流行写真通信 第36回:ロー・エスリッジはアメリカ的なるものへの祝福と嫌悪感を描き出す

編集者の菅付雅信が切り取るのは、広告からアートまで、変貌し続ける“今月の写真史”。写真と映像の現在進行形を確認せよ。

text: Masanobu Sugatsuke / editorial cooperation: Francys Rocha & Hinako Tsuruta for Gutenberg Orchestra

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「移動中なので、車を止めてから話をするね」と写真家はZoomの画面越しに語る。真冬のニューヨークの夜空を背景に、車の中からにこやかに話すのはロー・エスリッジ。アートとファッションを横断する注目の写真家だ。アートでは世界最大規模を誇るギャラリー帝国、ニューヨークのガゴシアン・ギャラリーでの個展を成功させ、写真集も英MACKから出版された大ヴォリュームの集大成本『American Polychronic』が話題になり、さらにファッション領域でもカルバン・クライン、バレンシアガのキャンペーンで強い印象を与えた。

そのエスリッジがこの1月後半にロンドンとマルセイユを二拠点とする写真集専門出版社ルーズ・ジョインツ/Loose Jointsより新作をまとめた『Rude in the Good Way』と初期の3作の復刻ボックスセット『In the Beginning』を同時に発売する。

ズーム越しのエスリッジはトレードマークのベースボール・キャップをかぶって写真を、そしてアメリカを巡る話を語り続ける。まるでテレビドラマで『気さくなアメリカ人写真家』というキャラクターを演じるかのように。

セルフ・ポートレイト ©Roe Ethridge 2026 courtesy Loose Joints

「家の中ではニコンの匂いがしていたんだ」とエスリッジは幼少時代を振り返る。アマチュア写真家だった父親の影響で、家の中にニコンのカメラ、たくさんのコダックのフィルム、三脚などカメラ機材が周りにある中で彼は育つ。少年時代に強い興味を持った写真家は、リー・フリードランダー(※20世紀後半のアメリカを代表する写真家。コンテンポラリー写真=コンポラ写真の筆頭。1934年〜)だったという。

「フリードランダーの写真集が家の中にあって、彼の世界の見方とその面白さに夢中になった。ユーモアというのは表現の中で大きな要素だと感じたんだ。一方で70年代から80年代の雑誌にはセクシーな広告がいっぱい掲載されていて、そこには可愛い女の子が写っていて、そういう要素は雑誌にも広告にも互いに遜色しないものだったと思う」

高校時代は漠然とアートに関心を持ちつつも、明確な将来像はなかったというエスリッジだが、そんな中でも特別な関心を持っていたのがアンディ・ウォーホルだった。

「アーティストになりたいと思っても、一体どうやってなれるんだ?と思っていたからね。アメリカ南部の中流階級の子供として、商品カタログや雑誌などのどこにでもある、一般的なイメージに囲まれて育ってきたから、ウォーホルやフリードランダーのやり方というのは、すごく合点がいくものだったんだ。彼らは形式的で、象徴的で、かつドライなユーモアの感覚があるだろう。

写真を本気でやり始めた時、実にフリードランダー的な写真を撮っていたんだ。車のバックミラーに映るものや、窓などを撮っていたんだけれど、ある時、自分がやろうとしているのはロバート・カミング(写真を使ったコンセプチュアル・アーティスト)のようなものだと自覚したんだ。

それから、コンセプチュアルな物事を記録するという考えにどっぷり浸かったね。そしてコピー機を使って、エル・グレコの『十字架のキリスト』をコピーして崩したり、それらを古い冷蔵庫のドアの上に貼って、それらを撮ったりしていたよ。

そういう行為は、写真的な行為だけれども、アンリ・カルティエ=ブレッソンが唱える『決定的瞬間』を撮影するようなものではなかった。いわば『反・決定的瞬間』と言えるものだね。僕は決定的瞬間よりも、ポップ・アート的な方法論の方に関心があって、その方法論で遊ぼうと考えたんだ」

