自画像に現れるもの
「個展を控えていることもあり、この数週間は朝から晩までずっと制作していて。遅いときは夜11時くらいまでこもっています」と話す三澤さんのアトリエは、渋谷に位置するマンションの一室にある。
「キャンバスにジェッソ(下地剤)を何回か塗って、昨日までに乾かしておいたものにヤスリをかけて、下描きしたものに背景を塗って……といった工程に分けて、いつも同時に何枚か並行しながら作業しています」と、目下、取り組んでいるのは幾何学的な立体を組み合わせて描いた自画像のシリーズだ。デジタルの要素を感じさせる人物が、こちらの視線を柔らかく受け入れてくれるような優しい色合いで構成されている。だが、どの人物も腕を内側にぎゅっと結んだようなポーズをしていて、何か言いたげにも見える。
「絵って自分を隠せないものだなと最近よく思います。僕の中にある、出たいけど出られないという感情が自然と出ているな、と」。さらに、描かれた人物はネクタイを着けていて、何やら正装しているよう。これは、西洋の伝統的な絵画に描かれた人物が階級によって服装が異なることに着想を得ているのだという。顔は隠せても身につけているものに“出てしまう”のだ。
「社会にとらわれながら、固定観念みたいなものを必死で打破しようとする自分自身なのかもしれませんね」
概念をアップデートする
「絵画は自分の感情をフィジカルに伝える感覚があります。絵ってすぐにできるものじゃなくて、そこが面白い。自己流の独学で最初は絵筆の種類やキャンバスの違いを知るところからスタートしたのですが、絵を描き始めて3年ほど経ってようやく楽しくなってきたんですよね」
そう話す一方で、アトリエを見渡すと、先ほどの自画像とは少し異なる雰囲気の作品が置かれている。アイスクリームが溶けてしまったような、抽象画。パブリックドメイン(著作権等がない誰もが利用できる知的創作物)のデータを解体して作ったのは、架空の映画のワンシーンだ。
デジタルを使った作品と、アナログの絵。その間を緩やかに行き来するように並行して制作するのはなぜか。そこには、アート界に対する彼の思いがあるようだ。
「アート業界には、学歴重視のアカデミックで閉鎖的な空気があると感じてきました。コレクターの方々やキュレーターからよく質問されるのも、“どの美大の出身で、どのギャラリーに所属しているか?”ということです。僕は美大出身ではないので、ずっと手探りで、独学でやってきました」と三澤さんは言う。
「また、アートマーケットで価値があるとされる平面作品は、もっぱら油絵です。NFTのようなデジタル作品や、アクリル絵の具で描かれた絵は価値が低いとみなされていて。そのような固定観念を壊すことができたらと考えているんです」
三澤さんは、国内では所属するギャラリーを持たないまま、今年4月にイギリスのギャラリーへ所属が決まり、ヨーロッパでの個展が控えている。さらに今年9月には、世界的に評価の高いソウルのアートフェア〈Kiaf〉への参加も決定。日本人アーティストにとって、日本のギャラリーに所属して参加するという通例を思うと、現在の国内アートシーンでは異端とも言える動きである。
デジタルとアナログを繋ぐ表現
実は三澤さん、もともとは映像を作っていたのだそう。大学では映像を専攻し、映画作りに没頭した。「中学生のときはグラフィティを描いたり、一方で長年ブレイクダンスも続けていたり、あれこれ手を出していたタイプですね。就職を考えたときに、エンタメ業界に興味があるのかもしれないな、と選んだのが広告代理店でした」。
就職した会社で出会ったのが、新聞広告などの平面によるクリエイティブだった。「それまでは映像や舞台の演出がかっこいいと思っていたのですが、二次元の広告というものに興味を持つようになりました。そこで、街に出てスナップを撮ってみようと思い立ち、写真を始めたんです」
気づけば写真にのめり込み、次第にPhotoshopを使って制作するようになっていった。写真という要素がわからなくなるまでデータを崩していく。そして完成した一枚の“絵”を見たとき、自分がこれまでやってきたことが凝縮できたような感覚だった。「Photoshopの可能性が無限に広がっていて、デジタルの海にのみ込まれるような体験でした」。
デジタルとアナログ。今だからこそ、その間を自由に繋ぐことができたらと考える。「それは、ネットやスマホの過渡期を経験した自身と同じミレニアル世代に課せられた使命なのではないか」とも思う。柔らかな色が特徴のデジタルによる表現と、絵の具と筆を手に身体性をともないながら、デジタル的な絵画を描く表現にこだわる理由でもある。
優しい色合いが混じり合うようにデジタルとアナログを繋ぎ、自分にしかできない表現を追求している。これからの業界の在り方を変える存在になるのではないか、と期待している。