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奇食珍食は美食家への道?奇食を知るには、猛者たちの本から学べ!文・野村訓市

生命維持のための食物摂取にとどまらず、おいしい食事をすることの快感を知ってしまった人類。その喜びを至上のものとして、飽くなき探究心を持ってとことん追求するのが美食家だ。で、奇食珍食の道を突っ走ってしまうこともしばしば。そんな挑戦者たちの姿を追った。

初出:BRUTUS No.688「美味求真」(2010年6月15日発売)

illustration: Kaeko Akaike / text: Kunichi Nomura / photo: Tetsuya Ito

野村訓市

食の世界と夜の世界にはゲテモノ好き、というジャンルがある。いや訂正しよう、奇食珍食好きの方々がいる。どちらも普通の御仁が絶対に口にしないようなものを嬉々としていただく。見かけだけではわからない奥深い世界がそこにはあるのだ。

ありとあらゆる旨いものを食らい、あらゆる快楽に身を投じていると、もはや普通に手に入る、金さえ払えば手が届くというものには魅力を感じなくなるのだろう。どんなにグロテスクだろうと等しく見ようとする大きな愛があるのかもしれない。あるいはただ冒険してやろうという少年のような好奇心からチャレンジする人もいるだろう。

美人は3日で飽きるというように、ただきれい、旨いだけではもう満足できない人が、常人が気づかない何かを敏感に嗅ぎ取り、奇食珍食に食らいつく。それはオカルト、美食道、人類学、文化論が複雑に混ざり合う興味深い道。そしてそれは既存のレールを生きるだけの人生からの逸脱を約束してくれる、男の道でもある。そんな奇食道を知るには、人生をそこに懸けた諸先輩方の本から学ぶのが一番手っ取り早い。

何が奇食珍食なのかを定義するのは難しい。日本で普通に食べられるもの、例えばシラウオの踊り食いも他国から見れば奇食だろう。グルメを唸らすウニでさえ、気持ち悪いと手を出さない輩もたくさんいる。そんな奇食珍食の世界の中で有無を言わさない先進国といったらそれは中国以外にない。4000年の歴史の中で、この世に生きるものたちを全て食わんとするその貪欲なまでの好奇心。

今号(No.688「美味求真」2010年6月15日発売)の特集のもととなった木下謙次郎の『美味求真』の続編『続美味求真』にもオランウータンを食べる話が出てくるが、そんなものまで食のためならササッと炒めてしまうのが奇食大国・中国。そんな中国の歴史を端的に表すのが、歴史に残る悪女にしてグルメ、清の西太后の時代に完成を見た満漢全席。100種を超える料理を数日にわたって食べるというこの料理は、あまりの贅沢に国が滅びる原因となったといわれるほど。

南條竹則の『満漢全席』に詳しいが、そのメニューにはフカヒレにアワビなんていう普通においしそうなものに交じって、ラクダの瘤(こぶ)だの、鹿の尾だの奇食珍食臭がプンプンするものがズラリ。実際臭くて食えないのではと思えるものもあるわけで、これを皇帝料理として喜んで食べていたとは、どんな趣向なのか?もしかしたら、料理は素材もさることながら味つけも大事という中華の真髄を伝えようとしていたのかもしれないが。

奇食の王道としてはまず、臭いもの、異臭料理がある。昔から臭いものには蓋をしろと言うが、嗅ぐなと言われれば嗅ぎたくなるのがフェチの性(さが)。そしてその臭気を乗り越えたところに珠玉の味わいが待っているらしい。筆頭は日本が世界に誇った冒険家、植村直己の『植村直己の冒険学校』や『極北に駆ける』などの北極ものの著作に登場する、キビヤック。

赤池佳江子 イラスト
植村直己がハマッた発酵させた水鳥。肛門から液状化した内臓をすする。

イヌイットのご馳走として有名なこの食べ物はアパリアスというツバメに似た水鳥を皮下脂肪だけ残したアザラシの中に突っ込み、数ヵ月から何年もの間、土に埋め発酵させるというもの。その匂いはすさまじいというが、食べ方のほうもすさまじい。

肛門から発酵し液状化した内臓をまず吸い出し、それから頭までバリバリと食う。お味のほうも腐ったブルーチーズ、いや糞のようだと様々だが、植村直己は現地の人と同じものを食するというポリシーから手をつけて、その後大好物になるほどハマッたらしい。彼は同じく匂いがキツいというアザラシの生肉をなんとも旨そうに描写している。極限状態にいるとなんでも旨く思えるのだろうか?

