文と画・ 牧野伊三夫
二十一歳の春、はじめて海外を旅した。行先は、南米ペルー。小学校のとき、好きだった担任の先生がこの国の日本人学校に赴任して、それ以来、地球儀を回しては、旅することを夢見ていた国である。宿を一泊も予約せず、パスポートさえあればなんとかなるだろうと行き当たりばったりで出かけた一人旅だった。
首都のリマに到着すると、スペイン語しか受け付けない税関で一人取り残されたが、乗ってきた飛行機の客室乗務員の助けで、なんとか入国できた。僕が話せるスペイン語はただひとつ、「セルベッサ(ビール)」だけであった。空港を出ると、金網越しにタクシーの運転手が群がっており、そのなかの人のよさそうなのに目星をつけ、どこかホテルへ連れて行ってくれと頼んだ。
タクシーといっても、メーターも何もないポンコツ車で、座席はシートが破れ、バネはむき出し。がたがたと道路の凸凹が尻に直接伝わってくるので、僕は後ろの座席で終始中腰になっていた。砂埃をあげ、ものすごいスピードで走るので、一体何キロ出ているのかとスピードメーターをのぞくと、針は0を指したまま動いていない。
でも実は僕は、こういうでたらめな感じがとても好きなのである。こちらの身なりを見て判断したのだろう、運転手は「ホテルデルソル」という安宿へ連れて行ってくれた。
ペルーではセビーチェを食べろと本に書いてあったので、あちらこちらの食堂で食べたが、通りの屋台で食べたのがまずかったのだろう、腹をくだし、到着早々、高熱で寝込んだ。今思えば危なっかしいが、若かった。
熱が下がると日本人のいる旅行代理店でツアーを買い、数日間、マチュピチュの遺跡やナスカの地上絵を見物する旅に出た。その間、ほとんど人と話さず列車やバスの窓を眺めていたが、何時間走っても変わらない雄大なアンデスの山々と空だけの景色は、もう、どうにも素晴らしく、まったく飽きることがなかった。
なかでももっとも忘れられないのが、クスコへ向かう高原鉄道。険しい山のなかを走っているうち、やがて陽が傾いていった。僕はボックス席に座り、向かいでは知り合ったばかりのアメリカ人の中年の男と女が楽し気に話をしていた。そのうちに、すっかり陽が暮れると、列車は灯りのまったくない高原を静かに走りはじめた。すると、そこへ派手な衣装をまとい、帽子をかぶった男がやってきて、チャランゴで地元の民謡を奏ではじめた。
乗客たちは投げ銭などして聴いていたが、天に届くような山の影から大きな月が出ると、みないっせいに外の景色に見入った。月明りに照らされ、ぼんやりと闇に浮かぶ山々。と、そのときだった。ぱっと電車の明りが消され、驚いた客たちがいっせいに、うおおっと声をあげ、暗くなった車内は窓からさしこむ月明りだけになる。

ここで、心得たチャランゴが、誰もが知る「コンドルは飛んでいく」の演奏をはじめた。興奮した客たちは手を打ったり、足をならしたりして大喜び。なかには立ちあがって踊り出すのもいた。僕はたまらなく愉快になった。お客のほとんどは外国人観光客で、それを意識しての演出であったかもしれないが、そんなことは、どうでもよかった。
夜更けにクスコの街に到着すると、セーターのうえに上着をかけても寒かった。標高三四〇〇メートルの高原都市は空気もうすい。駅前広場のバーへ行ってみると、列車で向かいにいた男女が、もうすっかり仲よくなって酒を飲んでいる。
僕は一人、カウンターで、ピスコというインカの遺跡の顔の形をした奇妙なボトルの酒を注文したが、生卵を混ぜ入れた甘いカクテルが出てきて、これはまったく飲めなかった。他の酒をもらい、サンドウィッチかなにか食べたかもしれない。酔っぱらってそろそろホテルへ戻ろうかと店を出た。すると、路地の薄暗い外灯の下で、さきほどの男女が抱き合い、濃厚なキスを繰り返していた。