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高橋幸宏が見た、日本のロックが国境を越えた瞬間。小山田圭吾と語る〜前編〜

黎明期、日本のロックは日本語という障壁によって閉ざされていた。だが黒船・ビートルズ以降、日本からも海外を目指すミュージシャンが現れたのである。その先駆者の1人、高橋幸宏と小山田圭吾、海外での演奏経験豊富な2人が語る、日本のロックが国境を越えた瞬間。後編はこちら

初出:BRUTUS No.680日本のロック♡愛』(2010年2月15日発売)

photo: Yasuhide Kuge / text: Kyoko Sano(Do The Monkey) / thanks: kongtong@mishuku

小山田圭吾

今日はNHK教育テレビで放映された郡山ワンステップ・フェスティバル(*1)のドキュメンタリー映像を持ってきました。これにはサディスティック・ミカ・バンド(*2)もプラスティック・オノ・バンド(*3)も出ているんですよね。

高橋幸宏

当時としては画期的なフェスだったと思うよ。僕はオノ・バンドのダブルドラムを、小原礼と一緒に舞台の袖から食い入るように見ていた。

小山田

(映像を見ながら)お客さんがステージのノリについていけてない感じがしますね(笑)。でも、ほかの昔のロックフェスを見たら、観客がシンナー吸ったり、一升瓶持ってたり。

高橋

まだシンナーだからかわいいもんだけどね(笑)。

小山田

60年代に幸宏さんのお兄さんはザ・フィンガーズ(*4)というバンドにいたんですよね。

高橋

そう。フィンガーズは『勝ち抜きエレキ合戦』で優勝してプロになった。その時優勝争いしたのが寺尾聰のいたザ・サベージ。中学生の時にフィンガーズで、僕はトラ(エキストラの略)でドラムを叩いたこともある。

小山田

中学生でトラ!(笑)幸宏さんの最初のバンドは?

高橋

ブッダズ・ナルシィーシィー。16歳の時、軽井沢の三笠ホテルの隣でダンスパーティがあって、そこに出ていたのが僕らのバンドと慶應大学のバーンズ。「バーンズに、すごいベーシストがいるらしい」と噂に聞いていて、それが細野(晴臣)さんだったんだよ。

小山田

初めての出会いが軽井沢!

高橋

当時、うちの別荘が南軽井沢にあってね。細野さんは旧軽のサマーハウスにいたんだけど、自転車で真夜中にうちの別荘に来たんだよね。細野さん、Leeのホワイトジーンズを穿いてたなぁ。

小山田

そこで細野さん、お茶漬けを食べたんですよね?(笑)

高橋

うん。「お茶漬けをスプーンで食べるのは初めてだ」ってあの口調で言ったのを覚えてる(笑)。

小山田

もうスタジオの仕事もしていたんですか?

高橋

最初にギャラをもらったのはCMの仕事なんじゃないかな。ピーター・マックスがビジュアルを手掛けたチョコレートのCM音楽だったと思う。その後はGARO(*5)に参加したりとか。

小山田

僕が生まれた69年にはもうプロだったってことですね。

高橋

この前、柳田ヒロ(*6)と久しぶりに会って昔話になったら、「あの頃ロックは金持ちしかできなかった」って言ってたな。

小山田

楽器も高価だったし、練習するにも街のスタジオなんてないわけですもんね。

高橋

だから日本のロック黎明期は比較的余裕のある家庭の坊ちゃん、お嬢様が多かったかもしれないね。ユーミンもそうだったかも。彼女のデモテープを録っていた時に僕が怒ったことがあって、ずいぶんたった頃に、コンサートで彼女、「生まれて初めて人に怒られた」って言ってましたから(笑)。

小山田

その後がミカ・バンドですね。

高橋

ロンドンでトノバン(加藤和彦)と偶然会ったんだけど、その時に、あれ?トノバンがキース・リチャーズと一緒にいると思ったら、キースにそっくりの大口広司(*7)だった(笑)。

小山田

ロキシー・ミュージックとの全英ツアーも伝説ですよね。

高橋

ロキシーは『ラブ・イズ・ザ・ドラッグ』がチャート1位になって飛ぶ鳥を落とす勢いだったから、ツアー初日なんて彼らにとってはゲネプロみたいなものだったらしいけど、こっちは心臓バクバク。まだ海外にコンプレックスがあった時代だから、大和魂でいくしかなかったんだよね。『メロディメーカー』などイギリスの音楽誌はこぞって絶賛してくれたけど。

小山田

音楽的にもかなり衝撃だったんでしょうね。

高橋

後藤次利は「フラメンコギターのような驚異的なベース」と書かれたし、演奏力に関してはイギリス人も驚いていたみたい。YMOの時はロックは西洋人の民族音楽だという居直りがあったけど、ミカ・バンドは幕の内弁当的なロックと言ってたのかな?でも、それがどこまで通用するかはまったく未知数だったね。

小山田

うちの父の従姉妹にあたるおばさんが昔、ブライアン・イーノと付き合っていたらしいんですよ。『007は二度死ぬ』にも出ていたみたいなんですけど、そのおばさんいわく、「圭吾ちゃんの音楽はイーノみたいね」って(笑)。

高橋

トンでるおばさんだね。でも、ミカ・バンドもある意味、プログレッシブロックみたいなところがあったと思う。

小山田

想像だけど、ロキシーより絶対うまかったと思いますよ。サディスティックス(*8)のライブ映像をYouTubeで見たんですけど、演奏がメチャクチャうまい!

高橋

ただ、サディスティックスはあのまま続けていたら、フュージョン色がどんどん強くなりそうだったからやめたんだよ。だから細野さんからYMOに誘われた時は、渡りに船でね。でも契約の問題があって、それも細野さんが話をつけてくれた。あそこで細野さんが見せた男気は、一生忘れられない。

小山田

幸宏さんは60年代から70年代の、ロックが変革していくど真ん中のいちばん幸福な時代にいたわけですよね。

高橋

そうね。ビートルズもモータウンもサイケデリックもヒッピーも、その時代に経験してきたから。

小山田

僕らは、何もなかったと言われる80年代から90年代世代だから、ある意味うらやましいです。

ミュージシャン・高橋幸宏と小山田圭吾