———デビュー作の前から本作の構想はあったのでしょうか?
早川千絵
『PLAN 75』の撮影に入る前、コロナ禍の際に、映像産業振興機構(VIPO)の脚本ワークショップの募集に応募しようと書き始めたのがきっかけです。子供が主人公の映画をいつか撮ってみたいと思っていたので。
———なぜ子供の映画を撮りたいと?
早川
おそらく、フキと同じくらいの年代に映画が面白いとか、ここに自分の気持ちをわかってくれる人がいる、映画を作りたいと初めて意識したからだと思います。何十年も引きずっていた、当時の自分が映画にしたいと感じたものを取り込んでいきました。
———舞台である1980年代に対してどんな印象がありますか?
早川
インターネット以前の、遠い海外に憧れがあり、すべてが明らかにされていない時代ですよね。今では問題視されるような超能力の番組もテレビで放映され、それも信じられるかもしれないという無邪気さがあったなと。
———ご自身の実体験とリンクしている部分もあるのでしょうか?
早川
父は私が19歳のときに他界したのでフキの体験とは違うけれど、10歳の頃に父が癌だと診断され、10年間闘病していたので、病棟や入院生活の光景やにおいは実体験に近いです。当時の自分が抱いたような感情をどういうストーリー、シーンだったら描けるだろうと出来事を変えながら映画にしていきました。
———当時はどんなふうに感じ、いつ頃から大人になったと思いますか?
早川
自分ではわりと大人だと感じつつ、取るに足らない存在だという意識もあって、中途半端な気持ちでした。でも、子供心に見え方が変わったのは、家族だけの世界から出て、友達の家族やほかのものを見て、完璧な大人だと思っていた両親が欠点も弱点もあることをわかり始めたときでしょうか。

———フキを演じた鈴木唯さんをオーディションで選ばれた決め手とは?
早川
何を話してどんな動きをするか予想がつかないところが魅力的で。気負いもなければ人見知りもしないし、ずっとしゃべっていて、本当に生きている人がいる!という感じがして、ずっと見ていたくなるんです。そういう主人公がいるだけで、映画は成立するんだなと思いました。
———怒りがちな母親、石田ひかりさんとの関係もリアリティがありました。
早川
つい家族にキツい物言いをしてしまう姿が、すごく自然でしたよね。比較的、優しい母親役を任されることが多かったそうで、「こういうお母さん、嬉しい」と言ってくれました(笑)。
———フキが通う英会話教室が異なる言語や表現に触れる場所であることも、彼女の変化を象徴しているなと。
早川
アメリカの大学に留学していた頃、作文の授業があったんです。2年前に亡くなった父のことを書いて発表したら、それほど親しくない同級生たちが次から次にハグをしに来て。少しびっくりしたのですが、なんだかグッときたんです。ハグをされて感情が動くという不思議な体験をしたことは投影されています。日本人とは違う感情の表現の仕方に初めて出会ったときの驚きがあったのだと思います。
———本作は第78回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されました。映画祭への思いとは?
早川
世界中から映画を愛する人が集まり映画を祝福する場であることが第一の目的で、賞は副次的なものだと捉えていますが、気が引き締まる思いです。ただ、一緒に映画を作った人たちと再会できるのは嬉しい。唯ちゃんは絶対愛されると思うので、楽しみです。