることもありますが、本作はみんな顔が出ている。それもこのことと関係しているんでしょうか。

竹林

はい。こちらが「子供たちを守る」という配慮でモザイクをかけても、当の本人たちは「自分の顔は世間にさらせないものだ」とネガティブに受け取ってしまい、自己肯定感どころではなくなってしまうんです。

でもだからといって、テレビでそのまま放映してしまうのは今の社会情勢、特にSNSを踏まえるとリスクが高すぎる。そこで本作は映画館のみで公開することにしました。配信にも乗せないし、映像ソフトにもしないと。

上出

そこが『大きな家』のユニークな点ですよね。この公開方法をめぐる葛藤は、図らずも映画館の価値を再認識させたと思うんです。普通、映画館で映画を観ることの良さって、でかいスクリーンとスピーカーがもたらす迫力だとか、家と劇場の行き帰りを含めての味わいなんかで語られがちです。

でも、被写体を守るために劇場で公開するとか、被写体がスクリーンに映る自分を観て誇りに思える点に価値を見出した。これは画期的なことで、改めて映画の力を実感しました。

竹林

実際に映画を観た子供たちは「僕らのこの気持ちを知ってほしい」とか、「自分たちの頑張っている姿を観て、励まされてほしい」と言うんです。自己肯定感を育むという意味では、なんとか成功したのかなと。それは本当に良かったです。

映画『大きな家』
『大きな家』
児童養護施設という「大きな家」の暮らしに密着する。それぞれの事情と向き合いながら成長する子供たちと、彼らを見守る施設スタッフたちを捉える。監督・編集:竹林亮
HP:https://bighome-cinema.com/

©CHOCOLATE

子供が飽きない映像は多くの観客を惹きつける

竹林

実は、上出さんの『ハイパーハードボイルドグルメリポート』も観ていたので今日お会いできるのが楽しみだったんですよ。

上出

本当ですか。昨日の晩、慌てて一夜漬けしたとかじゃ……。

竹林

そんなわけないです(笑)。『ハイパー〜』は取材対象者のインパクトもすごいですが、もっとすごいのは、グルメ番組というフォーマットを借りて、違う位相を見せていることで。世界のいわゆる“ヤバい人たち”も、食という観点で見れば、根底は私たちと同じ。そんな真理に肉薄していくじゃないですか。

上出

めちゃめちゃ良く言っていただくと、そういうことですね。

竹林

視聴者は「ヤバい」とか「極悪」みたいなものを観たがるけれど、上出さんは絶対その方向には行かない。被写体が「必死に生きている」という点が肝だから、結局めちゃくちゃ温かい話になっていく。

上出

ドキュメンタリーの方向性って大きく分けて2つあると思っていて。一つは、取材対象者と観客を違う存在として見せるもの。もう一つは被写体と観客は同じであると突きつける。

竹林

そうですね。

上出

同じ被写体を撮っていても、どっちの方向性で見せたいかによって全然違う映像になる。でも観る側は、自分たちと同じものなんて別に観たくないんですよ。身も蓋もないことを言えば、観客は自分を普通の側に置いて、映像作品では自分とは違う“ヤバいもの”を観たがる。

これは良い悪いの話じゃなくて、人間の根源的な欲求だと僕は思っています。だから宣伝や番組の導入では「ヤバい世界のヤバいやつらのヤバい飯」と違いを際立たせる。でも出口では「結局人間みんな一緒だよね」という結論に持っていく。

竹林

僕は映画を撮る時、基本的に入口を考えられてないので、そこは見習わなきゃな、と思います。

上出

でもこのやり方って基本的には普通のテレビのカウンターをやろうとしただけで、偉くもなんともないんです。テレビって人をラベリングして、犯罪者も不倫した人も一緒くたに極悪人に仕立て上げる。「こんなに悪い人がいる」と喧伝することで、視聴者は「彼らは自分とは違う人間だ」って除外して安心するじゃないですか。

それは世の中でたくさん起こっているヘイトの縮図でもあって、テレビはその流れにずっと加担してきた。だから僕はカウンターとして、あなたがあっち側にいると思ってた人も、実は同じ側にいるんだよ、と伝えたかったんです。

竹林

そのメッセージを前面に出しても、視聴者が少なかったら意味がない。でも上出さんはたくさんの人に観てもらうフォーマットを利用して、より多くの人に届けようとする。その番組の構成が見事です。

上出

テレビはスポンサーあってのもので視聴率の世界ですから、そこをないがしろにしたもの作りは今まで一度もしてないつもりです。入口は広ければ広いほどいい。だから導入ではなんでもやります。

竹林

上出さんは自ら企画書を書いて自分で撮ってるわけですけど、そもそも僕の場合は依頼されて撮っているという違いも大きいですよね。

上出

『大きな家』のプロデューサーは俳優で映画監督の齊藤工さんですね。

竹林

齊藤さんの「児童養護施設を撮った作品が作りたい」という思いを僕が引き受けました。以前撮った、とある中学校のクラスに密着した『14歳の栞』も企画担当者からの相談がきっかけ。だから僕は「いかに観てもらうか」という入口にわりと無頓着で……。

映画『14歳の栞』
『14歳の栞』
とある中学校の「2年6組」が過ごした3学期を記録した映画。35人全員を主役とし、生の表情と声を収めている。「今でも彼らとはLINEでつながっていて、皆立派に成長しています」(竹林)。監督:竹林亮/2021年公開。

©CHOCOLATE

上出

でも実際にはどちらの作品もかなり話題になっているからすごいですよ。僕が長々としゃべった「入口・出口論」なんて本当はどうでもいいのかもしれない。伝わるドキュメンタリーっていうのは、撮れたものが美しいとか魅力的ってことに尽きるんであって、僕の手法はトリックにすぎない。

竹林

いやいや(笑)。僕がその感覚を身につけられたら、もっと多くの人に映画を観てもらえるのになと本気で思います。でも、子供たちの日常に入り込んで、彼らの大切な生の声を撮らせてもらうにつれて、この子たちが映画に関わったことで悲しくなったり悪い影響を受けたりしないでほしいってところに集中してしまう。彼らにちょっとギフトを手渡したくなるんです。

上出

それで“ビデオレター”という形式になるわけですよね。

竹林

そうですね。でも2時間の映画を子供たちが飽きずに観られるように作ると、必然的に映画として観やすいものになるんですよ(笑)。

上出

だからほかの観客にも伝わるのか。それは面白いな。

竹林

入口の話に戻ると、映画の場合は宣伝の方々が担ってくれるから僕は作品に集中できるのもあります。『大きな家』の場合は齊藤工さんが前面に出てくれますし。ありがたいです。

上出

作品が良いから、みんなも宣伝しようと思ってくれるわけですからね。結局良いものを撮るっていうことが一番てっとり早いんでしょうね。

映画監督・竹林亮、映像ディレクター・上出遼平
左/竹林亮さん「被写体に向けたギフトになるような映像を撮りたくて」 右/上出遼平さん「異なる社会環境を生きる人も結局は僕らと一緒なんです」

2人が影響を受けた、伝わるドキュメンタリー

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