話を聞いた人:広瀬一郎(〈桃居〉店主)
作家たちが切り拓(ひら)いてきた暮らしのアート
陶磁器を中心とした近代日本の工芸は、30年くらいの周期で大きな転換期を迎え、変化しているように思います」
そう話すのは東京・西麻布にある器店〈桃居(とうきょ)〉の広瀬一郎さん。1987年に店を始めて以来、多くの作り手に信頼され、若手作家も次々発掘してきた日本の器界のご意見番だ。
「今注目されている新世代の一つ前に当たる90年代・ゼロ年代・10年代の30年間にも、工芸の大きなイノベーションがありました。まずはその流れを追ってみましょう」
そもそも工芸には、貴族に向けた美術的な工芸と、民衆のための生活的な工芸という2つの流れがあった。
「1950年代までの日本で中心となったのは、西洋の美術工芸に対するカウンターとしての工芸。日本独自の工芸を求める機運が生まれ、個人作家が登場します。続く60~80年代は、工芸が教養・文化のアイコンとなった時代。百貨店や画廊で展覧会を開くような作家の、日常とは切り離された工芸が主役でした」
日常で使う器に着目した「生活工芸」という革命
「そして90年代。文芸や現代美術、音楽の分野では、村上春樹や吉本ばなな、村上隆や奈良美智、坂本龍一などの“新世代”が次々と現れていましたが、伝統の力が強かった工芸の世界では、少し遅れて作り手や使い手の意識に変化が現れます。バブル経済が崩壊し、上昇志向の成長型から、自分たちの足元を見る成熟の時代になったんですね」
ライフスタイル誌や女性誌では、黒田泰蔵を筆頭とするモダンな陶芸家が“うつわ作家”という呼び名でフィーチャーされ、スタイリストや料理研究家といった文化の新しい担い手も、率先して彼らの器を紹介した。やがて2000年代に入ると、「生活工芸」という言葉で語られる作り手──木工作家の三谷龍二、陶芸家の安藤雅信、塗師(ぬし)の赤木明登、ガラス作家の辻和美が注目を集める。
「彼らは、現代美術や演劇、雑誌編集など、別の世界で活躍してから工芸を選んだ作り手です。その迂回する過程で、作り手としてだけでなく使い手としての感覚も養ったのでしょう。10代でデビューし、早くから海外で展覧会を開いたり古物の世界に触れたりした内田鋼一さんもそう。みな、百貨店や画廊に並ぶ工芸の中には自分たちの使いたいものがない。ならば自分たちで作ろうという発想で出発したのだと思います」
それまでの作り手と大きく違ったのは、自分が作るものを自分の言葉で発信する総合プロデュース力。
「赤木さんや三谷さんは本やエッセイを執筆。安藤さんによる〈ギャルリももぐさ〉など、美意識を伝える“場”を持ち始めたのも特徴です」
雑誌では彼らの家や食卓といった暮らしぶりが紹介され、生活の内側を充実させたいという意識を持ち始めた使い手と同期。〈桃居〉のような器ギャラリーのキュレーション力も、その機運を強く後押しした。
「この大きな波の根底には、80年代のバブル的なものに対する疑問符があったと思います。生活工芸の作り手たちも、元は百貨店や画廊に並ぶ工芸に対するアンチと言っていい。彼らのもの作りは、反権威であり、美術工芸というハイカルチャーに対するサブカルチャーです。ここ30年の流れの中で、工芸好きなら誰もが知るビッグネームになりましたが、原点は、“もっと自由なものを作り、自由に使いたい”という気持ち。だからこそ革命だったんですね」
そんなサブカルチャーとしての生活工芸を経て、では、次はどういう工芸の時代がやってくるのだろう?
デジタル時代の新しい工芸も予測
「大きな塊としてのトレンドが生まれることは、もうないように思います。僕が感じるのは、工芸という大海原の中で、いくつもの塊が島宇宙のように点在する時代。ある作風や作家に興味を持つ人が集まって一つの小宇宙が生まれるけれど、離れた場所にも別の小宇宙があり、おのおのは直接結びつくこともなく存在している。それがデジタル時代の工芸なのかな、と思います。
若い作り手と話していると、先行する作家の名前を知ることなく活動している人も、技術はYouTubeで学んだという人もいる。すごく自由です。おそらくはVRも、従来の工芸の基盤であった人間の身体性にまで入り込んでくるでしょう。先端的なテクノロジーと自分の身体性を上手に繋ぎながらものを生み出す“デジタル工芸”の作り手が出てきても不思議ではない。
それらに明確な名前を与えることはまだできませんが、今、工芸の世界に地殻変動が起こり始めているのは確実で、僕はそれをとても楽しみにしているんです」