「芸術家と写真家に分けられるなら、自分は写真家の側にいます」と北島敬三は長野県立美術館のカフェテラスで語る。
長野県立美術館で11月29日から始まった「北島敬三写真展 借りた場所、借りた時間」(会期は2026年1月18日まで)という回顧的大型展を開催中の彼は、この展示だけでなく、1991年に撮影して当時話題を呼んだ旧ソ連の崩壊時のドキュメンタリーも11月に装いも新たに出版し、最近は〈ルイ・ヴィトン〉のリアーナを起用したキャンペーンの撮影や、アメリカのLittle Big Manからの写真集発売など、実に国際的かつ精力的な活動を見せる。
アート、ドキュメンタリーからファッションまで、日本の写真作家としては例を見ない横断性を見せる彼の写真道を伺った。

北島敬三の出発点で知られるのは、伝説的な写真学校「WORKSHOP写真学校」出身ということだ。1974年に東松照明、荒木経惟、深瀬昌久、細江英公、森山大道、横須賀功光という錚々たる講師陣を擁したこのスクールは、わずか3年の活動で幕を閉じるが、日本の写真史に大きな痕跡を残す。
「大学に入っても、将来の展望を何も持っていなかったんですよ。どういう職業に就きたいとか、エレベーター式に高校から大学となんとなく出て進んでいけば、みんなと一緒にほどほどの会社に就職するみたいな感じのイメージしかなかったんですよね。
やっぱり若い時は、自分の中のなんかたぎるものとかドロドロしたものとか処分できない気持ちとか、あるいは怒りやプライドみたいなものが出てくるじゃないですか。そういうのを抑え込むような生き方はつまんないなと思って。その時に大学をやめて写真を始めようと思ったんですね。『アサヒカメラ』でWORKSHOP写真学校の広告を見たというのが同時に起きて、それで一気にその決意をしたんですね」
北島は70年代の日本の写真の状況を振り返る。「当時、写真雑誌は写真家の発表媒体の中心だったんですよ。たくさん写真雑誌があって、『アサヒカメラ』を普通の勤め人も見ているような時代。そしてデザイナーとかカメラマンは花形の職業でしたね。なので、僕も中学から高校時代もそれらの雑誌を読んだりしてましたね。
また荒木さんの『さっちん』が太陽賞とったり(1964年)、森山大道さんの〈アクシデント〉という『アサヒカメラ』の連載(1969年)を高校時代に同時期に見ていたんですよね。自分は何も将来の展望がないと思っていた時に、『写真やってみようかな』と思うんです。しかし大学をやめてやるんだから、覚悟を決めてやる以外の道はないんですよね。そしてWORKSHOP写真学校に入ったわけです。
森山さん、荒木さんや、東松照明さんや細江英公さんも教室を持っているんですけど、森山大道を選んだってのも偶然ですね。ただ重要なことは、写真家になるという根拠のない決意だけがあったんですよね」
WORKSHOP写真学校で北島は森山大道のクラスを取る。それは森山が示す写真家像に惹かれたからだという。
「中平卓馬さんや森山さんのように、なんの目的もなく、ハンディカメラを持って街をぶらぶら歩いて、好きなものを撮ってきて自分は写真家だと言う。料理とか車を撮るとかスポーツを撮るとか被写体によって職業を分けるような写真家ではなくて。そして、何か見たことのない、いろんなことを目覚めさせるような写真を撮っている人たち。その代表が森山大道だったんです。森山大道さんがいなかったら写真家になろうとは思わなかったかもしれない。何を撮るかではなくて、どう撮るかという写真家が登場してきたわけですよ」
60年代後半から70年代にかけて、世界各地で「どう撮るか」という写真の運動が起きる。
日本では写真家の中平卓馬と高梨豊、森山大道が同人として創刊した写真雑誌『プロヴォーク』(1969年創刊)が広めた「アレ・ブレ・ボケ」と呼ばれる荒々しい手法や、70年代にアメリカで始まったウィリアム・エグルストンやスティーブン・ショアなどの「ニューカラー」という流れ、ドイツではベルント&ヒラ・ベッヒャーが76年にデュッセルドルフの美術アカデミーで指導を始め、「タイポロジー(類型学)」という写真の方法論を指導する。
つまり、世界の写真がWHAT(何を)でなくHOW(いかに)を上位に置く時代が始まった。そんな中で、北島は森山らと自主運営ギャラリー「イメージショップCAMP」を立ち上げる。

「WORKSHOP写真学校に入れば、とりあえず写真家への道が開けると思っていたんですけど、WORKSHOP写真学校は3年で終わったので、また自分はゼロなんですよ。どうやって写真家になれるのか、何をしていいかわからない。そんな時に森山さんに声をかけてもらって、スペースを持って、自分が発表したり、自分で撮ったものを販売できるような場所、拠点を持てば自分も写真家でいられるよって言われて、もう目からウロコで(笑)。それからイメージショップCAMPを一緒にやったんです。
