ビューアーそれぞれの解釈で、アーティストにチャレンジを
沓名美和
ショウヘイさんとは、2023年開催の『Tokyo Gendai』でトークショーをしましたね。今回の個展では、どんな作品を制作しましたか?
タカサキショウヘイ
「RPGビデオ・ゲーム」と「ドメスティック・ライフ(家庭内・室内)」の2点が軸です。ゲーム内でシンボルとして扱われる塔や城、暴力表現や、家庭内にある植物や果実、置物等が登場します。
沓名
2つがテーマになった理由は?
タカサキ
僕らの世代的に隠してたけど、実は僕、ゲーマーで。スタジオでの作品制作とゲームをすることが、人生の時間の大半を占めていると今さら気づき、コンセプトの材料にしました。
沓名
RPGはどんなゲームですか?
タカサキ
王道的には、例えば大事な人を奪われた主人公が、復讐のために敵を倒して愛や平和を勝ち取る物語。ここでは必ず、「殺されたから殺し返す」という復讐の構造が決まっていて、暴力や血に終わりがない。けど、敵やほかの登場人物の行動にも実は理由があったかと考えると、やっぱり「正義」って言葉はいつも一方通行ですよね。
沓名
現実の戦争と通じる問題ですね。暴力の連鎖が社会を動かす側面もあり、正義の定義は時代によって変化します。
タカサキ
僕たちは今、現実の戦争もゲームも同じデバイスで見ることもあり、戦争を実生活と地続きの現実として捉えることが難しい。けど、室内にこもればこもるほど、外側や社会、他人を強烈に意識せざるを得なくなり、逆説的に、外側の世界に対する「願望」が湧き出てくることがあります。
沓名
では、ゲームとドメスティック・ライフの両者は、混ざり合っているテーマになるのでしょうか。
タカサキ
この2つはいつも僕の中で対極にあると同時に、背中合わせに位置しているとも言える。ですが僕は、完成した作品を客観視して、連想ゲーム的にストーリーを言語化するというプロセスをとることが多いので、自然と生まれたテーマでもあります。
沓名
無意識で表現する、オートマティズムのような感じですね。
タカサキ
100%ピュアなオートマティズムは不可能ですよね。ですが、「オートマティズム現代版」は可能なのか?例えば、ストロークの起動装置としてラフな物語だけ少し作っておき、そこから一気にドライブできるようにしたり。ほかにも、キャンバスと自分の目の距離を15㎝くらいまで近づけ、全体像が全くわからない状態で局所的に描き続け、目とキャンバスとの距離感はキープしつつ、体だけを動かして全体を埋めたら、手直しを一切せずに完成させるなど、試行錯誤は色々しています。
沓名
シュルレアリスムでは無意識や深層心理を探求した作家もいましたが、その境地に到達するのは困難です。ショウヘイさんは無意識という得体の知れないものに没入し、しかも楽しんでいるのが素晴らしいですね。
タカサキ
全体を見ると、バランスを見てデザインしちゃうし、大人になって様々なことに責任を持つと、強制的に自分自身にルールを課さないと無意識に近づくことは難しいですよね。こうして、ビジュアルとしての作品自体は僕らが作る。ですが、そのストーリーを言語化するのは、沓名さんのような美術史家やビューアーの仕事だとも僕は思っています。
沓名
私は昨年、もの派の関根伸夫と小清水漸の展覧会を上海の〈AAEF Art Center〉で開催しました。もの派を象徴する「位相-大地」が生まれた背景を読み解くものでしたが、当時の作家の思いと今の鑑賞者の感じ方は重なる部分もあれば全く異なる場合もある。時代とともに変化する作品の在り方も、アートの面白さだと思います。
タカサキ
完成した作品がスタジオの外に出た瞬間から、その作品はもう僕個人のものだけではないと思っているので、100人いたら100通りの解釈があっていい。どの作品にも、制作者のオリジナルストーリーがあるにせよ、ビューアーそれぞれの理解の仕方によって、僕らアーティストに逆にチャレンジするのも健康的だと思います。
沓名¥
ショウヘイさんの絵には何かを感じさせる力があるし、解釈が自由だからこそ難しく、そして楽しいですね。
