きっかけはアイヌの熊彫り。
自然の中に入る喜びを追う
アイヌの熊彫り、藤戸竹喜さんを取材するために阿寒湖畔に通っていた時期に、一度、根室へも訪れたのだと思う。一緒に通っていた写真家の在本彌生さんに、ジュエリーデザイナーの古川広道さんを紹介されたのがきっかけだった。藤戸さんへの取材は、彌生さんの写真とともに『熊を彫る人』という一冊にまとめたが、その後も北海道、特に道東への興味は尽きることなく、今度は根室に通うようになった。
主な目的は釣りで、名人である古川さんにフライフィッシングの手ほどきを受けながら、鮭やサクラマスを狙った。なぜ根室に惹かれるのか考えるのだが、うまく言葉にできず、家族にも説明できない。ともかく一度、行こうよと夏休みの家族旅行の旅先に選んだ。
ここ数年、夏休みには、写真家の平野太呂さんの家族と一緒に旅行をしている。去年は礼文島のトレイルを歩き、一昨年は阿寒湖に亡き藤戸さんのアトリエを訪ねた。子どもたちの年齢差のバランスが良いこと、それから私と太呂さんが一緒に出張に行くことが多く、互いのペースに慣れていることが主な理由だと思う。私と太呂さんだけで古川さんを訪ねたこともあったから、そろそろ家族も連れて行かなければ、という若干の後ろめたさもあったかもしれない。
霧に煙る爺爺岳を眺め、
北方領土の美しさに目覚める
初日は、雨だった。去年は最北端の宗谷岬に行ったから、今年はとりあえず最東端に行ってみようと納沙布岬までレンタカーで行くと、かろうじて肉眼でも北方領土が見えた。ここからの景色も確か3回目だったが、何度来ても「近いなあ」と思う。
子どもたちと一緒に、初めてきちんと北方館で展示を観て、恥ずかしながら択捉島と国後島が、沖縄本島よりも大きい島だと知った。国後島には、北方四島のうち最も標高の高い1772mの爺爺岳があり、望遠鏡を覗くと雲の中にうっすらとその姿が見えた気がする。展示されているそれぞれの島の写真に目を見張る。
北方領土と聞けば、「ロシアとの政治問題」と頭の中で処理してしまっていたが、とても美しい場所らしい。鮭も鱒もいるだろう。根室や知床から始まり、カムチャッカ、さらにはベーリング海を挟んでアラスカへと連なっていく北方の自然に思いを馳せて興奮してしまった。
そして、道東が好きなのは、地形や環境が暮らしと密につながっていることを体感できるからだと思い至る。あの島々ならば、間違いなくダイレクトに感じられるはず。爺爺岳に登ってみたい。子ども達は、展示されていたiPadで国後島をバーチャル旅行していた。「いつかみんなで本当に行きたいね」。宿まで帰る車内でそう言いながら、ロシアのウクライナ侵攻の話をしたり、太呂さんの奥さんの妃奈ちゃんが旅したことのあるウラジオストクの話を聞いたりした。
国境のリアリティよりも、根室から北方領土へと連なる自然を意識した午後だった。その夜、郊外にあるレストラン〈ボスケット〉で鹿肉や海鮮のパスタを食べながら、古川さんが、北方四島交流いわゆるビザなし交流で北方領土に行った際の話をしてくれた。とても綺麗な島だったが、寝起きは船の中で、ほとんど自由な時間は取れなかったと言う。
翌日の知床行きで、国後島へ行ってみたいという思いはより強くなった。鯨を見るべく観光船に乗ったのだが、あいにくその日は見つからず、出会ったのはイシイルカとアホウドリの群れ。船の先をものすごいスピードで背鰭が移動していく。
子ども達は声を上げつつ、船に酔いつつ、動物を探す。野生の動物と出会うとどうしてこうも血が騒ぐのだろう。子ども達にもスイッチが入るような感覚があったろうか。羽を広げれば1mにもなるアホウドリの群れを追いかけてしばらくすると、船長がロシアとの国境だとアナウンスを入れる。ここから先に進むと、拿捕される可能性があるという。
しばらく船の底に集音マイクを沈めて、鯨の声を探していたが、その日は声がしなかったのか、進路を羅臼の漁港に向けた。海に見えない線が引かれていることの不条理を考えつつ、あの多様性を抱く半島と似た環境の大きな島が、ほんの少し走った先にあるかと思うと、やはり惹かれるものがある。
