あらゆる人を受け止める包容力に富んだ街。
手塚マキ
僕は19歳の時に歌舞伎町で働き始めたけど、それから10年くらいは自分が「新宿の住人」であることを認めたくなかったんだよね。
中島歩
僕にとって新宿はちょっとした憧れの地でしたよ。役者たるもの避けては通れないだろうと、ちょうど10年くらい前にゴールデン街の〈PITOU〉というバーで1、2年働いてたんです。あとギャスパー・ノエ監督の歌舞伎町を舞台にした映画『エンター・ザ・ボイド』を観て、逆輸入的な視点で「かっこいいな」とも思っていました。
鈴木涼美
確かにインバウンドの旅行者が増えて、ゴールデン街の人の流れが変わったのもその頃かも。私は2005年頃に初めて歌舞伎町に住んで、そのあとも2回、合わせて5年間くらい住んでいました。
記者として新宿を担当したこともあるし、ホストクラブにも通っていたから、住む・働く・遊ぶのすべてが歌舞伎町だった時期がある。そのどれか一つでも該当すれば、「新宿の住人」を自覚する人が多いんじゃないかな。
手塚
逆に、そう思われるのが嫌だと思っている人も少なくないよね。
自由を許容するための、
無秩序の中の秩序。
鈴木
街の懐が深い分、色々なものが混在していて、中には「この人たちと一緒にされたくない」と思う人も含まれているわけですよ。それが気にならなければ残るんでしょうね。
手塚
鈴木さんは新宿のどんなところが好きで3回も住んでいたの?
鈴木
新宿がほかの街と違うのは、堕ちていく自由が許されているところ。それもある種のやさしさだと思うんですよね。ほかの街は、「正」の方向への行動しか許されないムードがある。“体に悪いことはしちゃだめ”とか、“将来困るようなことはしちゃだめ”という常識が、ここでは一回保留になる気がするんです。
だからほかの街でしんどくなっている人が新宿に来ると、完全な自己否定に陥らずに許容してもらえる感覚があるんじゃないかな。例えば、洋服が破れた女性が号泣しながら歩いていたら、ほかの街なら即通報されるかもしれないけれど、新宿ではいったん見守るようなところがある。
もちろん事件性を感じたら通報するし、感覚が麻痺して「安全だと思っている」部分もあるのかも……。
手塚
実際、どこの道にも大抵人目があって防犯カメラも多いから死角は少ないんですよね。怖い人たちもいるけれど、その人たち同士も密接して暮らしているので、お互いに緊張感がある。この街の住民は無秩序のように見えて、牽制し合っているところがあるんです。
鈴木
法律より厳しい、小さなコミュニティの暗黙のルールがあったりするしね。「指名しているホストがいる女に別のホストが声をかけるのは御法度」なんてほかの街に住んでいる会社員とかからしたら本当にどうでもいい話じゃないですか。でもこの街では堕ちていく自由を認めるための、独自の秩序がありますよね。
ありとあらゆる価値観が、
交わり重なる街。
中島
手塚さんが新宿を受け入れられなかったのはどうしてなんですか。
手塚
自分もそれまで「たくさん勉強して良い学校に入ってちゃんとした会社に入れば終身雇用」という刷り込みがあったから、「新宿の住民になること=ドロップアウトすること」に抵抗感が強かったんだよね。
中島
この街で過ごすことで、その抵抗感はなくなったんですか?