基本的にその考え方は今も全く変わってないですね。基本は自分でやるものだと思ってるというかね。でもやはり不安になって、森山さんに『先生、どうやって食べてんですかね』と聞いたんですよ。すると『食べれないよ』と言われて、『でも先生、生きてますからね』と答えて。まあ、食べれなくても生きてんだから。俺もそうなればいいなと思って(笑)」
北島の初期の作品が今回の展示にも収められている。「アレ・ブレ・ボケ」的な荒々しい写真もある。
「私がそのWORKSHOP写真学校に入ったのは1975年なんですけど、その時にすでに『プロヴォーク』はもう休刊しているんです。森山さんも『写真よさようなら』をもう出しているわけですよ。中平さんも『来たるべき言葉のために』をもう出していて、2人とももはや『プロヴォーク』的なものを全否定していた時なんですよね。
『アレ・ブレ・ボケ』はひとつの抵抗の表現というか、闘いの表現としてあったものが、ものすごく流行のファッションになってしまった。そのブレボケが題材の事件や事故じゃなくて、手で作ったものになった。わざとフィルムを荒らすとか、暗室で焼きこむとか、見た目上の話になっちゃった。ハンドメイドの要素があると作者の意図が入っちゃうわけです。
中平さんもその暗室作業を拒否するために、あえてカラースライド・フィルムで撮って、そのままラボに入れて現像して発表するようになる。シャッターを押してフィルムをそのままラボに入れれば自分の手は入らないでしょう。そうやって彼は真っ青な空を撮って青空として出す。
森山さんはニューヨークのウィージーや、日本だと渡辺克巳が面白いっていう。彼らはストロボというマシンの光を使っていて、人間の作者の意図とか、撮影者の感情とか排除してくれると。つまり機械だけの自律した表現がありえるっていう、まあマシニズムですよね。
ブレボケというハンドメイドのエクスプレッションを吹き飛ばすのはカラースライド・フィルムによる暗室工程の全拒否や、ストロボの等価な人工光によって作者の意図を吹き飛ばすみたいな考えが立ち上がっている時に私はWORKSHOP写真学校に入ったので、ブレボケをやるつもりは、もうすでになかったんですよ」
北島は70年代にひんぱんに沖縄を訪れ、それらの写真を発表していく。
「しかし、本土と沖縄、撮る側と撮られる側という二項対立の問題が出てくるわけですよ。でも、撮る側と撮られる側という問題は、どこを撮っても同じ問題が起きるわけですね。その時に、ニューヨークだけはいいんじゃないかなと思ったんです。
映像や映画メディアを通して入ってくるニューヨークなんですけど、荒れ果てた都市の成れの果てみたいなイメージで、ビルの上は経済文化の中心だけど、地上は第三世界みたいな。1981年でかなり景気の悪い時ですね。撮る側と撮られる側、二項対立的な発想を全部ずらしてくれる力があるんじゃないかなと。
ニューヨークに移ってみると、いろんな人がいて、俺とあんまり変わんないんじゃないかみたいな(笑)。こっちも貧乏カメラマンで、街中には貧乏人もたくさんいるし、街中で倒れてる人もいるし。いちいち『お前は誰だ?私は誰だ?』状態じゃなくて。向こうも俺と同じ気持ちで歩いているかもしれないなと感じてね」
そのニューヨークの人々を捉えた鮮烈なスナップショットの写真集『New York』(白夜書房)で北島は木村伊兵衛写真賞を受賞。しかし彼は人の顔を撮るということを次のレベルに高めようと考える。白バックで白シャツの一般人のポートレイト・シリーズは、長い試行錯誤の末、1996年に発表される。同じ撮影条件下で同じ被写体を1年おきに撮り続けるという方法論も注目を集めた。
「ニューヨークの後に、東欧で撮影して、ソウルの大通りの人たちの顔のアップを撮ったりしたんですけど、ストリートスナップで街と人を撮る行為に少し限界を感じてきたんですよね。もはや、あんまり面白くないんじゃないかなと。
街の中の人の顔を撮っていたわけですけど、人の顔と風景を分けて撮ろうと思ったんです。それでポートレイト・シリーズを始めていく。だから作風がガラッと変わっているよりも分岐している感じですね。