ちなみに植村直己というと奥様にまで奇食を迫ったらしい。夫との想い出の中でアザラシの脳髄で作ったスープを語っている。イヌイットにとっては最高のご馳走だと、旦那に食え食えと言われたが、それはタダ生臭さ立ち上るスープ、恐ろしいディナーだったという。奇食好きのパートナーを持つのも大変である。

キビヤックとともに異臭料理として有名なのがホンフェ。韓国生まれの、この激アンモニア臭のするエイの発酵料理は、小泉武夫の『くさいはうまい』にも出てくる臭うまの代表例といったところ。堆肥で発酵を促進すると聞くとさらに近づき難いものではあるが、これはマッコリと共に食らうことが推奨される高級料理として祭事で振る舞われるらしい。刺激臭に涙しながら食べるのがいいというが、ハードルがちょっと高すぎる。

そして同じくこの本には、異臭料理のチャンピオンとして有名なシュールストレミングも出てくる。主にスウェーデンで食べられるニシンを発酵させたこの缶詰は、匂い爆弾として飛行機内への持ち込みが禁止され、野外での開封が推奨されるほどハイパワー。ドブのような匂いが殺人ガスのような刺激で果てしなく追ってくるというこの缶詰、パンにのせて食べるというが、一体誰がこんなものを苦労して食べるのだろうか?

数ある試食の感想はどれを見ても、食べ切ったという興奮だけで味のことは出てこない。もっとも、皆と食べるときに達成感をもたらしてくれることで一体感をも生み出すという意味では、究極のご馳走なのかもしれないが。

赤池佳江子 イラスト
珍食界の絶対王者、小泉武夫が異臭料理のチャンピオンとしたスウェーデンのニシンの缶詰シュールストレミング。

この手の発酵料理だと、冒険家・関野吉晴の『北の狩猟民とともに』に出てくるコパルヒンというイヌイットが食べるセイウチの発酵肉などもあるが、異臭料理のカギは発酵にある。発酵のため原材料とはかけ離れた殺人的な匂いを発するそれらの料理は、一部に熱狂的なファンを作り上げるほど支持されている。そう、確かに異臭料理は奇食好きが避けては通れない王道といえるのだ。

植村直己じゃないが、世界の果てを旅する好奇心の塊のようなジャーナリストも各地で奇食に出くわす。文化の違いか当然世界各地ではとんでもないものが珍味として愛されているわけだが、そんな珍食に臆することなくがぶりと食らいついていく彼らの様は痛快だ。

美食家にしてハードボイルドな小説とエッセイで人気だった開高健の『小説家のメニュー』には、現地人を前にピラニアを刺身でぺろりと食べるシーンが出てくる。骨の多そうな魚だが、持参の醤油とワサビで食いつくその記述を読めば、なるほど旨そうな魚に思えてくる。ちなみに開高健は『最後の晩餐』では四川料理としてその存在が怪しまれる蚊の目玉スープなるものも紹介している。蚊を食べるコウモリの糞から目玉を集めるというが、ここまでくると珍食というより100%ゲテモノといえよう。

こういう奇食珍食は中国を筆頭にアジアでなぜか多い。珍食界の絶対王者として数多くのフォロワーを持つ小泉武夫の『アジア怪食紀行』ではそんな料理のオンパレード。トカゲの生春巻きに蒸し虫パン、泥ガメの串焼きと、見慣れた料理の中に見慣れぬ食材がズラリと並ぶ。それをしっかりと批評していく様はまさに珍食キング。砂トカゲの姿焼きを地鶏のようだと絶賛するその批評を読めば、誰もがきっと食べたくなるはず。

奇食珍食はそのビジュアルも重要だが、その中でも飛び抜けた存在が昆虫だろう。地球外の生物のような容姿の彼らを食べるにはそれなりの勇気と度胸が要求される。昆虫といえば『ファーブル昆虫記』のファーブルだが、昆虫記にも蝉を揚げて食べる話が出てくる。

蝉は広く食べられる虫としてそれなりの評価を得ており、中にはソフトクラブシェルのようだと評する人もいるが、ファーブル自身はあまり薦めてはいない。自分の愛する対象を食べてしまうという偏愛の行為に良心が咎(とが)めていたのかもしれない。とはいえ昆虫は栄養価が高く、世界各地で貴重なタンパク源として食べられている。

