手は口ほどに #17:マグロの仲買人になった理由はシンプル、カッコいいから

働く手は、その人の仕事ぶりと生きてきた人生を、雄弁に物語る。達人、途上にある人、歩み始めた若者。いろいろな道を行く人たちの声にゆっくりと耳を傾けるポートレート&インタビュー連載。

photo: Masanori Akao / text & edit: Teruhiro Yamamoto

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築地の場外、魚河岸には仲買の店が並ぶ。そこに店を構える〈キタニ水産〉は、マグロに強い仲買として知られている。飲食店を営むプロはもちろん、自宅の食卓用に新鮮なマグロを買い求めるお客さんもやってくる。仕入れに来た料理人の常連が店前を通りがかり、「ツナプリ、今日も絶好調だね」と声をかけると、高橋李奈さんが「おはようございます」と大声で返す。

「店は4時半に出社となっていますが、いつも4時ごろには来ていますよ」。築地の朝は、早くから活気にあふれている。「そろそろマグロが届きます」とつぶやく高橋さんがエプロンの紐を締め直していると、今朝競り落とされたマグロがターレットに載せられて届く。ツナプリンセス(@tunaprincessrina)のアカウントで発信している高橋さんは、この日も、マグロの解体をインスタグラムでライブ配信し始めた。

届いた一本は、大間のマグロ。「98キロなので、それほど大きくありません」。とは言っても、まな板に載せ替えるだけでも3人がかり。尾ヒレを切ったところから指を突っ込んで、身を摘まみ出して、こねてみる。手の温度で融けていく脂の感じでマグロの良し悪しを推し量るためだ。下ろしていく途中にも、腹の厚さを触り、白さを見て、脂がのっているかどうかを確かめる。

ノコギリを入れる瞬間、目を細めて切る位置に狙いを定める高橋さんの表情は、真剣そのもの。骨の位置をイメージしながら、最小限の力で切るために、どこに刃を入れるのかを決めているのだ。まずは、身を切らないように注意して、硬い皮と骨だけをノコギリで切っていく。「大きすぎるマグロもたいへんですが、今日のように小さいものも難しい。切っているときに揺れて動くから、手に伝わってくる感覚がガンと来ない」

1メートルを超える包丁を使うときは、店長と息を合わせて2人がかり。「マグロの丸みに沿って、いちばん長い包丁で切っていくんです」。力をかけて毎日使っているからか、包丁のカーブがさらに曲がっているように見える。

さらに、太刀と呼ばれる長さ3尺(約90㎝)のマグロ包丁で部位ごとに下ろしていく。「2人で使う長い包丁は入社してすぐにやらせてもらいましたが、太刀を持たせてもらったのは5年目から」。大切な相棒となった太刀を構える高橋さんの姿が、見栄を切る歌舞伎役者のように見える。まな板に載せられたマグロの前に立ち、切れ味を確かめるように刃先に目を落とす。

高橋さんは入社して7年目。魚屋さんの家に生まれたわけでも、水産高校や大学に通っていたわけでもない。「前職はデザイン関係です」。名刺やパンフレットを作ったり、看板のデザインをしたり。「25歳で転職しました」。この仕事を選んだ理由は、じつにシンプルだった。「カッコいいと思って」。魚料理が特別に好きだったわけでもない。「むしろ、肉料理のほうが好きだったかも。魚を本気で好きになったのは、この仕事に就いてからです」

魚を扱う市場の仕事は男社会だ。マグロの解体がカッコいいと思ったときに、あちこちの仲卸業者に働きたいと電話をかけた高橋さんを、唯一、〈キタニ水産〉だけが受け入れてくれた。「入社して3週間ほどで、包丁を持たせてもらいました」。扱うマグロは一本何十万円もする大事な商品だが、練習はなくて、すぐに本番。すべての仕事は、現場で覚えさせてもらった。

築地で働く女性は少しずつ増えてきたが、いまでも、マグロの解体をしている女性はほとんどいない。それでも、「女だから不利だと思ったことはない。性格もあると思います。この仕事が本当に好きだと伝われば、可愛がってもらえますから」。そう言いながらも、高橋さんの手は止まらず働き続ける。

解体したマグロを下ろし終わると、売り場に立つ。クルクルと動く明るい表情でやり取りをしながら、お客さんの好みを聞き出していく。どんな料理に使うのか、どんな酒と合わせるのか。季節によって、獲れ高によって、産地の違うマグロが毎日のように届く。「北海道、小笠原、宮城の塩竈。同じ時季でも、味も質も変わりますから」。いまでは高橋さん自身も、料理店でマグロを食べていて、どこの産地のものかが気になってしまうほどになった。

嬉しいのは、お客さんからの声だ。「この前のマグロは美味しかったと言われると、また頑張ろうと思えます」。なかには、ツナプリンセスのインスタグラムを見て、高橋さんのファンになって通ってくれる常連もいるという。

「値段的に安くはないマグロを買っていただくわけですから、いい状態でお届けしたい」。マグロ一本から食べられるのは6割ほど、頭や骨など食べられない部分も多い。それを解体して、切り分けていく高橋さんの役目は、とても大切だ。

マグロを前にすると、包丁に沿わせる指の使い方、力の入れ方、研ぎ澄まされた感覚だけが頼りだ。イメージ通りに解体できた日には、達成感もある。ただ、思い通りに刃が入る日ばかりではない。入社して7年経ったいまも、マグロに向かうのがカッコいいという気持ちは変わっていない。想像していたよりもずっと地道で、「いつまで経っても、難しい」。だからこそ、毎朝早くから店に立ち、自分の力量を確かめるように包丁を持つ。

「店長や先輩から、仕事にゴールはないといわれました」。一本一本が異なるマグロに、同じ正解はない。目を細めながら骨の位置を思い描いた高橋さんは、息を詰めて、今日もマグロに刃を入れる。

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