大森時生『記憶の遺影』#10:誰かを救うということについて。

本当も嘘も、演出も偶然も、溶け合って綯い交ぜになって、自分にとっての「リアル」になっていく。──近年のホラーブームを牽引するテレビ東京プロデューサー・大森時生による「現実」と「虚構」の不可分な関係性、そして曖昧な記憶について綴るエッセイ。

text: Tokio Omori / photo: Masumi Ishida

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水野さんから電話が来た。原稿を送った次の日だった。「もしもし」受話器から聞こえてきた彼女の声は、昼間の会議室で聞いたときよりもずっと平坦で、どこか遠くの地層から響いているみたいだった。

「大森さん、原稿読みました。あの、スピーカーから聞こえた声のところ」そして付け加えるように「まずは、ありがとうございます。お試しだとしても書いていただけて嬉しいです」と言った。僕も「いえいえ、ありがとうございます」と返す。

電話は、会社で出た。土曜日の21時を過ぎていて、会社には人はいなかった。テレビ局もここ数年間で働き方改革は着々と進行している。それでもフロアの天井の照明は水族館みたいに幾何学的で、見渡す限り続いている。

縦の数と横の数、設置された数は簡単に割り出せる。簡単な掛け算。白い光。どれも均等な間隔で並び、どれも同じ強さでフロアを照らしていました。人が一人もいないのに、光だけは律儀にそこにあるべき場所を埋めている。そのことが、なんだかひどく贅沢で、もったいないことのように感じられた。

「天井から聞こえてきた『……上り線、渋滞のため……』っていう声。あれを読んだとき、私、自分の家の天井を思わず見てしまったんです」

「天井を、ですか?」

「すみません、野暮かもしれないですけど、どこにフィクションを入れ込んだか、聞いてもいいですか?」

「全く野暮ではないです、むしろ原稿だけ送ってしまい、すみません。プロトタイプというか、試作品として、そこについて付記するべきでしたね」

「とんでもないです、ありがとうございます」

僕は水野さんに説明した。ついでに、当時の感情についても説明した。悲しかったこと、青年期(思春期?)の自分にとって大きな出来事であったということ、それと同時に実感が湧かなかったこと、生と死には思ったより小さな川しか流れていなかったこと。人に話したことが少なかったからだろうか、言い訳みたいな接続詞を使って、次から次へと話してしまった。

耳とiPhoneの間に汗が滲んでいたから、スピーカーフォンにする。テレビ局では、たくさんテレビが並んでいる。『倍倍FIGHT!』が聞こえてくる。「誰かを救うということは過去の自分も救うことです」でも、彼女は僕の感傷的な部分には興味がなさそうだった。あくまで、どこに真実があり、どこからが虚構=フィクションなのかを判別することに注力していた。「本音と建前ない私」©CANDY TUNEだ。彼女はただ、スーパーマーケットの棚に並んだヨーグルト(牛乳でもいい)の賞味期限をひとつひとつ確かめていく人のような、淡々とした手つきで整理していた。

「『……上り線、渋滞のため……』というアナウンスが聞こえてきた、という箇所も嘘ということで認識あっていますか?」

「ええ、そうですね、ただ僕としてもそこは水野さんに意見を聞いてみたいところです。僕がいつもフェイクドキュメンタリーを作っている感覚だと、ややケレン味がありすぎる展開かもしれないという懸念はありました。葬式のスピーカーから亡くなった彼女の声がする。まあ少し留保するような文章をつけていますが、つまりはそういうことです。古くからある怪談のようなものです。

ただ、実際にあったことに付け加えるからには、それくらい何か『ベタ』なことを入れても成立するのではないか、と思ったんですよね。いつもはフェイクという前提の上で、そこにリアルを積み重ねる。でも今回はリアルの中にフェイクを入れ込む。そこの塩梅が難しかったです」

「意見を聞きたいポイントは、そのフィクションがうまくいっているかどうか、ということでしょうか?」

「うまくいっている、というのとは少し違う気がします。ただ、配置として、そこにあるべきもののように思えたか、ということかもしれません」

僕は足を組み直す。天井に目を向ける。一度も切れているのを見たことがない照明を。誰がいつこの会社のライトを替えているのだろう。深夜に脚立に上り、交換している人を想像する。グレーの作業服に首から入館証をかけている。

「配置としては、とても正しかったと思います」

水野さんは、まるで冷めたスープの表面に浮いた脂の粒を、スプーンの先で慎重に追いかけているような声で言った。

「正しすぎて、私の部屋の壁に、新しい隙間が空いたくらいですから」

「え?」と聞き返すと「冗談です」とふふっと笑い声が聞こえた。部屋の壁に空いたフィクションでも、フィクションではないものを入れる隙間。小さなカーテンでもかけた方がいいかもしれない。

「大森さん、次はもっと別のものを混ぜてみてください。悲しいとか、懐かしいとか、そういう大森さんの気持ちはどうでもいいんです。どうでもいいというと失礼ですね。ただ、その記憶が持っている形を、少しだけ歪ませるような、少しだけ鋭利なものを。どうしても触れずにはいられないような。そうすれば、もっと面白くなると思います」

テレビから流れる音が、不自然に引き延ばされ、やがて低い唸り声のような音に変わっていく。ライトと違って、壊れかけのテレビは放置される、すぐには交換されない。

「難しいことをおっしゃいますね」

「はい、すみません、でもその方がいいと思うんですよ。映像と違って、文章は、一度読んでしまうと、もう身体の中から取り出せないんです。文章を読むというのは、読み手の中で、一度立ち上げる作業をしているということですから」彼女の声は僕の耳石を叩いた。耳の穴が彼女の部屋の壁みたいに開いていく。

その夜、僕は録音アプリを開いた。開いたのは、名古屋で先輩に会った日の音声だった。録音の一覧は、思ったよりも長かった。
2025_0112_1230××××(担当しているバラエティ番組名)打ち合わせ
2025_0113_0210タクシー(日本交通株式会社)
2025_0113_1100セブンイレブン目黒碑文谷3丁目店

……並んでいる。再生する。先輩の喫茶店の雑音が入る。スプーンが皿に当たる音。遠くの席で笑う声。そして、いきなり先輩の声が始まった。「……嘘をつく人のほうが、むしろ正直なのかもしれないです」

電話を切る直前、水野さんは思いついたように聞いてきた。

「大森さん、今どこで電話されているんですか?」

「会社ですよ、どうしてですか?」

「いや背景でずっとテレビの音が聞こえるので、お仕事中だったかなと思いまして」

「いえ全然大丈夫です、会社は明るくていいです。ずっと電気が消えないので、24時間365日、水族館みたいに」

「水族館もずっとついてるんですか?」

「いえ、真っ暗な水族館って想像できなくないですか?」

「怖い、わかります。わかるかも。あれ、ついてるのが当たり前になってるのが、怖いですよね」水野さんは淡々と言って、続けた。

「私、昔、深夜の印刷所に行ったことがあるんですけど。誰もいないのに機械だけ動いてて。あれと似てる。働いてるのは、人じゃなくて、システムのほうなんだ、って感じがして」

「印刷所、いいですね」心にもないことを、言った。別に嘘でもない。相槌みたいなだ。

「先輩にもう一回会っていただいた方がいいかもしれないですね」

録音アプリの進化は著しく、文字も起こしてくれて、その精度も高い。AIが補正してくれるからだ。句読点の位置まで勝手に整えられて、僕の「えー」とか「そのー」とか、そういう余白の部分は、気づくと消されている。一方、タクシー運転手のくぐもった笑い声はそのまま残っていたりする。その差分はわからない。

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