手塚
この街には本当に色々な人がいるから、それに救われたところはある。あとは、もうこの街で生きていくしかないって諦めた(笑)。でもちょうど中島くんのように新宿を面白がる若者が増えてきたり、自分も海外で色々な街を見たことで改めて「新宿って面白い」と思えるようにもなっていったんだよね。
鈴木
毛色の異なるエリアが隣接しているのも面白いところですよね。西新宿の開発が進んでも、東側の混沌は放置されている。時代によってテコ入れはあるけれど、グレーなところが残っている。
中島
ゴールデン街では異種格闘技戦が起きて「何者なのかよくわからない人」とも交わる機会がありますよね。それが今は恋しいですね。
鈴木
新宿に来る理由はそれぞれ違って、値段的にも敷居が高くない。ただその分いい加減な店も多いけれど、ほかの国だとそんなものだったりするじゃないですか。
日本は便利でちゃんとしていて、例えば予約がとれていなかったらクレームものだけど、〈上海小吃〉(歌舞伎町にある中華料理店)では予約はとれていないこともあるし、12人って言ったのに用意されていたのが4人がけの席だったり(笑)。
潔癖な人にとってはストレスが多いかもしれない。でもそれは、人間社会には必要な適当さだと思うんだけど。
手塚
〈上海小吃〉といえば、僕が独立したばかりでまだ事務所もない時に毎月深夜の〈上海小吃〉で給与計算をやっていたんですよ。そうしたら何ヵ月か後に実は深夜営業はやってないと知ったんですよね。ただ僕のことを待っていてくれたみたい。
鈴木
適当だからこそ、そういう許容もあるのかもしれないですね。
手塚
あと“この街にはこのファッションがふさわしい”というTPOも新宿には稀薄ですよね(笑)。“街に合わせたファッション”は、他人が築いた価値観を守ることで安心感を得ている側面もあるんじゃないかな。その先に面白いことが見つかったり生きやすくなったりすることだってあるんですけどね。
中島
新宿は小さい店が多くて物理的に距離も近いから、強制的に自分と異なる価値観の人と交わる確率も高いですよね。
鈴木
そういう時、ここでは出身大学や会社で威張れないんですよ。
手塚
何者でもなくなれる、というのはあるよね。
中島
一方で、ただ座っているだけじゃなく当事者意識が強いお客さんも多いですよね。特に店に立っているのが女性だと「俺がこの店を守る」という意志の強い常連が必ずいる。
鈴木
そうそう(笑)。その当事者意識によって、そこはかとなく満たされる承認欲求はあると思います。
手塚
今の客と店員の話もそうだし、新宿では色々な境界線が曖昧だよね。今日集まっている〈デカメロン〉の前のベンチでよく飲んでいるんだけど、路上の延長だと思って缶ビールを持って座り込むやつが登場するんですよ(笑)。
僕らは店で買った酒を飲んで、彼らはコンビニで買った缶ビールを飲んでいる。その混在している感じがすごく面白い。金があるやつは払えばいいし、ないなら安く飲めばいいんですよ。
様々な境遇の人が、居場所を見つけ共存する。
鈴木
境界線を曖昧にせざるを得なかった部分もありますよね。コミュニティが密集しているから、互助的にある程度許容しないとやっていけない。“曖昧さが許容されること”と、“一つの価値観だけで物事を見ない”という色々なことはつながっているのだと思います。
手塚
今TOHOシネマズ新宿の脇でたむろしている若者が「トー横キッズ」と呼ばれて問題視されてるけど、実際は若者だけじゃなくてサラリーマンやおじいさんまで色々な人がいる。僕はこの通りに店を持ちたくて、空き物件に申し込んで町内会とも「僕らを入れた方が治安を保てますよ」と話したんですよ。でも結局チェーン店が入ってしまって……。
中島
どうしてこの場所に入りたかったんですか?
手塚
チェーン店のアルバイトは、店の前で何が起きても注意しないじゃないですか。だから今はなんでもありの状態。でも、仲良くなっちゃうのが本当は一番良いんですよ。街の治安を守りつつ、彼らの居場所を奪うことなく担保できればいいのにと思っているんですけどね。
鈴木
用途が定められていなくて、人を選別しない“広場”が意外とないから、溜まれる場所を発見するとそこが居場所になるんでしょうね。
中島
確かに、余白が許容されたり誰かの居場所になる場所があるのは街のやさしさかもしれないですね。
手塚
僕は「色々な人がいるから危ない」という発想が危ないと思う。多種多様な人が共存できる場所の方が安全ですよ。“普通の人”だって、腹の底に何を抱えているかわからないじゃないですか。見た目や職業で線引きして、臭いものに蓋をしてしまう方がよっぽど問題だと思います。
撮影協力/デカメロン