エスリッジはフロリダ州立大学で写真を専攻。「そこで自分がやりたいものがはっきり見えてきたんだ。自分は写真やアートをやりたいと。そしてもっと真剣に写真に取り組もうと考えた」

彼は次にアトランタ美術大学へ進む。「そこには立派な図書館があって、ドイツのベッヒャー・スクールの写真家たちの写真集やジェフ・ウォール、さらにはグレゴリー・クリュードソンのなどのコンセプチュアルな写真集がたくさんあって、彼らの写真はタブロー絵画の領域へ写真を引き上げていると感じたんだ。なかでもベッヒャー・スクール、とりわけトーマス・ルフにはぞっこんだった。さらに大学の先生に写真家のロン・ジュードがいて、彼の授業を受けたんだ。彼は僕のメンターになったんだよ」

アートとしての写真を学んでいく中で、エスリッジはふたりのロール・モデルを持つようになる。ひとりは前述したウォーホル、もうひとりは写真家のアーヴィング・ペンだ。パーティ好き、有名人好きで出たがりのウォーホルと、『ヴォーグ』を軸にファッション写真を芸術の領域まで高めながらもパーティや社交の場にはほとんど姿を見せなかったペンという両極端なキャラクターを、なぜエスリッジはモデルと見做したのか。

「ふたりに共通するのは、彼らがとてもパブリックな文化の中にいたということ。彼らの作品は個人的なものではなく、ひとりのペルソナ、アーティストとして世界に関わる行為を見せていること。単に『写真を静かに撮っているんだから、放っておいてくれ』というのとは異なるもの。またそれはニューヨークならではのロマンティックな物語とも言えるね。そう、僕の写真エージェントは、僕を『パンクロック・アーヴィング・ペン』だと考えているんだ(笑)。それは正しいね」

紋切り型の古き良きアメリカ的広告のような描写、または広告的なイメージを利用して何かを加え自分の作品として提示するなど、エスリッジは広告的なマスイメージをもてあそぶ遊戯性を持っている。まるで盗用芸術/アプロプリエーション・アートの巨匠リチャード・プリンスのマルボロ広告を用いたアート作品のごとく。

一方で写真を芸術の域に引き上げたアルフレッド・スティーグリッツの崇高さにも惹かれると彼はいう。この盗用の方法論と純粋な写真芸術観という矛盾する考えを彼は自分の作品の中で結びつけようと試みている。何が彼をこの矛盾するアプローチに導くのだろうか。

「僕は常にリチャード・プリンスはクソみたいなもので見るに耐えないと思いつつも、一方で時間をかけて見直すと、『ああ、確かにこれは正しい。これが彼の人々を困惑させるやり方なんだ』とも思えるんだ。プリンスの作品はアーヴィング・ペンとはまったく遠くに位置していながらも、共にすごくアメリカ的で、象徴的なものを作っている。まさに文化と呼べるようなものを。プリンスはウォーホルがやったような方法で、匿名的なものを作っている。

一方でスティーグリッツの写真は、神聖な写真と言えるね。彼はとても実践的で、ピクトリアリズムを極端なまでに追求し、象徴的なルックを作り上げた。それはいわば人気のある古典絵画の完璧にして上位の模倣とも言える。ところがマルセル・デュシャンが登場してきたわけだ。デュシャンが芸術の歴史を全て変えてしまった。自分は写真の歴史家ではないけれど、神聖な芸術志向の写真と盗用芸術の間に自分は生きていると捉えている。それが自分の場所さ。

そして僕はスティーグリッツよりもポール・アウターブリッジ(アメリカの広告写真家。ヌード作品も多く手がけ、キッチュな作風で知られる。1896年生-1958年没)の方が好みなんだ。なぜなら彼の写真は広告的なサーヴィスでありながら、すごく形式主義で、極端にキッチュだったからね」

