佐藤友哉『エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室』
タイトルが格好いい作品に、無条件に心惹かれてしまう。
たとえばフィリップ・K・ディックの『流れよわが涙、と警官は言った』であるとか、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『たったひとつの冴えたやりかた』などなど、SF作品には秀逸なタイトル、そして邦題の小説が多い気がする。
以前も紹介した舞城王太郎さんの『煙か土か食い物』なんかも素晴らしい。
今回は、舞城さんとほぼ同時期にデビューした佐藤友哉さんの『エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室』について語りたい。
まずもって、タイトルが格好よすぎる。
友人らとタイトルの格好いい小説選手権のような話をする際、必ずと言っていいほど本書の名前が挙がるが、さもありなんといったところだ。
メフィスト賞を受賞したデビュー作『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』に次ぐ2作目であるこの小説は、要約して語るのがなんとも難しい物語だ。
一応ジャンルとしてはミステリに区分されているが、のちの佐藤さんの作風であるスリップストリーム的な要素がすでに感じられる。
『フリッカー式』『エナメルを塗った魂の比重』はいずれも、サリンジャーの「グラース・サーガ」に影響を受けたシリーズものであり、「鏡家サーガ」と呼ばれている。
本作にも鏡稜子という鏡家のキャラクターが登場するが、主人公ポジションかと言われると返答に困ってしまう。
コスプレ、カニバリズム、殺人、謎解きと、いくつか象徴的な要素はあれど、解説で上遠野浩平さんも書いているように、そのいずれもがメインテーマというより表層的、副次的要素のようであり、じゃあいったいどういう話なの?と問われると、とりあえずハマればハマるし合わないなら合わないからまず一回読んでみてよ、と言わざるをえない。
佐藤さんの小説としては、『灰色のダイエットコカコーラ』や『1000の小説とバックベアード』の方が好みなのだが、2000年代初頭のあの雰囲気を一番感じられるのが、この『エナメルを塗った魂の比重』である。
どこか鬱屈として、閉鎖的だったあの時代。その空気が間違いなくこの本には切り取られている。
この本が今の若い世代の方々にどのように届くのかはわからないが、かつてのぼくには、なぜだか妙に刺さってしまった。
当時はその理由がよくわからなかったが、再読してみて、自分もどこかコスプレをしている感覚があったからかもしれないな、と思った。
自分はつぎはぎのにせもので、かりそめの存在である。「本当の自分」などというものはどこにもなくて、ただすべてが何かのコピーにすぎない。
そんな感覚を漠然と抱いていたあのころの自分には、まさにこの小説はうってつけだったというわけだ。
10代のころに読んだからこそ、共鳴し記憶に残った小説だと思う。
2020年代の今、若い方が読んだらどんな感想になるのか、ぜひ聞いてみたいものだ。