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いま知りたい、新世代の器作家・山田隆太郎。36.2℃、熱くなりすぎない“平熱のもの作り”

国内のみならず、海外からも注目を集める若手作家の台頭が目覚ましい。先達たちが築いてきた日用の器の美しさやアートとしての挑戦の先に、新世代の器作家たちは、いま何を考え、何に夢中になっているのか。1984年生まれの陶芸家・山田隆太郎のアトリエを訪ね、聞きました。

photo: Tetsuya Ito / text: Rie Nishikawa / edit: Tami Okano

料理家やデザイナー、アート関係者にもファンが多い山田隆太郎の器は、力強い土ものの魅力がありつつ、スタイリッシュでカッコいい。相模原にある故・青木亮の工房と窯を引き継いで、3つの薪窯と3つの灯油窯を注文や作品ごとに使い分けている。手がける器は、粉引や刷毛目をはじめ、黒釉や焼き締めなど様々。どれも見た目よりずっと軽くて扱いやすく、料理も映える。

「器を好きになったのは、黒田泰蔵さんや花岡隆さんといった、李朝の器を自分なりにアレンジし、現代に落とし込んだ作家の存在を知ったことが始まりでした。自分もその魅力を探求したいと思っています」

陶芸家・山田隆太郎のアトリエ 外観
庭で化粧土の準備をしているところ。左手にある平屋の古民家は検品や発送の場所として使っている。

そもそも山田が陶芸家を目指したきっかけは、学生時代の闘病だった。
「就職氷河期も明け、そろそろ求人が増えてきた頃に病気になり、髪がすべて抜けてしまいました。同時にパニック障害にもなって、電車に乗れずに駅のベンチで泣いていました」

そんな時に、同じバドミントン部で同級生だった妻がアートセラピーとして陶芸教室に誘ってくれたのだという。さらにアルバイト先のデザイン事務所で、雑誌の器特集を見て興味を持ち、一から学びたいと、産地の研究所に入ったという。

陶芸家・山田隆太郎の作品
粉引や刷毛目の伸びやかな碗や鉢は人気の器。特に飯碗は基本でいて奥が深い。作るのも楽しくて、一生コレだなという予感がするのだという。

「何ができるかわからないままキャリアをスタートし、ラッキーなことに何とかなっています。今は陶芸を一生続けていきたいと考えています」

焼きを極めようと、ストイックに自分を追い詰めて仕事をしていたこともあったが、今考えているのは過剰にならず、焼き物と距離を置きながら、作っていけないかということ。熱に浮かされたような情熱的な作陶とは違う。山田はそれを“平熱のもの作り”と呼ぶ。

「36度2分くらいとでも言うのでしょうか。土任せ、窯任せでもいいかなと思うようになりました。僕は陶芸家らしい陶芸家ではないし、世襲でもない。実際に工房を引き継いだ青木亮さんにもお会いしたことはありませんでした。そこに特別な思い入れはなく、作風や材料にもこだわりはありません。ただ仕事の中で、表現の濃淡を使い分けられたらいいなと思っています」

自由になったのには、時代の変化もあるかもしれない。有名人が評価した同じものを買いたい訳でも、一時期ブームとなった“丁寧な暮らし”の器が欲しい訳でもない。

「丁寧な暮らしはある種、呪いのようになっているんじゃないかと思います。僕らは、等身大で生きていくんだという揺り戻しの世代。もっと自由に器を楽しんでいければいい」

平熱だからこそ、その器はリアルな今の暮らしに寄り添ってくれる。

陶芸家・山田隆太郎のアトリエ 外観
静かな山間の一角。陶芸家・青木亮が残した登り窯の前で。移住して10年になる。