解説:源河 亨(哲学研究者)
げんか・とおる/1985年沖縄県生まれ。九州大学大学院比較社会文化研究院准教授。専門は心の哲学、美学。著書に『知覚と判断の境界線』『感情の哲学入門講義』『悲しい曲の何が悲しいのか』『愛とラブソングの哲学』など。
様々な人格が表れる、群像劇のような歌詞
人はなぜ歌を聴くのか。その一つの答えとして、自分の気持ちを整理するためという理由が挙げられます。歌に描かれた心理や感情を自分のものとして捉えることで、置きどころのない自分の感情に居場所を与えられる。
例えば「愛」についても、近年の哲学研究では「感情」ではなく、悲しい、寂しい、嬉しい、悔しいなどの様々な感情を生み出す「核」となるものであると捉えられています。
「愛」というのはいろいろな感情や行動として表れるので、愛とはこうだ、こんな行動をしたら愛だ、というのはそう簡単にはつかめない。そうした感情の整理の手助けをしてくれるものの一つが歌です。その場合は、歌詞を自分のものとして捉えるという聴き方が一般的になります。
そのような前提を持ってMrs. GREEN APPLEの楽曲を聴いていくと、変わった特徴があることに気がつきます。それは、一つの曲の中に、様々な人格が表れるように聴けること。
一人の心情ではなく、群像劇のようにいろいろな人格が表れたり、時には神のような視点が入ってくるように聞こえたり。聴く人も一曲を通してというよりは、歌詞のフレーズのそれぞれに感情移入して聴いているのかもしれません。
1番と2番で語り手が変わるというようなことはポップスでも見かけるのですが、ミセスのような例は特別です。歌われている単語自体も必ずしも難しい言葉ではないのに、その内容は抽象度が高い。ミセスにしかない、面白い特徴だと思います。
青と夏
夏が始まった 合図がした
最初は若者が自分の気持ちを語っているのかと思っていると、サビの「夏が始まった〜」で突然、別の俯瞰した人格が表れてくるようにも聞こえる。「大人になってもきっと〜」には既に青春を過ぎた人の視点も感じますね。
ロマンチシズム
愛を愛し 恋に恋する 僕らはそうさ人間さ
この曲も最初は恋に悩んでいる渦中の恋心を歌っているようで、「愛を愛し〜」のフレーズから急にスケールが大きくなり、達観した人格の語りのようになる。少し距離をとった人物の語りのように聞けるのも面白いです。
familie
時代の車輪に 僕らが燃料となり 乗せてゆく
家族をテーマにした歌詞で、隣にいる人への愛情を歌っていたかと思うと、「時代の車輪の燃料になる」という表現が出てきて、すごいなと。一個人を超えた神のような人格が急にしゃべりだしているようで新鮮です。
ケセラセラ
ベイベー 大人になんかなるもんじゃないぞ
ツァラトゥストラ
神の視点が顕著な曲。哲学者ニーチェの著作『ツァラトゥストラ』が登場しますし、最後に神が登場して救ってくれるという構成には、古代ギリシャの悲劇の形式「デウス・エクス・マキナ」に通ずるものを感じました。