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四半世紀前辣腕のビジネスマンは考えた。スポーツマーケティングの始まり

近年、しばしば耳にするようになった「スポーツマーケティング」。東京五輪にまつわるニュースに際しても、広告代理店や放映権、スポンサー収入などとともに紹介された。世界が注目するスポーツのメガイベントと、数億円、あるいは数百億円単位のマネーのやりとり。あまりに巨額。それもどうやら現代のスポーツの一面なのだった。識者に聞く。

Text: Satoshi Taguchi

四半世紀前
辣腕のビジネスマンは考えた

1984年、ロサンゼルスオリンピック。これがスポーツの商業化、あるいはマーケティングの嚆矢となったというのは有名な話。主導したのは組織委員会のピーター・ユベロス会長だった。ロサンゼルス郊外に住み、従業員1人と100ドルが入った銀行口座だけを抱えて旅行代理店を始め、やがて北米第2位の業績へと成長させた。当時42歳。控えめに言ってやり手である。

タスクはすでに明確だった。運営とそれにかかる費用は公的資金に一切頼らないこと。ゆえに方針はシンプルである。よく稼ぎ、節約する。収入においては5つの方策の最大化に知恵を絞った。①放映権、②スポンサー、③シンボルを用いたグッズ販売、④入場料、⑤聖火リレー参加費である。

①と②に関しては、「独占権」という手法をとることで、市場価値を高めることに成功。例えばモントリオール大会では628社から700万ドルというスポンサー料が、35社から1億5720万ドルにまで増加した。よりよい節約策も徹底し、施設の新設は極力避け、例えば選手村は大学学生寮を活用するまでした。そして、最終的には2億ドル以上の黒字化を果たすことになる。

「今とベースはほとんど変わりません。オリンピックの商業化やスポーツビジネスにおけるベーシックな戦略はこの大会で明確になり、以後、さまざまなイベントに転用されるようになりました」。こう語るのは秦英之氏。アメフト選手からマーケティングビジネスに転身し、現在はアジア発の格闘技団体ONE Championshipの日本法人の社長、Jリーグの特任理事、調査会社YouGovSportのシニア戦略アドバイザーでもある。

「この大会のスポンサーシップを取り仕切ったのが、スポーツイベントに参入し始めた電通でした。スポーツの商業化と企業のグローバル化を繋げる役割を担ったとも言えます。例えばロス五輪で言えば、富士フイルムがスポンサーになりました。アメリカの写真業界ではコダックが一強だった時代。日本製の高品質フィルム(フジカラーHRシリーズ)とプレスセンター内に設けた巨大な現像用のラボ、オリンピックによるマーケティングをきっかけにして、世界的なブランドに成長していきました」

ロス五輪のヒーローと言えば、初出場で4つの金メダルを獲得したカール・ルイス(写真右)。この大会以降、短距離トラックの王者となった。以後も88年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタで活躍し、合計で9つの金と1つの銀のメダルを取ることになる。この頃からすでにシューズはNIKEだった。
photo: ABC Photo Archives / Getty Images

ロサンゼルスが
悪いのではないよ

スポーツとビジネスの幸福な関係があるとするなら。あるいはこの84年のオリンピックはそれにあたるのかもしれない。現在のレートで450億円以上とも言われる大会の収益は、60%が米国オリンピック委員会に、40%が南カリフォルニアに寄付され、スポーツの振興にあてられた。一方で、五輪は儲かるイベントだ、という認識が広がったのも確かなようだ。秦氏は語る。

「この大会以降、スポーツイベントの商業化が加速しました。放映権やスポンサーシップは高騰し、マーチャンダイジングも強化されます。さらに広範な経済効果も期待されるようになりました。インフラの整備やインバウンドなどですね。もちろん、スポーツの魅力をより広く伝えたり、普及や強化に繋がったことも事実です。ただし、近年は費用が肥大化し、デメリットが目立つこともあります。アテネ、リオ、東京もそうかもしれません。

一方で、2012年のロンドン五輪は最も成功したと言われています。開催費用はそれなりに巨額でしたが、五輪を契機として都市とスポーツが再活性化されました。治安の悪いエリアに会場を造り、それと同時に再整備して、施設も利用しやすい形で残している。スポーツへの理解と透明性のあるガバナンスがあり、ビジネスや社会に繋げていくことができた。それは当時の政府、市長、政治家、企業、住民など、みんなの足並みが揃ったから。レガシーはそうやって生まれるものなのだと思います」

スポーツはビジネスになる。しかしビジネスでスポーツをするのは危険だ。ロサンゼルス五輪を会長として取り仕切ったピーター・ユベロスは、後に商業化した五輪について問われ、こう語ったという。

「ロサンゼルスが悪いのではないよ。ロサンゼルスの方法を表面だけまねした人たちが、オリンピックの姿を変えてしまったんだ」。競技場で流される汗は、スポーツのためだけに流されなければならない。巨額の資本を投下し集める自由はあるが、それがスポーツや社会を曇らせたら元も子もない。五輪の商業化に道を開いたユベロスは、その後IOC委員に推挙された。しかしそれを断り、黒人女性のオリンピアンだったアニタ・デフランツを推薦。自身はMLBのコミッショナーとして再び辣腕を振るった。