Read

Read

読む

作家・柴崎友香が語る、東京の緑。樹々が伝えてくれるもの

情景を言葉に映しとる、言葉の名手が東京で見つけた緑色の風景。

edit: Hikari Torisawa

樹々が伝えてくれるもの。

なんでこんな重要なことを今まで誰も教えてくれなかったのか、と初めて東京に来たときにわたしは思った。

二十年以上前、東京に住んでいた友達が連れて行ってくれた表参道だった。どこかお店にも入ったと思うが、ケヤキのことしかわたしは覚えていない。あんなに太くまっすぐに伸びる幹をわたしは見たことがなかったし、空を覆うように広がる枝も、森の奥深くみたいな密度で茂った葉も、あまりに圧倒的だった。

そんな立派な巨樹が、道に生えているということが、なによりの驚きだった。人も車も行き交う、街の真ん中の、道端に。それまでわたしは、大きな木を見るには郊外まで行かなければならないと思っていた。それか、街を代表する大きな公園とか、長い歴史のある神社やお寺とか、区切られた場所で特別に扱われているものしかないと思っていた。

それが、歩道に生えていたのだった。川の流れに似た緩やかな坂道のずっと先まで、しっかりとした幹が何十と並び、広い車道の両側から伸びた枝葉が緑のトンネルを作っていた。曇り空の肌寒い日だったが、その美しさにわたしはただただ見とれていた。

そのあと歩き回った東京の街は、どこに行っても大きな木がたくさんあった。上野公園、雑司ヶ谷の鬼子母神、神田川沿いの遊歩道、新宿御苑、渋谷。イチョウもサクラもマツも、がっしりと頼り甲斐のある幹。SFやファンタジーの設定の違う世界に迷い込んだみたいに、木々は迫力があった。特に心を惹かれたのはケヤキで、東京のケヤキは、それまで知っていた繊細な枝振りの木とは違う種類の、初めて見る木に思えた。木の描写が印象的な大先輩の作家にお会いしたときに、その話をしたことがある。西日本出身のその人も「別の木みたいでしょう」と笑って、「槻」がケヤキのことだと教えてくださった。

東京に何度も遊びに来るようになり、異常気象と言われた夏の灼熱の日、公園のケヤキ並木の下に入ったら別の季節のように涼しかった。東京じゅうがこんなふうに木に覆われたら、エアコンすらいらないのにと心底思った。東京は、砂漠なんかではまったくないし、コンクリートジャングルじゃなくて植物のジャングルだと、わたしはことあるごとに言ったり書いたりした。

東京は木が大きい、緑が多いということに気づいたのは、わたしが大阪の海側の住宅密集地で育ったおかげかもしれない。近所には庭のある家もほとんどなかったし(東京でも東側の、下町と呼ばれるところは風景が似ている)、街路樹もそんなに茂っていなかった。東京で、工事現場を覗き込んだとき、土の色が全然違うのに驚いた。赤黒く軟らかい土は、植物が大きく育つのに適している(上野の国立科学博物館にある日本全国の土の断面の展示を見れば、場所によってどれだけ特徴があるかよくわかる)。それに、大阪や京都に比べれば東京は都市化してからの年月が短いので、昔からの木が多く残っているのだ。地形が複雑で街なかに急な斜面が多いことも、緑が多い理由の一つだろう。目の前にある木は、地面の下の状況も、そこで営まれてきた歴史も、わたしたちに見せてくれる。

東京に住んでみようと勢いで決めて、部屋の内見に不動産屋さんの車で行ったとき、宮益坂を通った。渋谷の中心に向かって下るその坂も、ケヤキ並木で緑のトンネルになっている。信号待ちをしていたら、数台前のタクシーからあるプロレスラーが降りて道を横切っていった。緑色の木漏れ日の下をゆっくりと過ぎるその姿を見たとき、東京はすごいところやなあ、来月からこの街に住むのやなあ、と唐突に実感したのを今でもよく覚えている。

引っ越してきて、ますます東京を歩いた。千鳥ヶ淵や砧(きぬた)公園で、サクラが地面に向かって這うように枝を伸ばすのも初めて見た。九品仏(くほんぶつ)の浄真寺、田園調布や国分寺崖線の斜面で空に向かって高くまっすぐ伸びるクロマツやアカマツも、何度出会っても心がぱあっと開いていくように感動する。木々は意志を持って生きていると、わたしには思えた。

住宅街で、低い屋根の向こうに小さな山が見える。緑の塊を目指して歩いていくと、それは木だ。葉が茂った木が、数本か一本でもまるで山のように見えるのだ。東京の特に西側には、武蔵野の風景の面影が残っていて、屋敷林と呼ばれる古い大きなお家を囲む木がある。ケヤキの大木が敷地に並ぶのはとても迫力があるし、自然と対峙してきた人の暮らしを想像させてもくれる。

愛用している街歩き用の地図帳は、巨樹のマークが書いてある。樹齢五百年とか七百年とかになる古木が、東京のあちこちにある。それはほとんど信じられない、気が遠くなるような時間で、その木はその膨大な時間をその場所で動かずにすべての日の昼夜と天候を経験してきたのだと思うと、それだけでひれ伏したくなる。

その地図帳は、暗渠(あんきょ)や老舗や銭湯など散歩好きのツボを押さえていて、巨樹の豆知識が書いてあるのもとても重宝している(しかし、銭湯も木々も東京から失われていくものの代表だ。東京に暮らし始めてからの十数年の間にも、ずいぶん減った)。

東京に住み始めてから、植物や自然に近いところにある生活の良さを知った。花の図鑑と樹木図鑑を買い、歩いていて出会う植物の名前を少しずつ覚えた。誰かの家に大きな木や植物があるのも、心が躍る光景だった。キンモクセイやサボテンが二階の屋根まで伸びていたり、柿や夏みかんやザクロが鮮烈な色で鈴生りだったりする。

 三軒目に住んだ世田谷区の部屋の裏手は、あまり庭の手入れがされていない広くて古い家で、わたしの部屋のベランダのすぐ前に名前のわからない大きな木があった。その葉に、真夏のある日、見たことない蝶がとまっていて、一時間も動かなかった。インターネットで検索して「ミスジチョウ」だとわかった。数が少ない、と書いてあった。その木には、鳥もたくさん来た。セキレイ、シジュウカラ、オナガ……。鳥の図鑑も買った。カラスと猫のけんかも見たし、冬の日には小型の猛禽が小鳥を狩る現場まで目撃してしまった。そんなのは今までテレビでしか見たことがなかった。ノスリ、というその猛禽が振り向いたときの目の鋭さを、わたしは一生忘れないだろう。ハクビシンにもタヌキにも鉢合わせした。

「自然」は人間と関係なく昔からそこにあってほっておけばまた湧き出てくるようなイメージでとらえられていることもあるが、そうではない。東京の木々は、時代とともに減っていく一方ではなく、実は、戦後しばらくのころの写真を見ると、街路に木は少なくて風景はさびしい。空襲で焼けたせいもあるし、開発でごっそり切ってしまうことも珍しくなかった。そこから、公園や街路樹を整備し、庭に木や花を植え、それが育って、今の東京がある。植えた木々は、五十年から百年くらいで自然に近い状態になると聞いた。何十年という時間をかけて、やっとここまで東京の緑は増え、「自然」に見えるようになった。東京の美しい緑色のところ、木々やそれを取り巻く生き物たちを、失わないでほしい。

それは人間には簡単に作り出すことができないものだから。