恋と、エゴイズム
上野千鶴子
古市君、久しぶりだね。
古市憲寿
お久しぶりです。近頃は全然会えてないですね。
上野
そちらの場所は?
古市
僕の家です。上野さんは?
上野
山の書庫。コロナ以降、山に籠もっています。
古市
ステキな場所ですね。
上野
あなたが新しく書いた恋愛小説の話だけれど。いままで恋愛に興味がないと公言していましたよね?
古市
個人的には関心はないんです。でも、世の中が暗い雰囲気なので、明るい話を書いてみようかなと。
上野
興味はないが書いてみたんだ。
古市
「性別で君を選んだわけじゃなく、純粋にあなたが好き」という話を書きたいなと思ったんで。
上野
よく言えば、設定がうまい。悪く言うと、都合がよすぎる(笑)。
古市
的確ですね(笑)。
上野
しかも、主人公の「ヤマトくん」は、セレブの「港くん」に見初められる。玉の輿シンデレラストーリーと変わらないし、「ヤマトくん」のキャラ設定が、大変控えめで、相手を決して裏切らず、尽くし続け、まめにおいしい食事を作り、セックスはウブという。
これは、同性愛に置き換えた異性愛の物語、つまりBL小説。異性愛なら女性読者はアホらしくて読んでいられない(笑)。
古市
ただ、「ヤマトくん」は、これまで、男であることがしんどかったと思うんです。彼女からは男らしさを期待され、男だから稼がなきゃという重圧もあった。それがある日、「港くん」と出会って楽になる。
上野
ストレートだった彼が男性に目覚めるのは、それはそれで初々しく、プロセスはなかなか面白いとは思いました。ただ、関係性は非常にテンタティブ(暫定的)だなと。
古市
でもそれは、男女含めてあらゆる関係ってそうじゃないですか?
上野
それはそうです。ただ、恋愛は特権的な「対」。なぜ彼らの関係が友愛ではなく、恋と呼べるのかといえば、相手の人生に両方ともズカズカと踏み込んでるからですよね。
古市
お互いの人生に踏み込むのが恋だとすると、上野さんがしてきた数々の恋もそうだったんですか?
自分が強くないと
恋なんてできません
上野
まず、恋は学習するものだと思います。セックスと同じく。翻訳者の鈴木晶さんがエーリヒ・フロムの『愛するということ』の新訳を出されましたが、その原題が「The Art Of Loving」。「愛の技術」なんです。
やっぱり、恋もセックスも、人間同士の関係ですから、熟達するには場数を踏むしかない。多ければいいわけではないけれど。
古市
上野さんは、社会学者として第一線で活躍し続け、仕事も忙しい。でも、恋もし続けましたよね。
上野
恋愛において、「忙しいから時間がない」「会えない」というのはエクスキューズになりませんから。
古市
そうですか?仕事の優先順位が高くなると、「恋ができない」と悩む人は多いですよね。
上野
それは「する必要がない」からですよ。そもそも恋もセックスも、欲望があるからするんでしょ?
古市
それ以外の事柄が自分の人生を豊かにするとは思いませんか?
上野
恋愛は、人間理解にものすごく大きな貢献があります。「自分とは何か」を考えることになりますから。しかし、古市君は、「恋愛には興味がない」と。それは本当にそう?恋の経験はないの?
古市
もちろん全然してないわけじゃないです。でも、恋に費やしている時間や労力は、ホントに少ないというか、人生のなかで優先順位はそんなに高くないんです。
上野
あなたが恋と呼ぶものと、私が恋と呼ぶものは、同じかどうかはわからないけれど。キミにとって「優先順位が高いのは仕事」なんだ。
古市
仕事も含め「恋以外」ですね。
上野
この前、ある女性と話をしたときに、彼女は自分の子供から、「ママは私よりも仕事が好きなんでしょう?」と言われたと。彼女は「その通り」と答えたそうです。私は彼女にすかさず「それは、子供より夫より何より〝自分〟が好きだということでしょ」と。彼女は聡明な人で同意しました。
古市
自分が好きだから仕事をする。だからこそ、僕には「上野千鶴子」と「恋」というのは、相性がよくないように思えるんです。自分の意見を押し通す強い人というパブリックイメージがあるじゃないですか。
上野
人が私をどう思っているかは知りません。でも、強くないと恋なんかできない。自分を明け渡し譲ってしまったら、恋愛にならない。恋は、他人の人生や気持ちのなかに、ズカズカと土足で踏み込む行為。エゴイズムの発露です。それを通じて自分が何者かを知るんです。
古市
なるほど。でも、相手のエゴに引きずられた結果、自分をなくしたり、ボロボロになってしまうような恋愛をする人もいますよね。
上野
引きずったり、引きずられたり……。そういう関係が嫌いなの?