肖像写真というのならば、ポートレイトは実はよく考えると、私が一番嫌いなメディアだったんですよ(笑)。つまり、ひとつの理想的な象徴的な図像で、その人を表すというのが肖像写真でしょう。でも、人は生まれた赤ちゃんの時から老人まで、いろんな状態があるのにひとつの肖像とは、その人のアイデンティティを強化する装置じゃないですか。それは僕が今までスナップでやってきたことと真逆のメディアですから。お葬式の時はできるだけ立派な写真を飾るみたいな制度ですよね。
肖像写真が持っている制度自体がもう恐るべき敵だなと思って。それで、肖像写真の同質の原理を全部壊そうと思って、同じ形式で何枚も撮る。一枚一枚、全部等価に撮ると。肖像写真は一枚だけの象徴性がどうしても出るけど。写真が微妙に違うだけだと困るじゃないですか。どっちの写真が「これがあなたです」と言われた時に両方あなたですよね。でも、両方あなたでもないとも言えるわけです。それが写真だから。
ポートレイト・シリーズは8×10カメラでリバーサル・フィルムで撮影しているんですね。そして、いくつも約束事を決めたんです。まず画面は横位置にしようと。縦位置だと象徴性が強くなるから。白バックで白シャツ、同じ人を1年ごとに撮る、そういう細かいことを決めて。1年目、2年目と撮っていって、『2年目の写真がダメだけど1年目がいいです』とかありえないわけですよ。趣味判断とか価値判断とか全部できないようにしているわけですから」
北島のポートレイト・シリーズを、私はトーマス・ルフのポートレイト・シリーズに匹敵するぐらい、ポートレイトの概念を変えた写真だと捉えている。それは顔を見るというよりも、圧倒的な強度を持った写真そのものを見る体験なのだ。北島はこのポートレイト・シリーズの標本的な仕上げに関して、「面白いことがつまらないというふうに感じた」とかつてインタビューで答えていたが、その意図を伺った。
「例えば新宿の真夜中の路地裏にいる、普通の人から見たら異形の人たちを撮っていると、普通の人たちには珍しいと受けるんだけれども、そのことが面白くもなんともないねと思えてきたんですよ。写真はもともとそういうふうに発達したと思うんですよ。つまり珍しいものとか、遠くのものとかを撮影して見せるみたいな。そういうのは健全な写真の力かもしれないけれども、でも自分としては、そういう面白さは飽きるんですよ。
例えば、最高の最新のファッションをして、自己アピールを自由にしている人たちがクレイジーに見えるかもしれないし、東欧の地味な人たちが珍しい人に見えるかもしれないけれど、人の見え方は相対的なものですよ。そして、人の姿に本来はない。『新宿の夜中のゲイの人たちが変な格好してるのは面白いね』という写真はつまらないなと思うし。
また僕の風景写真は意味のない場所が大事なんです。無意味に白い壁とか。意味がくじけるような要素が入っているのが大事なんですけど(笑)。意味がつまずくというかね」
今回の展示を企画した長野県立美術館の学芸員、松井正は題材や撮影スタイルが劇的に変遷する北島をどうプレゼンテーションしようと意図したのか。彼にコメントを求めた。
「本展では50年におよぶ北島氏の事績の通覧を試みる一方で、写真家を『標本的』に相対化するような展示にはしたくないという思いがありました。
特に過去の写真と現在の写真を等価なものとして読み返し、その都度、写真が包含する意味を問い直し続ける北島氏の仕事を展覧するに際して、作品を時系列に並べて見せる一般的な回顧展の形式を無批判に適用することは、ともするとその本質を見えづらくしてしまう危険をはらむものでした。そこで時系列をわずかにずらし、回帰的な展示空間を形成することによって展覧会そのものを『再読』できるようにしました。そこでは観者が北島氏と同じレイヤーに立ち、同じ驚きをもって写真に遭遇するのではないかと思います」
北島は1991年の旧ソ連の写真を11月に東京の新しい写真ギャラリー、KOSHA KOSHA AKIHABARAで展示し、写真集『USSR 1991』[新版]として出した。
「1991年のソ連を現在形で提出したいと思うし、それは『過去の私の作品』ではないんですよね。過去の写真も、現在形でいくらでも編集できるし、写真はそういうメディアなんです。ポートレイトの写真は、10年前に撮った写真が古くて、今年撮った写真が新しいってことはないじゃないですか。それで学んだことは『写真に古い写真はないんだ』ってことですね。
写真家も美術史の中に組み込まれて、タブロー的な写真を作っていくという時代があったけれども、それを僕はつまらないと思うんですよ。写真に過去・現在・未来などないし、それは写真にふさわしくない。写真史は作家史になっているじゃないですか。でも作家史になってないことが写真にはいっぱいあって、そっちの方がはるかに重要ですよ」