2009年亡くなったレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』においても、現地人の宴に招かれ、焼かれた芋虫を必死で食べるエピソードが出てくる。西洋人にとってはゲテモノでも、行くとこに行けばご馳走という文化の違いの代表的な例と言えようが、これは辛い。口の中で噛むと苦味ある甘味がトロッとこぼれ出すというのが昆虫食共通の認識。

赤池佳江子 イラスト
レヴィ=ストロースが芋虫を必死に食した『悲しき熱帯』。

ここをクリアできれば虫、特に芋虫系は食べ甲斐があるらしいが、普通でいえばそれこそは努力しても越えられないライン。野中健一の『虫食む人々の暮らし』にはアフリカにいるモパニガの干した幼虫が出てくる。そのままスナックとして食べて良し、水で戻してスープにしてもおいしい、癖のない万能食材と絶賛だが、客観的に味わえるようになるにはかなりの努力が必要なはず。

もっとも日本でも、虫を食らうというのは地方によっちゃ普通の食事。長野県ではざざむしや蜂の子の佃煮なんていうものが珍味として立派に流通している。日本固有の醤油ベースの味つけで、ビジュアルさえクリアできれば案外手をつけやすいのは国産品なのかもしれないですね!

虫といえばお隣、韓国ではカイコの蛹(さなぎ)を茹で、味つけしたポンテギなる食べ物がある。屋台で普通に売っている庶民の味らしいが、ルックスはもう相当にマズい。さくらももこの『ももこのいきもの図鑑』には著者が口にポンテギを放り込んだ様子が巧みに描かれているが、後に訪れる後悔がメインとなっており、いかに虫を味わうということが難しいかを実感させてくれる。虫はやはり味がどうこうという前に、それを口に放り込めるのか、というのが一番の問題。

猛者にとってはなんでもないことなのかもしれないが、虫どころかどんなものでも放り込める、日本が誇る動物王にして麻雀の鬼、ムツゴロウこと畑正憲は、『われら動物みな兄弟』で、アメーバといった原生動物まで食べた話を披露している。味なんてないらしいが、アメーバも食ってやろうと思うムツゴロウには、生き物全般への分け隔てない愛が確かにあります。

そんな中、ムツゴロウお薦めの絶品料理として出てくるのがヒマラヤ山猫の刺身。哺乳類の中では一番と言ってますが、どうなんでしょうか?ネコ科の肉は茹でるとアブクが出るだの滅茶苦茶臭いだので有名で、寄生虫の存在も怪しい。通常の胃腸を持つ人は激しく避けたほうがいい食べ方だが、そんな食べ方ができるのだからムツゴロウは動物王なのだろう。

哺乳類といえば身近な存在ながら遠いともいえるものにヤギがある。沖縄では広く食べられるヤギ、その刺身なんていうのは私的に言って立派に珍食に入る部類。しかしまた何で匂いのキツいヤギを食うのか?それを知るには平川宗隆の『沖縄でなぜヤギが愛されるのか』がお薦め。ヨモギで匂いを消さないとちょっと辛いヤギ肉を見る目も、これで変わるのは確実。ヤギの睾丸の刺身まで愛せるかどうかはわかりませんが。

珍食というとビジュアルがキモと書いたが、ぬるぬるした両生類や海に棲む軟体性の生き物なんていうのはどんなに旨いとはいえ、できれば避けたいもの。そんななか、食通と呼ばれる猛者たちは、味さえよければなんでもいいとそんな彼らも食ってしまうわけだが、一番興味をそそられるのがキング・オブ・食通としていまだ絶大な影響力を誇る北大路魯山人の著作に出てくるサンショウウオ。

タニシの食いすぎで命を落としたなんて伝説がある魯山人だが、そこまでタニシにポテンシャルを感じるところがまさに食通。そんな魯山人の『魯山人の料理王国』には天然記念物オオサンショウウオを食していると思われる話がある。当然今手を出せば即刻逮捕、叶わぬ幻の味だが、その身はさばいたときに山椒(さんしょう)の香りが立ち込め、煮込むと美味なりなんて書いてある。

一体どんな肉なんですかね?カエルのように鳥のササミみたいな歯応えなのか?あのヌメッとした皮も食った先に食通への道が開けているのかもしれない。中国へ行けばまだ食べられると聞くが、同じく山椒の香りが漂うのだろうか?