カラフトマスにも熊にも会えず、
オショロコマだけが遊んでくれる
1週間弱の滞在中、家族から一日だけ父さんフリーの日をもらい、古川さんたちと一緒に知床まで釣りに行った。「少し早いかもしれないけれど、そろそろカラフトマスの遡上のタイミング」と言う。知床半島羅臼側の道の終点である相泊に車を停めて、昆布を干している玉石の浜をさらに歩いて30分ほど。いくつかの番屋の前を過ぎると、小さな川が何本か海へと流れ込んでいる。その真水の匂いを嗅ぎつけて、カラフトマスや鮭は遡上をする。だから釣りは河口で行うのだが、ヒグマもその遡上を待っている。
最後の番屋には犬がいるが、ここ数年、毎年のようにヒグマに襲われているという。恐ろしいような気もするが、天気も良く、空気はいたって牧歌的で、なおかつ絶景に包まれている。小さな河口で竿を振っていても、カラフトマスの気配はまったくなく、周りの釣り人にもアタリもない。海でのフライフィッシングは初めてで、練習もしていないために、全然毛鉤が飛ばない。「これでは釣れないよな」と諦めモードになりつつも、何度も繰り返して竿を振る。遠くには、やっぱり国後島が見えた。あれが、爺爺岳だろうか。
3時間ほど粘ったが、結局、古川さんの竿に一度アタリがあっただけで周囲の釣り人も含めて誰も釣れなかった。どうやらカラフトマスの遡上はもう少し遅いらしい。車を停めた相泊までトボトボと歩きながら、古川さんに渡し船の話を聞いた。相泊から知床の先端近くまで、船で運んで落としてくれるという。かつては番屋に泊まって早朝から釣りすることができたが、釣りをせずに捕まえた魚の腹を割いてイクラを大量に持ち帰る事例が頻発して、夜中の渡し船は中止になったらしい。
鮭よりもカラフトマスが有名で、最盛期には足の踏み場もないほどの魚で小さな湾が埋め尽くされるという。そこで釣りがしたい、というよりも、その圧倒的な風景を見てみたいと思った。ただし、当然のことながら人よりもヒグマの数の方が多く、遭遇する確率も高い。藤戸さんは、ヒグマのことを山のオヤジと呼んでいたことを思い出した。
知床から根室に戻る前に、いくつかの川で遊んだ。まだオショロコマを釣ったことがないと言うと、それはダメだと古川さんに言われた。渓流の宝石とも呼ばれるほど美しい魚体には、オレンジ色の斑点があり、川によってその色の濃さが違うと教えてくれる。
車で川を渡るたびに、「この川のオショロコマは、オレンジが赤に近いんだよ」とか、「他にはあまりいないけど、ここの川には虹鱒がいる」とか、一本ずつ異なる川の特徴を話す。どうしてそんなに詳しいのかと聞けば「まあ、釣り歩いてるからね」とボソッと笑う。確かにそれ以上でも以下でもないのだろうけれど、自分の足で歩いている人は説得力が違う。私が好きなのは、そういう話なのだと思った。
「この川はすぐ釣れるよ」と言われてフライを投げると、本当にオショロコマが入れ食いだった。斑点のオレンジだけでなく、尾鰭は半透明でオレンジが透け、腹鰭は白い縁取りがされている。そのわずかな白が、陶器のような滑らかさで見惚れてしまう。
根室に帰って子ども達にオショロコマの写真を見せると、うわーと声を上げた。フライフィッシングは難しいかもしれないが、竿と糸、それから毛鉤だけのテンカラならば仕掛けがシンプルな分、小学生でも振れるはず。家の近所でカワムツを餌で釣ったことはあるけれど、次はオショロコマにしようと話した。。代わりに、というわけでもないが、父達が遊んでいる間に、野生のラッコを見たと興奮気味に話す。鹿、丹頂、キタキツネ、イシイルカ、ラッコ……この旅で見た野生動物の種類を数えながら、宿まで帰った。
子ども達とのオショロコマ釣り、それからいつかの北方領土への旅のために、まずは渡し船に乗って、知床の先へ。次の目的ができる旅は、良い旅だと思う。その前に、真冬の根室でワカサギを釣りもしなければ。