「全てのカットが、本当に美しいものを撮っている、または、本当に畏(おそ)れながら撮っている、という感じがして、そういう意味での噓のなさに、感動しました」
これは夏編で渚を演じた河合優実が本作に寄せたコメント。特にどんなところに美しさを感じたのか。
「私が出演したところで言うと、夕日が傾く中、展望台の上で渚と夏男が並んで話すシーンですかね。三宅さんが“『このシーン観られたから、この映画観てよかった』って思うことあるじゃん?それが撮れた”とおっしゃっていました(笑)。冬編で言えば、つららが並んでいるカットも、シムさんが小屋で脚本を執筆するさまも、三宅さんや撮影の月永雄太さんが、美しさを見出してからでないと美しい画(え)を撮らない気がして、そこに噓がないなって」
自分より不幸な人なんていないって思う?
(渚)

では、コメントにある「畏れながら」とは何を意味しているのか。
「自然って怖いじゃないですか。岩肌にも深い雪にも危うさがあり、命の危険を感じるくらい高く見える波の中に、私たちは飛び込んでいくという設定。それを撮影するうえで、三宅さんたちはちゃんと畏れている。そういう姿勢がこの映画全体に美しさをもたらしているんじゃないかと思います」
東京で活動する韓国人脚本家の李(シム・ウンギョン)が、原稿用紙に文字を書き綴る姿から映画は幕を開ける。彼女が書く物語の舞台は、海に囲まれた夏の島だ。母の故郷であるこの島でぼーっとしていた夏男(髙田万作)は、浜辺で渚(河合優実)という謎めいた女と知り合う。再会を約束して別れた2人は翌日、大雨が降り注ぐ中、危うげな海水浴を楽しむ……。映画化されたこの物語をスクリーンで観ながら、李が痛感するのは自分の才能のなさだ。スランプを自覚し、雪の積もる山村へ旅に出る李。べん造(堤真一)という孤独な男が営む古びた宿に泊まることになった彼女は、彼の家族をめぐる話に耳を傾ける。そんなある夜、べん造はニシキゴイのいる池を見せるため、李を雪原へと連れ出すが……。