Drive

道具としてのクルマについて、SUBARUに乗って考える

東京・恵比寿から千葉県鴨川市までクルマで走り、新しいライフスタイルを築いている人たちに会いに行った。彼らの話を聞きながら、地に足のついた生活に必要なものについて考える。今、必要なクルマとはどんな機能を持った道具だろう?

photo: Koh Akazawa / text: Toshiya Muraoka

高速道路で実感する、
“巨大な四駆車”の安心

私の暮らす街は、細い道が多い。だから小さなクルマに乗っているのだが、向かいからしばしば巨大な四駆車が走ってくる。そのたびに、このクルマはオフロードを走ったことがあるのだろうか?と思ってしまう。少なくとも私の暮らす街で四駆の機能が必要なのは、年に一度か二度、雪が降った日だけだ。雪山に行くのが趣味なのかもしれないなと思い直しつつ、小さなクルマの中で、大きなクルマが通り過ぎるのを待つ。どうしても暮らしに寄り添っていない道具のように見えてしまう。

クルマは、移動ができるタブレット端末にすぎないという考え方さえ、リアリティを帯びつつある。100年に一度の動力源の大変革時代において、クルマの存在がどのように変化していくのかを日本のクルマ会社も模索しているのだろう。その過渡期にあって、SUBARUの試乗会は、「東京から千葉まで、二拠点生活をしている人に会いに行きませんか?」という新しい提案だった。

東京・恵比寿のSUBARU本社から千葉県鴨川市まで、LEGACY OUTBACKを運転する。いわゆる“巨大な四駆車”は、乗っている人にとっては確かにゆったりと居心地がいいが、道が混んでいたために低速のストップ&ゴーを繰り返し、やはり何のための四駆車なのだと思ってしまう。関東近郊では、これだけのスペックが必要な場所があるのかしらという凝り固まった思いは、しかし高速道路に乗り、景色が流れていくのに合わせて、少しずつ溶けていく。

SUBARUの一押しである、高度運転支援システム「アイサイトX」という機能を使ってみる。高速道路では、GPSなどの情報と高精度の地図データを組み合わせることで、位置を正確に把握し、アクセルにもステアリングにもほとんど触れずに、カーブもスムーズに曲がっていく。その“楽さ”に驚いてしまう。自動運転ではないのだが、常にアクセルを踏まず、手を添えつつもステアリングを離せる機能は、長距離運転の負荷を確実に減らすだろう。東京湾アクアラインを過ぎて南房総市に着く頃には、東京と千葉を行き来するならば、“巨大な四駆車”ほど、快適で安心なものはないと思い始めてしまう。

SUBARUを運転
アイサイトX」による、ステアリングのサポートは、慣れないうちは不安になるが、すぐに慣れて必要な機能に感じられてしまう。
低山が多く、その合間に田んぼが点在している。鴨川らしい風景
低山が多く、その合間に田んぼが点在している。鴨川らしい風景。

建築士によるセルフビルドは、
オフグリッドの実験場だった

今回の取材で訪れた移住者は、それぞれが自分なりのライフスタイルを築くべく、試行錯誤している人たちだった。例えば、建築士の神向寺信二さんは、東京との二拠点生活を送りながら、セルフビルドでオフグリッドの平家を建てたという。房総の田んぼの風景が気に入り手に入れた300坪で、さまざまな“実験”をしている。

かつては神主が暮らしていた土地は、家の裏手に神社の鎮守の森を背負い、近隣には田んぼ、開けた東側の遠景には低山が取り囲んでいる。そのために、いかにこの土地が守られているか、という話から、古くから移住者が多いために暮らしやすい場所であるという町の歴史、さらにセルフビルドの面白さへと話題が移っていく。

