「自然風景の未知なる表情」。監督・三宅 唱が考える、映画『旅と日々』の美しさ

2025年8月に開催された『ロカルノ国際映画祭』のインターナショナル・コンペティション部門で、最高賞である金豹賞を受賞したのが、今最も新作が待たれる映画監督の一人、三宅唱監督作の『旅と日々』。監督、キャストの証言を手がかりに、映画の持つ美しさを探る。

photo: Hiroshi Nakamura / text: Keisuke Kagiwada

監督、三宅唱が考える、映画の美しさとは?

8月に開催されたロカルノ国際映画祭でグランプリの金豹賞を見事受賞した『旅と日々』には、映画の美しさが凝縮されている。

つげ義春の短編漫画『海辺の叙景』と『ほんやら洞のべんさん』を原作に持つ本作の主人公は、東京で暮らす韓国人脚本家の李だ。彼女が脚本化した夏の島で出会う男女の物語と、スランプに陥った李自身が自分を見つめ直すため旅する冬の雪国での体験を、映画はそれぞれ映し出していく。三宅唱監督は本作における物語の位置づけをこう語る。

「つげ義春さんの漫画の語り口はとても精緻で、同時にすごく大きい器のようだと感じました。その器の趣を損ねないまま、料理=稀有な俳優たちやロケ地をどう新鮮なまま届けるか、というのが僕たちの仕事だったと思います。器と料理に、うわあって驚けたらいいなと」

そして本作において、特に物語によって際立たせられるのは、登場人物の物言わぬ背中だ。

「これは背中を見送る映画なんだと、撮りながら思いました。出会いには必然的に別れがあり、その間に何があるかで、別れの感情が変わる。本作では、島の浜辺や東京や雪山で、見知らぬ者同士が出会い、束の間の時間を共にし、別れるまでの物語。夏には、遠くへ泳ぎ去る男の背中を浜辺から見送る場面があり、冬には主人公が宿を去る場面がある。その背中は、観客にとっても、物語を通り抜けた後だからこそ、ただの背中ではないと思うんです」

そのうえで「物語は一つだと縛られる必要はない」と三宅監督は言い添える。そのスタンスにこそ、美しい余韻の秘密がありそうだ。

「色んな場面が、新たな物語の種や芽に見えたらいいなと。夏編で言えば、女が浮気した経験をほのめかす瞬間や資料館で目にする写真の数々、冬編ではべん造が今はいない家族について語る瞬間など、そこには別の物語の予感がある。だけど、映画にはそのすべてを描かない自由もある。『旅と日々』は、既成の物語や型通りの言葉の“檻”から逃れたいと思っている脚本家が、旅先で無数の物語の芽に新たに触れ、少しずつ自由になる映画とも言える。自分も先入観や慣習的な意味づけからなるべく離れて作りたいと思ってました」

絵葉書的な美しさとは違う、自然風景の未知なる表情

出会いと別れのドラマを取り囲む2つの風景、海を望む夏の島と、雪の積もる冬の山村と向き合うにあたり心がけていたことがあったという。

「“日本らしさ”の統制的なイメージとは全く無関係に、言語化を拒(こば)むような、ただただゾクゾクするような瞬間を捉えたいと思いました」

確かに“絵葉書的な美しさ”をなぞるような映像が、本作ではまるでない。夏編でまず目を奪われるのは、そそり立つ岩肌であり、豪雨の降りしきる荒波の海である。

「絵葉書みたいな美しい風景って、それも制度的な物語でしかないので、“檻”からは逃れてなんぼ。実際の世界は、天気も人の心も常に変化している。フィッツジェラルドも言うように、崩壊過程にある。それがどうやら“生”らしいんです。本作では絵のような静止状態から、“生”がグッと動きだす瞬間に、カメラを向けたいと思っていました」

怖い話っていうより、悲しい話だと思う

(渚)
映画『旅と日々』のワンシーン
河合優実の演じる渚が、夏男と出会う浜辺に向かう道中、三宅監督いわく「ジブリ映画のような風」が、奇跡のように吹く。この風はシナリオに既に書かれていたそうだが、「本番でちゃんと吹かせてしまった河合さんは、持ってますね(笑)」と三宅監督。

発想の源となったのは、幸田文の随筆集『崩れ』だ。

「幼い頃は大きくて怖いものだと思えていた崖が、実際歩いてみると、崩れつつあってすごく弱い。にもかかわらず堂々と立っていることへの感慨が、『崩れ』には綴られています。夏編を撮った神津島は、まさに僕らが立っている土地の脆さと恐ろしさや強さを感じられるような場所でした。崖はそそり立っているし、風も波も変化するし、全然安定してない。だからこそ、全身の肌で“生きている”と感じられる場所でした」

それは不穏な夜闇の中の雪が印象に残る冬編にも当てはまる。

旅とは言葉から離れようとすることかもしれない

(李)
映画『旅と日々』のワンシーン
シム・ウンギョン演じる李が雪国で泊まるのは、堤真一の演じるべん造が営む山小屋のような宿。とある事情により家族がみんな出ていってしまったと語るべん造の身の上話を、李は適当に受け流す。2人のやりとりは、夏編のシリアスさに比して非常にコミカルだ。

「北海道生まれなので、晴れた夜の雪景色の妙な明るさだとか、漆黒の闇夜とか、凜とした静けさには馴染みがあります。つげさんも漫画のコマごとに雪の描写の表現方法を変えていて、刺激になりました。ロケ地選びも昼夜の撮影も、めちゃくちゃ寒い中でのチャレンジでしたが、地元の方がサポートしてくれたご飯がほんと幸せで、生き返りました」

美しさとは“驚き”の別名。『旅と日々』はその連続

その意味で、本作は日本の夏と冬の未知なる美しさを存分に味わえる映画になっている。しかし、三宅監督としては“美しい”より“驚き”の方が自身の感覚に近いようだ。

「人が何かを目にして美しいって口にするとき、直前に一拍あると思うんですよ。まず言葉にならない“わ……”という驚きがあって、少しして美しいという単語が後から追ってくるんじゃないか。で、その言葉じゃ物足りなくて別の言葉を探し始めたりもしますが、本作ではひとまず、言葉や意味の手前で、ずっと“わ……”とドキドキが続くような映画館体験になってほしい」

『旅と日々』(89分/'25)監督/三宅 唱
東京で活動する韓国人脚本家の李(シム・ウンギョン)が、原稿用紙に文字を書き綴る姿から映画は幕を開ける。彼女が書く物語の舞台は、海に囲まれた夏の島だ。母の故郷であるこの島でぼーっとしていた夏男(髙田万作)は、浜辺で渚(河合優実)という謎めいた女と知り合う。再会を約束して別れた2人は翌日、大雨が降り注ぐ中、危うげな海水浴を楽しむ……。映画化されたこの物語をスクリーンで観ながら、李が痛感するのは自分の才能のなさだ。スランプを自覚し、雪の積もる山村へ旅に出る李。べん造(堤真一)という孤独な男が営む古びた宿に泊まることになった彼女は、彼の家族をめぐる話に耳を傾ける。そんなある夜、べん造はニシキゴイのいる池を見せるため、李を雪原へと連れ出すが……。

三宅 唱、シム・ウンギョン、河合優実。『旅と日々』の3人が選ぶ、日本の美しい映画

TAG

SHARE ON

FEATURED MOVIES
おすすめ動画

BRUTUS
OFFICIAL SNS
ブルータス公式SNS

SPECIAL 特設サイト

FEATURED MOVIES
おすすめ動画