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怪談師・深津さくらの書き下ろし怪談「引き合い」

海で感じた、説明しようのない悪寒の正体は。

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近畿地方のとある海岸にTさんが友人たちとともに降り立ったのは盛夏の午後だった。

ぎらぎらと日差しが照りつけるビーチには平日だからか海水浴客の姿は少なく、Tさんと友人たちは歓声を上げながら海に駆け込んだ。

「沖のブイまで泳ごう」

誰かがそう声を上げた。波のほとんどない穏やかな海をどんどん進み、遊泳可能エリアの端にあるブイを目指していく。

ところが、ブイが近づいてきた水中のある一点で、Tさんは説明しようのない悪寒を覚えた。あたりの空気が妙に重く、体に嫌な緊張感が走る。傍らの友人も同じ場所で「今、変じゃなかった?」と言った。けれど、あたりを見回してもなにもおかしな点はない。

「まあいいか……」

二人はなんとか納得しあい、そのまま泳ぎ続けた。しばらくして、背後で不穏な水音が響いた。振り返ると、別の友人Aが必死にもがいている。最初は冗談かと思ったが、呼びかけても返事がない。やがて彼の頭が海に沈み、また浮かび上がった。Aがいるのは、先ほどTさんたちが違和感を覚えた場所だった。

あいつ、誰よりも泳げるはずなのに……。

恐怖に突き動かされ、皆で一斉にAの元へ泳ぎ寄る。もがいていたAが必死の形相で手を伸ばしてくる。Aの体が妙に重い。しがみつかれると自分も海に沈んでしまう。Tさんは海で溺れる人間を助けることがこれほどまでに困難だとは思いもしなかった。気づくとAを助けるはずの自分たちまで溺れかけていた。その時、浜辺にいたライフセーバーが異変を察し、救助用の浮き輪を引いて泳いできた。

「これに掴(つか)まれ!」

その声に従い、Aをはじめとする数人が浮き輪を掴んだ。ライフセーバーは浜辺へと戻り、浮き輪に繋がるロープを力いっぱい引いた。だが、自分たちが掴まる浮き輪が動かない。他のライフセーバーや見知らぬ海水浴客もロープを引き始めるが、浮き輪はまるで巨大な岩のようにびくともしなかった。十人ほどが引いてようやくズリズリと動き始め、やっとの思いで浜に辿り着いた時、ライフセーバーの手のひらの皮は剥け、血が滲(にじ)んでいた。ロープを引いてくれていた人々も皆肩で息をしている。ただならぬ事態が起こっていたのだとTさんたちは改めて実感した。帰り際、Tさんは、あの妙な違和感を覚えた場所に何かあるのではないかと、カメラを取り出してシャッターを切った。ファインダー越しに見える波は相変わらず穏やかに見えた。

数日後、現像した写真を見たTさんは思わず声を上げてしまった。

太陽の光を受けて輝く海の中から、巨大な白い腕が、まるでこちらを捕らえようとするかのように突き出していたからだった。