変人、フリークス、ラブドール。
文学界は何でもあり?
豊崎由美
奇書と聞いてまず思い浮かんだのは、マーク・Z・ダニエレブスキーの『紙葉の家』(1)。日本で出版されたものの中でこれ以上の奇書はありません。内容もさることながら、文字のレイアウトが凝りに凝っていたり、本の造りがすごい。
柳下毅一郎
しかも、全ページ2色刷りなんですよね。
豊崎
そうなんです。“家”っていう単語がすべて青い。外観は変化しないまま、内部が広がったり縮んだりする家が重要なモチーフとなる作品なので。
柳下
これが4600円ってあり得ない。高いと思う人もいるかもしれませんが、原価計算したら採算が合わないですよ。
豊崎
訳者の嶋田さんに聞いたら、訳者はもちろん、編集者からデザイナー、校正者、印刷所の人までみんなおかしくなりそうだったそうです。もちろん、読者もリアルに頭が変になる(笑)。
私は20日つきっきりでメモを取りながら読み通し、隠された暗号なんかを解いたんですが、こんなに一字一句逃さずこの本を読み込んだ読者は日本でも私含め10人くらいだと思います(笑)。
柳下
それは嶋田さんも嬉しかったでしょうね(笑)。
豊崎
サルバドール・プラセンシアの『紙の民』(2)のレイアウトも自由奔放です。妻に逃げられた男が土星と戦争するという話なんですが、文字がだんだん薄くなっていたり黒く塗りつぶされていたり、一つの場面で複数の人物の視点から語られるときはページのレイアウトが数段に分けられていたり。
ほかにも例えば、“機械亀”っていう可愛いキャラが登場するのですが、コンピューターで作動しているので……。
柳下
あ、言語がデジタルの0と1で書かれている(笑)。
豊崎
そうなんです。ベビー・ノストラダムスという赤ちゃんは、全知全能なんだけど、言語を知らないからイメージを描くことで語らせたり(笑)。
柳下
真実は知っているけど語れない。
豊崎
これほど変なレイアウトなのに、こんなに楽しくていいのかってくらい読みやすいんです。失恋小説としても傑作です。
柳下
『老人ホーム』(3)もレイアウトが変わっているみたいですね。
豊崎
ページ数の表記が下だけでなく上にもついているんですね。この小説は老人ホームを舞台に「親睦の夕べ」という会で9人の登場人物が同じ時間を過ごしている様子が描かれているんですが、登場人物ごとにパートが分かれていて、上のページ数表記は同じ時間の経過を示しているわけです。
例えばセーラ・ラムスンという人のパートで「チャーリー、あれ、1本わけてよ」と煙草をねだると、チャーリーのパートの同じページで「ノー、セーラ、1本もないよ、知っているくせに」と応じているという。とても立体的な作りになっているんです。特に面白いのはボケが進行しているロゼッタのパート。会話が皆無でときどき意識の中に熟語が浮かぶくらい(笑)。
柳下
うわ、真っ白なページが続くところもあるんですね(笑)。
豊崎
これは車椅子騎馬戦のシーンです。気絶したのか、死んだのか、不安になるんですよ(笑)。同じ作者の第1作『トラヴェリング・ピープル』は若島正さんが訳してくれるはずなんですが、15年くらいおあずけをくらっているのが悲しい。
柳下
まぁ、そういう変な本はだいたい若島さんが訳してますよね(笑)。
危険な海外文学に登場する
インモラルな者たち。
豊崎
内容が奇書的な小説としては、柳下さんが訳されたJ・G・バラードの『クラッシュ』(4)を挙げないわけにはいきませんね。
柳下
ありがとうございます。
豊崎
『クラッシュ』は帯にもある通り「史上初のテクノ・ポルノグラフィー」。自動車事故で瀕死の重傷を負った主人公が、ヴォーンという科学者と出会うのですが、この人が柳下さん好みの変態で(笑)。
柳下
自動車事故現場で撮った写真をコレクションしていたり、車の中で四六時中勃起していたりね。
豊崎
極めつきは彼の強迫観念の根底にある「女優エリザベス・テイラーとカーセックスをしながら衝突死を遂げたい」という性的願望(笑)。
柳下
この小説を最初に読んだ編集者は「これは完璧な異常者が書いたものだから出版してはならない」とメモ書きを残したという伝説があるんですよ。
豊崎
バラードの中でも異常度が一番高い作品なんじゃないですか?
