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巨匠建築家・吉村順三が心地よさを追求し造り上げた名湯の宿、嬉野温泉〈大正屋〉

非日常を演出しながらも、快適な空間を創造する。建築の役割は、泉質以上に難しい。果たして、巨匠建築家が導き出した答えとは?

初出:BRUTUS No.858『温泉♡愛』(2017年11月1日号)

photo: Satoshi Nagare / text: Ai Sakamoto

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大正屋(嬉野温泉/佐賀県)

心地よさを追求した建築家が、長い歳月をかけて造り上げた名宿

日本三大美肌の湯に数えられる佐賀・嬉野温泉。その中心地の一角、こんもりとした杉木立に囲まれるようにして〈大正屋〉は立つ。設計は伝統的な日本建築とモダニズムの融合を図った巨匠建築家・吉村順三。人間の身体感覚に沿った、居心地のよい建築の名手でもある吉村は、また京都の〈俵屋〉や〈文珠荘〉といった和風旅館も手がけている。

ここ〈大正屋〉は、その旅館建築の集大成ともいえる宿。1974年に本館、78年に離れと別館、86年に大浴場「四季の湯」、そして90年に東館と、15年以上にわたり、増改築に関わったという。始まりは、3代目である現在の大女将・山口英子さんとの出会いだった。

本館の建て替えに際して、前述の2つの宿を訪問した山口さんはその手腕と美意識に惚れ込み、吉村に設計を依頼。かくして長いプロジェクトが始まったのである。

簡素でありながらも、豊かな空間作りを身上とする吉村の建築は、ことさらに主張しすぎることはない。天井を低く抑えながらも、雁行する窓で周囲の緑を切り取り開放感を生み出すロビー、曲線を描くカウンターと赤い絨毯がチャーミングなナイトラウンジ。

建築家・吉村順三が手がけたフロント横にある本館ロビー
フロント横にある本館ロビー。設計を手がけた建築家・吉村順三らしい低く抑えた天井が不思議と安心感を生む。横長の窓から望むのは庭の緑。窓下の腰壁と家具の高さが揃えられ、統一感を生む。

客室には外枠と内側の組子の寸法を同じにすることで、閉めたときに複数の障子が1枚のように見える通称・吉村障子を採用。大きくとられた窓からの眺めを邪魔しないための繊細な窓枠や、和室でも違和感のない座面の低い椅子や照明など、随所に吉村らしい意匠を見ることができる。

中でも、建築好きならぜひ訪れたいのが2つある大浴場だろう。本館地下にある「滝の湯」は横長のピクチャーウィンドウの向こうに人工の滝が見える仕掛け。湯面と、ニシキゴイが泳ぐ池の水面がほぼ同じ高さのため、湯に浸かっていると屋内外の区別が曖昧になってくるのが面白い。

一方、ガラス張りの2層吹き抜けが気持ちいい「四季の湯」は下階が男風呂、上階が女風呂になっており、窓や天井の一部は開放することもできる。

建築を構成する重要な要素として、家具から照明、什器、テキスタイルに至るまでを自らデザインした吉村。もちろん、ここでもそのスタイルを貫いている。和洋を融合させた空間やレトロモダンな家具、ポップなサイン。丁寧に磨き上げられ、大切に使い続けられてきた“愛される建築”がそこにある。

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