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児玉雨子の〆飯:10歳だったわたしに父が教えてくれた独立の味。「親父キャベツ」

作詞家、作家の児玉雨子がつくる「〆飯」。今回は父が教えてくれた独立の味、「親父キャベツ」。

photo & text: Ameko Kodama / edit: Izumi Karashima

父が教えてくれた独立の味、「親父キャベツ」

料理とジェンダーロールの問題はこのごろ侃々諤々(かんかんがくがく)と議論されている。この料理もややためらったものの、父親が教えてくれたものという事実は変わらないのでこう名付けた。キャベツを一口大に切り、それを油で炒め、最後に中濃ソースを絡めたもの。塩・胡椒もなし。これはわたしが最初に覚えた料理らしい料理でもある。たぶん、小学校4年生くらいのときだった。

当時の時代性を考えても、わたしが小学校から高校まで通った私立学園は「父親ひとりで家族全員を支え、母親は専業主婦であることが望ましい。共働き家庭は金銭と愛情不足」という旧態な家庭観が根強かった。キャリア志向のわたしの母は、その古い母親像の桎梏(しっこく)に苦しんだ末「もう〈母さん〉するのやめる」と宣言した。

独身とはいえ、今なら母の苦痛を少しは理解できる。けれど10歳そこらで、スマホもSNSもなかった当時、裕福で家族に愛されているクラスメイトたちと違って、家に帰っても誰も待っていないわたしは世界一不幸だと自分に呪いをかけていた。両親の名誉のために記すと、うちは十二分に経済的に恵まれていた。同級生たちの家庭が異次元だっただけ。

母が「〈母さん〉するのやめ」てしまったので、食事は極力自分で用意しなければならなかった。小学生のうちはさすがに夕食まで完全放棄はされなかったものの、同級生みたく「ねぇママ、今日のごはん何?」と甘えることはできなかった。カップラーメンばかり食べていたので、出張や単身赴任でほとんど家にいなかった父が見かねて、休みにこのキャベツのソース炒めを教えてくれたのだ。そのとき「もう高学年だから、ごはんくらい作れなくちゃね」と言われた記憶がある。そのとき、両親の間に何があったのかは知る由もない。母にはある程度コンプレックスを抱いたものの、父に対しては家族的な好き/嫌いという感情すら抱かないまま今に至っている。ただ唯一、そのセリフが「女の子だから」じゃなかったことは感謝している。

それからお腹がすいたらこればかり作って食べていた。レパートリーが増えても、簡単だからお弁当にも作って入れていた。ほぼ毎日だ。食べ過ぎてソースの味や香りが苦手になった。次第にお好み焼き、たこ焼き、焼きそば、フライやとんかつなど、ソースをかけるあらゆるものを遠ざけるようになった。ひとりぼっちの時間を想起させるから。

それらをおいしく食べられるようになったのは、わたしが経済的に独立し、両親が離婚した頃だった。ひとから不幸な家庭環境と憐れまれても、嘲笑されても、むしろ先進的と褒められても……どう評価されても、わたし個人のわだかまりはきっとこの先も解けない。けれど、絶対的存在であった両親も、性的役割やコミュニケーションに葛藤するような、ごく普通の人間なのだと心底から理解してから、この「親父キャベツ」をふたたび作って食べられるようになった気がする。もうひとりぼっちじゃない。独立の味だ。

児玉雨子の〆飯 「親父キャベツ」
ソースはソースでも、中濃ソースであることがポイントです。とろみのおかげでウスターソースよりもまとまった仕上がりになります。とんかつソースでも。