そう、エスリッジの写真はいわゆるアート志向の写真と比べると極めて明るいのだ。それも不気味なまでの明るさというか。それはアウターブリッジの広告写真が持っていた、登場人物がやたら微笑んでいる不自然なまでのユーフォリア=多幸症的な感覚を継承しようとしているかのように。

「僕はユーフォリア的だと考えたことはなかったけれど、それは面白い見方だし、合点がいくね。多分それは自分の中のキリスト教的な要素が反映しているのかもしれない。というのも、両親はすごく信仰深い人たちだから、家にはイコノグラフィ(図像学)的なものはあったけれど、子供としては楽しめなかったんだ。だから、広告のイメージこそが僕の教会であり、広告写真こそが僕の宗教画だったんだ。

アメリカ南部のキリスト教的価値観の家庭で育ったというのは、『私たちは幸せな家族だ』という紋切り型のイメージの中で育つようなもの。でも、人は何か幸せそうなイメージを見ると、それは単純に幸福を象徴しているのではなく、その背後にダークネスがあることを警告していることを感じるだろう。ユーフォリアというのはダークネスとの対比だからね」

アメリカ的な不気味さ、それがエスリッジの写真から強く感じるものだ。ただし、彼の場合はそこにユーモアを忍び込ませている。

「真面目ぶっている人を笑わせようとすること、それこそが僕が写真でやっていることだね。多分それは自分のためでもある。世界には面白くないこともいろいろあるけれど、僕は面白く、アイロニーなことをやりたい。僕は怠け者だし、X世代だし、インディーロック世代でもあるから。例えば、僕はマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの大ファンで、彼らはとてもシリアスで、うるさくて、しかし実に美しい。彼らはポップソングを演奏しながら、ポップソングらしからぬことをやっているんだよね。それは僕らの世代的な思考だと思うよ」

アメリカ的なイメージを発表し続けるエスリッジだが、写真集の多くはヨーロッパの出版社から出ていることを見ると、彼はヨーロッパの方が高い評価を得ているようだ。

「商業的に、それはそのとおりだと思う。アメリカは保守的でこわがりだから、ヨーロッパの市場の方が自分の作品や自分の創作人生に合っているのだと思う。でもニューヨークという街は自分にとってはとてもいいね。それは広告仕事的にもアート作品の販売的にも。自分自身をニューヨーカーだと思っているけれど、今は奇妙な時代だね。

ヨーロッパ的な視点とアメリカ的な視点はかなり違うし、ヨーロッパ人は物事をアイロニカルに、多面的なトーンで見る。僕の写真がアメリカ的な生活へのアイロニカルな視点というのは、そのとおりだ。でも単にアイロニカルなキャラクター以上のものでありたいとも思う。僕の写真を『なんてくだらない!』と思われたり、それを面白がったりしたい。典型的なアメリカ人気質以上の文化的資産は僕にはないからね。アメリカの郊外の中流家庭で育った者にはそれしかないし、それが僕のアイディンティティ。そしてそのアメリカ人気質を面白がるしかないね。いわば僕は自分自身をからかっているんだよ」

1月に発売となる写真集『Rude in the Good Way』を編集したルーズ・ジョインツのサラ・チャップリン・エスペノンは、この本の核となるテーマをこう語る。

「編集的な観点から、この『Rude~』における中心的な問いは、『イメージのなかで〈欲望〉はどのように作用しているのか』ということでした。そこには、広告やファッション、グラマーを通して投影される商業的欲望や、憧れのライフスタイルが含まれますし、同時に、エスリッジの作品にしばしば斜めから、ユーモアや軽やかさを伴って入り込んでくるエロティック/セクシュアルな欲望も含まれます。