古市
めんどくさいじゃないですか。
上野
めんどくさいのが面白いのよ。そこをわかってない(笑)。
古市
言わんとすることはわかりますよ。ただ、僕は、それがあまりにも苛烈になりそうだと、一緒にいなくていいと思っちゃうんですよ。
上野
そのときに、あなたのチャチなエゴイズムが勝つわけだ(笑)。
古市
まあ、チャチですけど(笑)。
上野
自分を守りたい、自分をこれ以上変えたくないからね。相手に踏み込まれることで、自分の殻を破ることができるかもしれない、そのチャンスを見逃してるわけだ。
古市
そうかもしれませんが、恋愛だけが自分を変えるとは思ってない。特権的な位置に置いていないんです。
上野
もちろん、仕事が自分を鍛え、豊かにもするでしょう。でもそれと恋の何が違うかというと、やっぱり他人の存在なんです。他人というのは自分以上にいちばん予測のつかない生き物ですよ。その予測のつかない人間のなかに踏み込み、あるいは、踏み込まれる。そのときの好奇心が抑えがたいんです、私は。それをときどき「愛」とも呼ぶんです。
古市
そうか。でもその好奇心で、逆にお互い知りすぎちゃうと……。
上野
知りすぎることはあり得ない。逆に聞きますが、知りすぎるような経験をしたことがありますか?
古市
いえ、上野さんもどこかで書いていましたけれど、相手の弱点を知っているから、そこを批判する、傷つけることがどんどんしやすくなってしまうのではないか、と。
上野
もちろん。だって弱みをさらけ出し合うわけだから。それだけ無防備な関係になりますから。
古市
それ、イヤじゃないですか?
上野
それがイヤな人は恋愛に対する欲望がない。その欲望がないということは、自分から一歩踏み出すことで越えたいとか、変えたいとか、そういう欲望もないのよ、たぶん。
古市
上野さんは自分を変えたいと思って恋をしてきたんですか?
上野
というより、自分と他人に対する飽くことなき好奇心です。好奇心は欲でもあるし、愛でもある。相手に好奇心があれば、身体ごと相手に傾くし、傾いた方向にのめり込む。ただ、いくらのめり込んでも相手を知りすぎることは決してない。
なぜかと言うと、誰かが私について私を知りすぎることは決してないから。そもそも私は私が何者かを知らない。
古市
ああー、なるほど。じゃあ、上野さんは恋で、自分が変わってきてよかったなあと思います?
上野
思います。それはそれは豊かな経験をしたなと思います。そして、相手を傷つけすぎたと後悔し反省したことも何度もあります(笑)。
恋は、
人間が生きている限り存在する?
古市
いまも恋をしてますか?
上野
限りなく友愛に近づきました。
古市
それは年齢も関係してます?
上野
してます。恋は無謀なものです。だから、キミのようにエネルギーと若さが十分なときに恋をしないなんてもったいないなと思うけれど。たぶん一生面倒くさいんでしょう。
古市
そうかも(笑)。その代わり、友愛はあります。それこそ男女問わず、大事だなと思う人はいますから。
上野
でも友愛は節度があるでしょ。相手に土足で踏み込んだりしない。
古市
やっぱり、恋なんてない方が、世の中から消えてしまった方が、世界は平和になりません?
上野
平和じゃなくて、穏やかで退屈になるでしょう。
古市
お互いを激しく傷つけ合ったりを繰り返すことに、生産性があるのかと考えちゃいますけど。コストパフォーマンスが悪いというか。
上野
コスパを考える時点で、キミには恋愛欲というものはないね。そういう人がなぜ恋愛小説を書くのか(笑)。性欲はちゃんとあるの?
古市
あんまないんじゃないですかね(笑)。上野さんの周りの学生はどうですか?昔よりもそういった欲望を持つ人が減っていませんか?
上野
人間関係の距離を詰めることに対する恐怖心が若い世代には強いなと。それはすごく感じます。
古市
そうかもしれない。
上野
となると、恋というものは廃れていくのかもしれないよね。「昔々、人類には恋があったそうな」と(笑)。そもそもロマンティックラブ自体が歴史的な産物。18世紀から19世紀に生まれたものですから、3世紀続いてなくなったとなってもおかしくない。恋はこんなに価値のあるもの、という文化的な言説が再生産されれば保つかもしれないけれど。
古市
別に結婚をしなくても、家族を作らなくても生きていけるとなれば、そもそも恋なんてしなくてもいいじゃないか、そんなふうにみんなが思っていく可能性はありますよね。
上野
家族レスになりセックスレスになっても社会がセーフティネットを提供してくれれば、結婚と家族に対するニーズはなくなるかもしれません。でも、それといっしょに恋もなくなるのかというと、そうはならないと思う。
自分を誰かに受容してもらいたい、相手をまるごと受けいれたいという欲望は、どんな制度によっても担保されない欲求ですから。
古市
とすると、恋は人間が絶滅しない限り存在するんでしょうか?
上野
あと300年くらい生きてみたら歴史の帰結がわかるだろうけど。それは無理だからわかりませんね。
上野千鶴子の「恋の、答え。」
恋の書は「吉本隆明の『共同幻想論』です。恋愛が論じるに値するものだということを学びました」。
古市憲寿の「恋の、答え。」
恋の書は漫画『青春ヘビーローテーション』。主人公の女の子が恋も生活も主体的にどんどん提案するところが気持ち良かった」。