建築設計の仕事をするからには、まず自分で家を建てるべきだったと神向寺さんは言った。それほど学びが多いのだという。なぜなら「部材の大きさ、強度が身体でわかっていなければ、本来は設計できない」から。かつて大工の棟梁は、大工を束ねて進行を管理するマネージャーであると同時に、現場で部材をアレンジするデザイナーでもあったという話に説得力を感じる。部材の強度がわかっていなければ、木材の太さを選択できない。それがデザインの肝となる、という趣旨だった。

神向寺さんは、風が抜けるよう構造を設計していたが、想定していたほどは風が抜けなかったと反省点を口にする。夏場は気持ちの良い外キッチンも、冬は寒過ぎるという。失敗も成功も、すべて五感に変換される話だった。その口振りが少し誇らしげに聞こえるのは、自分の手で得た実感があるからだろう。建築士という仕事の面白さが滲むようだった。生活者としての神向寺さんが語った欠点を補ってあまりあるほど、簡素で実験的な平家は、機能美に満ちた佇まいだった。

まるでウブドのような、
完成しない理想郷

あるいは広大な土地を手に入れ、まるでバリ島のウブドのように、鬱蒼とした森の中に理想郷をつくっているオーストラリア出身のヘイミッシュ・マーフィーさんは、自分の暮らし全てを設計しようとしている。石積みの上に、中央に柱のない不思議な構造の舞台に迎えられた。

ヘイさんは、斜面になった広大な土地のうち、どこにどんな家を建てるかだけでなく、畑の場所、鶏やバリケンというカモ科の家禽を放牧する場所、溜池の位置など、動植物がうまく循環するように設計している。化学的な洗剤などを使わない家庭内の排水は、バナナを大きくし、アンモニアはレモンに実を成らせるという。現在の家は、自分が配置したそれらの循環の様子を眺められるように高台に位置し、張り出したベランダからは鴨川の緑の深さも眺められる。

移住して4年の間に、敷地内の構成は少しずつ変わり、今もアンダー・コンストラクションという。完成形は?と尋ねても、「さあ?自分の中からどんなものが出てくるのかを見極めているところ」と答える。鹿やキョンといった猟師が仕留めた野生動物をソーセージに加工する施設も作ってしまった。タイニーハウスを建て、宿泊施設にしようかとも考え中で、計画はあくまで計画、心に従うように生きていきたいとヘイさんは言う。

神向寺さんが「土地と建築の実験」ならば、ヘイさんはいわば「土地と自分の共鳴」を追い求めているように見えた。

エディブルフラワーを生産する苗目
エディブルフラワーを生産する〈苗目〉でも話を聞いた。

鴨川のハウスで、草原に出会う。〈苗目〉が実践する地方再生の一手

快適な移動手段こそ、
二拠点生活に必要な道具

自分の手を動かして何かを作っている人たちは、大量に荷物を載せて運ぶ必要があり、普段の足には軽トラを使っていた。荷台に石を積み、切った木材を載せる。近所のホームセンターに何かを買いに行く足として、軽トラほど頼もしい“道具”はない。土地に根付いて暮らすほどに、道具としてのクルマは美しく見える。軽トラこそが、カッコいい道具であるという価値観が理解できなければ、二拠点生活なんてできないのかもしれない。

一方で私は、彼らの暮らしを訪ねる際にはLEVORGに乗り替えて行った。OUTBACKに比べれば、ひと回り小さく、アクセルを踏んだ分だけきびきびと動く。山の斜面を上り、狭い農道を走る際に、四輪駆動の安心を感じる。東京と千葉を結ぶ暮らしには、きっとこのクルマは合っているだろう。SUBARUが、なぜこの企画を立案したのか、見事に体感してしまった。小さな街に暮らす私のライフスタイルには必要ないが、確かにLEVORGOUTBACKに似合う暮らしが、東京と千葉との二拠点生活にはあるのだろう。

帰りの高速道路では、往路よりも慣れた「アイサイトX」の機能のおかげで、渋滞したアクアラインも疲労感が少なかった。千葉に行った翌日も、通常モードで生活できる。そのためには快適性こそが、都会の生活者にとって必要な道具なのだろう。