本書は終始、『何が“rude(無作法)”とされ、何がそうではないのか』、そして『それを誰が決めているのか』という問いを投げかけ続けています。『Rude~』のなかで彼は、自身の実践の出発点をしっかりと見据えながらも、セクシュアリティ、男性性、権力、そして写真家として世界のなかに立つ自分自身の位置といった、より広いテーマと自らの仕事を融合させているのです」

©Roe Ethridge 2026 courtesy Loose Joints

広告写真とアート写真の両立。それは多くの写真家が目指すところだが、それがうまく実現できている人は極めて少ない。しかし、エスリッジはそれをやり遂げつつある。何がその成功の秘訣だろうか。

「時間はかかったけれど、広告を通してではなく、アートを通して広告に行けたことかな。それはウォーホルの逆だね。彼は広告のイラストレーターからアートの世界に行ったから。僕の写真は広告とアートのぶつかり合いだね。広告のアイデアを広告だけにしまうとか、アートのアイデアをアートだけにしまうとかせずに、世の中に出してみると、うまくいくことがある。だからこそ、僕はニューヨークにいるんだ。広告とアートのふたつのトラックを使って、それらを離陸させる。それは自分にとって刺激的なことなんだ。

アート・ギャラリーとの関係で言えば、ガゴシアン・ギャラリーでやった2006年と2008年の展示がとてもうまくいって、自分のやり方で間違ってないと思えたんだ。もしギャラリーと問題があったら、そんなのクソ喰らえだね。自分はやりたいようにやるよ。そしてファッションブランドも僕にアートのようなルックの写真を撮ってほしいと思っているんだよ」

そんなブランドとエスリッジの幸福な結婚を示す一例がバレンシアガの2025年の夏キャンペーンだろう。

「ハリウッドの特撮映画のように被写体をLEDスクリーンの前で撮ろうと決めたんだ。そしてパリの映画スタジオで撮影した。それは面白かったし、クールだったけれど大変だった。撮影は2日間にわたって、かなり疲れたけれど、こんな撮影ができて幸運だと思ったね。だって、アートの写真家だったら、こんな大きなスタジオを借りて撮影することなどないだろう?それはまさに融合だね。『これってコンセプチュアル・アート?これって広告?』とね」

編集者のサラ・チャップリン・エスペノンもエスリッジの独自のスタンスについてこう語る。

「エスリッジは、写真家としてのキャリアにおける『高次』と『低次』とされがちな要素を、あえて切り分けない独自の道筋を築いてきました。商業写真をアートとして理解しうるものとして提示し続けてきたことで、エスリッジは数十年にわたり、自身の実践を静かに、しかし確実に再領有してきたと言えるでしょう。彼の立場は、現代の写真家たちが『いま、どのような実践が可能なのか』を考えるうえで、非常に深い影響を与えてきました。

写真家のキャリアは、単線的である必要も、ジャンルごとに分断される必要もなく、複数的で流動的であっていい——そうした考え方を、エスリッジは理論ではなく実践によって示してきたのです。印象的なのは、そのイメージが放つ確信の強さです。気負いがなく、誠実で、そして驚くほど率直。過去の立場を捨て去ることで進化するのではなく、同じ問いに何度も立ち返り、その意味が時間とともに変化していくことによって、彼の実践は更新され続けているように思います」

広告のようでいてそうでなく、アートのようでいてそうでない。明るいようでどこかおぞましい。エスリッジの写真は常に観る者にある種の不気味さを与え続ける。

「そのとおりだと思う。そしてそこに意味があると思うんだ。それはとても魅力的な領域で、写真は数十年にわたって、いろんな方法でそこに辿り着いたと思う。ウィリアム・エグルストンが撮っているものも、観客から見たら『一体何を撮っているの?』と不思議に思うような、凡庸な題材ばかりだろう?普通の男性や女性がそこに立っているだけだったりするから。いわば、無だよね。でもエグルストンが撮ると、未知なるクオリティが表れる。またウジェーヌ・アジェ、フリードランダー、またはダイアン・アーバス、他にもいろいろいるけれど、写真はある種の不気味さを表現することはとてもうまくできる。映画でいうと、デヴィッド・リンチの映画もそう。リンチの映画は、人々の感情の未知なる領域との対話だよね。彼のやり方は、アメリカの退屈さやくだらなさを神秘的に見せてくれる」

