1.「光」宇多田ヒカル
この歌をみんなが知っている、ということに救われることがある。
その音楽が多くの人の体の中に流れていると信じることは、みんなに優しさがあるとか良心があるとか信じることより、「本当」に近い気もするし、冒涜にもならない気がする。
そこにある音楽の明るさや楽しさを、自分が一人好きだと思えたそれらを、たくさんの人がいいなぁと思っていることが、私の心を安心させる。共感や共鳴とは違う、みんなが生きているということを、他者の領域に踏み入ることなく実感できているような感覚。
「今時約束なんて 不安にさせるだけかな/願いを口にしたいだけさ」(宇多田ヒカル「光」)、私は観劇が好きでコロナで好きな公演が軒並み中止になる中、この歌に再会して、心が洗われるような気持ちになった。平熱のまま個人的な部分に辿り着く歌。この曲を美しいと思う人が多くいるということが、むしろそれぞれが異なる人生を生きているのだと教えてくれる。
2.「Shangri-La」電気グルーヴ
「Shangri-La」、大好きで、このハイテンションを日本中が最高だと思っていた時代に小学生だったのが、ずっと悔しい。KISS KISS KISSが共通語だった世界。その事実で、世界ごと好きになれる歌。
3.「残酷な天使のテーゼ」高橋洋子
「残酷な天使のテーゼ」。記憶どころか本能に刻み込まれたこういう曲があるということの美しさを、年をとるたびに実感します。歌が人生に刻みつけられていくように、歌にも人生は残り、それはいつでも解凍されていくのだと。