柳下
物語が明確にある作品の中だったらそうですね。より実験性の高いものとしては『残虐行為展覧会』なんて作品もありますが。
豊崎
柳下さんが訳されたものでは、『異形の愛』(6)もかなりイッちゃってますね。背中にこぶを持つ低身長症のオリンピアをはじめ、フリークス兄妹のサーカス団の話なんですが、彼らにコンプレックスのかけらもないところがいいんです。
取材を受けたオリンピアは「願いが叶うなら心身ともに健全でありたかったか?」という質問に対し、「バッカじゃない! 家族はみんなユニークなの。あたしたちは傑作なんだよ。どうして大量生産品の仲間にならなくちゃいけないの?」って言ったり。これ復刊しないんですかね?
柳下
実は某社で話が進んでいます。
豊崎
2015年のツイッター文学賞の海外文学部門で1位を取った閻連科の『愉楽』は身体障害者しかいない村が舞台でしたが、パラリンピックなどで障害者の活躍に注目が集まっている今こそ読み返されるべき一冊ですよ。
柳下
身体障害者を扱った話だとK・W・ジーターの『ドクター・アダー』(5)もかなり危険ですね。近未来のロサンゼルスで、人体改造して身体障害者化させた娼婦を作っているアダー博士が、インモラルなものを排除しようとする連中と戦うって話ですが、内容が内容だけになかなか出版されなかったらしいです。
日本は海外奇人作家本の巣窟。
対抗し得る日本人作家は誰?
柳下
内容がインモラルすぎてなかなか出版されなかった本としては、廃棄されたセックスドールが旅に出る『オルガスマシン』(7)というのもあります。
作者であるイアン・ワトソンはかつて日本に住んでいたらしく、日本でセックスドールが流行っているからということで書いたそうですが、イギリスでは性差別的ということで受け入れられなかったという。だから、この小説はイギリス本国ではなく、邦訳版の方が先に出たんですよ。
豊崎
なぜか巻頭、巻末にセックスドールのグラビアがある(笑)。
柳下
意味不明ですよね(笑)。日本にいた危険な作家としては、かつて東京外国語大学でロシア語を教えていたウラジーミル・ソローキンもいますね。
豊崎
NHKのロシア語講座にも出ていたとか。ソローキン本人はすごいジェントルマンなんですよね。
柳下
驚くほどイケメンですしね。しかし、書く小説の中身はめちゃくちゃ。『青い脂』(8)は、ドストエフスキーやナボコフといった、ロシアの文豪のクローンがパスティーシュ、つまり彼らの作風を模倣した小説を書くと、青い脂が生産され、それを使うとタイムトラベルができるという話なのですが。
豊崎
ナボコフのパスティーシュは本人が読んだら怒るんじゃないかってくらい秀逸です。
柳下
そうですね。クローンはうまいパスティーシュが書けるまで何回も改良されるんですよ。プラトーノフとかは3号とかで簡単に書けちゃうんですが、ナボコフは難しいらしくて、クローンの号数が多い。
豊崎
そのへんはソローキン自身の作家評にもなっているような気がします。
柳下
そういえば、フルチショフとスターリンがセックスするシーンが出てくるんですが「これは怒られなかったの?」とソローキンに聞いたんですね。そしたら「怒られたよ! スターリンが“受け”なわけがないだろって」(笑)。
豊崎
ソローキンの作品では『親衛隊士の日』もヒドい。親衛隊のマッチョな連中が、自分の性器を前の人のお尻の穴に入れてムカデのように行進する描写があるんですね。「あのアイデアはすごい」とソローキンに伝えたら、「あれは事実だよ。写真も残っているよ」って(笑)。ロシア人、パねぇ!