©Roe Ethridge 2026 courtesy Loose Joints

今年はこの写真集の発売に始まり、展覧会などさまざまなプランが予定されているエスリッジは、広告もアートも強い一貫性を持って幅を広げているが、今後どのような方向に向かおうと考えているだろうか。

「僕の写真に強い一貫性があると言ってくれたのはとても嬉しいよ。時々自分でも自信がなくなる時があるから。これからの方向は、幅広いものになると思う。昨日、知人とスティーヴン・マイゼル(※ファッション写真家)の話になったんだ。僕はマイゼルからも大きな影響を受けていて、彼も一種の不気味な存在だよね。マイゼルは常にスタイルを変えながら写真を撮っていて、『こいつは何者だ?』という感じじゃない?さまざまな過去のイメージの模倣も意図的にやっていて、それもすごいスピードで世に放っていくから、彼に追いつくのは大変だよね。マイゼルがやっていることは『何が写真にできるか?』という僕の考えに大きな影響を与えているんだ。

僕はフィリップ=ロルカ・ディコルシア(※アートの写真家。ライトを駆使し、ドキュメンタリーと創作の交差する写真を手がける)と会った時に、『君の成功の秘訣は何?僕は何をやればいいんだろう?』と聞いたことがあって、彼は『自分自身の声を見つけて、それを使わなければいけないよ』と答えてくれたんだ。そして僕は自分には自分の声があると思えた。それもひとつの声だけじゃなく、幾つもの声があるとね。頭の中で『そうか、ではいくつもの声を使おう。それが自分らしさだ』と考えた。それは分裂症ではなくて、お笑い芸人のモノマネのような感じだね。自分の声だけれども、誰かの声を模倣するような感じと言えるかな」

「実は今年は東京に関係することが多いんだ」とエスリッジ。まだ公式に発表できないが東京で2月末に写真展をやる予定だという。そしてニューヨークのギャラリーで荒木経惟との二人展もやるという。

「エロティックな写真を撮る時、荒木は常に心の片隅に存在していたんだ。僕は荒木ほどクレイジーじゃなくて、平凡な人間だけどね」

実はこのインタビューを行ったのはアメリカ軍がベネズエラを攻撃した翌日のこと。アメリカのトランプ政権がますます帝国主義的な行為を広げる中で、アメリカ的な題材を創作の中心にするエスリッジに、アメリカという存在がどれほど彼にとって大きな主題なのか、また現在のアメリカとどう向き合おうとしているのかを伺った。

「それは複雑な問題だね。僕は愛国者だと思っているけれど、それは『リベラルな民主主義の中で』という条件付きなんだ。このトランプのクソみたいな政治の中ではなくてね。僕が生まれ育ったのは多くがトランプ的な思考をする場所で、自分たちはそれらに抗わなければいけなかった。アメリカ的な権力への反抗があるんだ。僕らには王様はいらないし、王への忠誠心もいらない。アメリカ人にとって、忠誠心の向かう先は、映画スターやスポーツ選手なんだよ。政治家ではないし、そうなるべきでもない。

今、アメリカ人のアイデンティティは混乱していると思う。僕はしょっちゅう、自分が洗練された環境の中で育ったらなと思うことがあるよ。例えば画家のアンリ・マティスのようにね。でも僕はただの郊外育ちのアメリカ人。その凡庸さを僕は愛したり、憎んだりしている。僕がつくるものは、そのアメリカの凡庸さへの祝福と嫌悪感なんだ」

©Roe Ethridge 2026 courtesy Loose Joints

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