それと魯山人が『魯山人味道』で酒飲み、美食家に激賞し、そして今でも食べることができる珍味が、海鼠(なまこ)の卵巣だけを取り出した生くちこ。海の恵みそのものの味といわれているが、あの気持ち悪い海のヘチマのような海鼠から出てきた卵巣を海の恵みと最初に手を出した人は詩人だったに違いない。

海産物の中でグロテスクながら旨いとされる珍食がワケノシンノスと呼ばれるイソギンチャク。その名前が方言で若い男の肛門っていう意味からもルックスがどんなに締まったものか想像しやすいもの。美食家で有名だった檀一雄の『美味放浪記』にも出てくるこの通称ワケの味噌汁のお味は、濃厚ながらシコシコとした噛み心地が、絶賛の珍味と讃えられている。

なるほど、最後の無頼派、檀一雄の解説を聞くと、この若い衆の肛門がなかなか奥深く聞こえてくるから不思議なもの。ちなみにこのワケノシンノス、椎名誠も『全日本食えば食える図鑑』で書いているが、刺身を食べるとコリコリいけるが、刺針に残る毒がピリピリ舌にくるとか。ワサビいらずなんて言っているが、そのくらいの余裕がないと珍食は楽しめないのだ。

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イソギンチャクの一種ワケノシンノスに挑戦した椎名誠。

毒といえば、前出の小泉武夫の『食の堕落を救え!』にはフグの卵巣糠漬けなんていう物騒な珍味もある。これは長期にわたって漬け込むことでフグ毒まみれの卵巣が濃厚な珍味として食べられるようになるというもの。漬けが浅けりゃ舌がピリピリどころか涅槃が見える?食通の道は一日にしてならずだ。

珍食の王道ということにおいてスタメンから外されているものたちを片っ端から自分で食べたいという、もはやゲテモノ道に興味あるハードコアな御仁にお薦めなのが、北寺尾ゲンコツ堂が著したズバリの『「ゲテ食」大全』。

男は黙って食え!とばかりに並ぶ潔い食材たちはイソメやミミズ、アメフラシといった五感を刺激するグニョグニョ系から、ムカデにサソリといった毒系、インコにハムスター、果てはポメラニアンといった愛玩系まで。全てを等しく平らげ、食材といった観点から厳しく採点している。本書を読めば、軽い気分で奇食珍食を捉えていた者や、動物愛護論者はショックを受けるに違いない。

しかし奇食珍食とは、一部のマニアや冒険者たちだけのものでは決してないのだ。宮内庁で天皇の料理番を務めた秋山徳蔵の『舌天皇の料理番が語る奇食珍食』は、これらのゲテモノとも呼べる食材がちゃんとした食べ物であり考察に足るものなのだということを説得力ある文章で教えてくれる。

ヘビ飯やシロアリ、ナメクジから小鼠の蜜漬けの丸食いなど、天皇の料理番にしては守備範囲の広すぎるエピソードがてんこ盛り、自身でもイナゴを食うときに交ざったカマキリまでちゃんと食べている。イナゴより味が落ちるな、などと冷静に書く様はさすが。何でも好き嫌いせず先入観なしに生きることが人生において大事なんだということを、秋山徳蔵はゲテモノを通じて教えてくれているのだ。

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カマキリはイナゴより味が落ちるな、と秋山徳蔵。

食は人生を豊かにする。誰もが口にする言葉だ。もしそれが本当なのだとすれば、あらゆるものを口にし、経験するということはその人の人生をさらに豊かにしてくれるに違いない。グロテスクな姿に惑わされずにその味を味わうことができれば、それは人生においてものの本質を見抜く力を育むはずだ。恐れを知らずに口に放り込む勇気があれば、どんなリスクも厭わない強い男になれるだろう。

ここに挙げてきた古今東西の奇食珍食を語ってきた猛者たちは、マニアでありフリークであり、もしかしたら変人とさえ言われる者たちかもしれない。しかし彼らが皆、食を通じ恐れ知らずの生き方、人生を楽しむという術(すべ)を手にしたことは疑いのない事実だ。汝、勇気をもって箸を伸ばせよ!さすれば豊かな人生がきっとあなたを待っている。