柳下
そりゃソローキンみたいな作家も生まれますよ。
豊崎
ソローキンとは作風は全く違いますが、日本の青木淳悟もパないです。『私のいない高校』(9)は、留学生を迎えたある高校のクラスの日常を、担任である藤村先生が綴るっていう話なんですが、これが読んでいて全然楽しくないんですよ(笑)。面白くなりそうな場面もあるんですが、真面目な先生だからスルーしちゃうので、イライラさせられる。
「そこを掘り下げろよ!」って。さらに驚くべきは、この小説には元ネタがあり、しかもその内容をほぼそのまま転用してしまっているというところ。大原敏行という実在の高校教諭が留学生との日々を綴ったノンフィクション『アンネの日記 海外留学生受け入れ日誌』って本なんですが。へたしたら訴訟問題になりかねないそんな小説が三島由紀夫賞を取って、その授賞式に著者である大原先生が来たっていう、怖い本(笑)。
柳下
それはすごい(笑)。青木さんとは似てないとは思いますが、ミシェル・ウエルベックも現実とフィクションの境目がわからなくなる作品を書く人です。『地図と領土』(10)なんて、ウエルベック本人が登場しますからね。ある写真家が写真集を出版するにあたり、ウエルベックに序文を依頼するんですね。
それが縁で2人は友情関係を結ぶんですが、ひょんなことからウエルベックが大変な目に遭うって話です。どんな目に遭うかは、ネタバレになるので詳しくは言えませんが。あと、この作品はウエルベックがキャンペーン中に連絡がとれなくなって行方不明と騒がれたんですが、その話をウエルベック自身が『ミシェル・ウエルベック誘拐事件』という映画にしています。
豊崎
ウエルベックは世界の動きに本当に敏感な人。『服従』(10)は2020年のフランスに極右・国民戦線のマリーヌ・ル・ペンを破り、イスラム政権が誕生するって話ですが、実際のフランスもこのままでいくと極右政権が勝つ可能性が出てきていますもんね。
柳下
現実にはイスラム政権みたいな対抗馬がいないですからね。
豊崎
しかも、『服従』が出てすぐにシャルリ・エブド事件が起きてしまった。この人は神様にめっちゃかわいがられているか、めっちゃ嫌われているかのどっちかです(笑)。これ、本当は有名な人が翻訳したらしいですが、怖いから偽名にしているんですって。
柳下
訳者が危険な本だ(笑)。
豊崎
危険な作家としては、ロベルト・ボラーニョにも触れなくては。「はらわたリアリズムにぜひとも加わってほしいと誘われた」という唐突でキャッチーな書き出しが、日本のガイブンフリークの心を鷲掴みにした『野生の探偵たち』も捨てがたいですが、ここでは『2666』(11)を紹介します。
特に第4部がすさまじい。作中で起きる連続殺人事件の被害者のプロフィールがこれでもかってくらい描かれるんですが、ここまで立て続けに読まされると無感動になってくるんです。すごい勢いで人の生や死が消費されていくというか。本当に無残。
柳下
死の意味がなくなってくるんですよね。その羅列の仕方は、サドの『ソドムの百二十日』の拷問の記述や、さっきちょっと触れたバラードの『残虐行為展覧会』に似ていますよね。人間性を解体していく感じが。
豊崎
もちろん、ボラーニョは読んだうえで取り入れていると思います。この場面は繊細な人が読むと、鬱っぽくなるらしいです。書かれている死に方がひどいとかではないんですが、すべての死が等価にされてしまうので、自分なんかこの世にいなくてもいいんじゃないかって考えさせられてしまう。
柳下
それでいて、結構スラスラと読めますよね。
豊崎
そうなんですよ。分厚いし2段組みなのでビビっちゃう人も多いかもしれないけど、読みにくくない。
海外文学だけじゃない!
コミックにも奇書はある。
柳下
コミックの奇書ということでは、僕が訳したんですが、切り裂きジャックについて描かれた『フロム・ヘル』(12)なんかまさにそう。話としては、「ヴィクトリア女王の孫が娼婦との間に子供を作ってしまい、その事実を抹消するようウィリアム・ガルという医師が密命を受けた」っていう陰謀論に則っています。
ロンドンという町を魔術的に立ち上げるという話なんですが、ガルが論議を始めるシーンがあって、その長広舌にみんな挫折する。
豊崎
最後の方の展開も、だいぶ異常ですね。ガルは殺人者なんだけど、ウィリアム・ブレイク的な幻視者としての能力もすさまじいんです。『フロム・ヘル』はとても文字が多いコミックですが、逆に一つも文字がないのがマルク=アントワーヌ・マチューの『3秒』(13)です。サッカー界で起きた八百長スキャンダルの話ですが、リアルにめまいがしそうになる。
柳下
3秒の間に起こった出来事を目や携帯電話のカメラのレンズ、コンパクトミラーなどに映るものだけで描いてしまうんですよね。
豊崎
これは絵にしかできない表現ですよね。一度集中して読んだ時、本当に気持ち悪くなったので、再読したいとは思えないんですけど(笑)。