長野県立美術館の松井正は北島のユニークな立ち位置をこう捉える。
「日本の写真界では、ある時期以降、写真家個人のナラティヴを仮託するような写真表現が一つの大きな潮流を形成していったように思います(もちろん、そのような写真を否定したり、北島氏の写真にその種のナラティヴが全く含まれていないと断定したりする意図はありません)。
そのようななかで、写真界の主要な関心事としてはやや脇に追いやられてしまった感のある、写真メディアを扱う以上、逃れることのできない記録性の問題に正面から取り組み(そのような問題意識は、中平ら前世代の写真家から引き継がれたものでもあります)、ある時代のなかで写真がいかに抵抗力を持ち得るかを問い続ける北島氏は、歴史と対峙する手段としての写真の可能性を拓き、今日の写真の在り方をよりアクチュルなものにしているのではないかと思います」
前述したように、最近の北島はファッション写真の領域でも大活躍中だ。ルイ・ヴィトンのキャンペーンに『AnOther Man』や『ヴォーグ・ジャパン』での精力的なファッション撮影と、欧米の写真作家ではよく例があっても、日本では極めて少ないファッションとアートを横断する活動をしている。
「ファッション写真は、かなり若い頃から〈コム デ ギャルソン〉から時々頼まれていたんですね。そして、十数年前にプラダから頼まれてから増えたかな。
またニック・ヘイムズ(※英国人でロサンゼルス在住のファッション写真家。彼が主宰する写真ギャラリーのLittle Big Manから北島は写真集を出している。またヘイムズは『AnOther Man』でフォトグラフィー・ディレクターの職も手がける)との関係でやるようになってね。面白いんですけど、ファッションだから自分の写真じゃないとは言えない。でも自分の写真だと言いきれてもいない。時がきたら『これは自分の写真だな』と思うときが来るかもしれませんね。だからアルバイトです、みたいな感じで(笑)」
アルバイトとはかなり謙遜した表現に聞こえるほど、北島が撮影した〈ルイ・ヴィトン〉のリアーナは素晴らしい出来だ。
「ニックの奥さんのリナ・クツォフスカヤ(アートディレクター)から頼まれて、大変でしたけどね。ハリウッドのワーナーの撮影スタジオで170名くらいのスタッフなんです。すごいストレスだった。リアーナに5時間も待たされて。もう失敗したらどうしようと。でも、リアーナはノリが良かった方で、いい感じで撮影できましたね。しかも彼女は妊婦状態で、服はメンズ、男物だし(笑)」
アートからドキュメンタリー、そしてファッションまで横断しつつも、どれを撮っても北島敬三という鋼の一貫性がある。
「基本的には新宿2丁目を拠点に作家活動をやっているだけです(笑)。新宿2丁目って大事なんですよ。港区よりいいじゃないですか。ああいうところにいた方が、いろんなところに行きやすい。
ギャラリーや出版をインディペンデントで続けることと、〈ルイ・ヴィトン〉のような巨大メジャーと仕事をすること。北島の活動は写真が本来持っているダイナミズムを感じさせる。
「それは当たり前だと思うんですよ。私、ニューヨークに行っていたじゃないですか。当時、治安の悪いキャナルストリートのマッドクラブに行っていて、そこにメジャーのミュージシャンが来て、自分の前座を本気で探していたりとか、アンダーグラウンドとメジャーがかなり繋がっているのが分かったんですよ。
メジャーだけだったらシーンにエネルギーはないじゃない?メジャーよりもこっちにいた方が面白いじゃないかと。写真はファインアートじゃないから、いいんじゃないですか?ファッションもあるし、ファインアートだけだったら全然ボアリングですよ」
北島には「写真を面白くするために、つまらなくした」という言葉がある。しかし、それは写真が好きな人には、北島がつまらなくしたポイントがすごく面白いと思えるはずだ
「普通、面白い写真というのは、写真の属性になってしまうでしょう?有名人が写っているとか有名性の属性の価値になってしまって、写真イメージの価値とは違ってくるじゃないですか。写真イメージの価値のためには、属性の方を省かないと。だから僕の写真は一般に受けにくいんですよ。わかりにくいし。でもそれは当たり前ですよ」
北島は写真の属性を意図的に省いて、写真そのものを見せるということを意図している。
「不可能かもしれないけれど、イメージそのものを見せようと。イメージの奥底を見せられないかということですね」
今月の流行写真 TOP10
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10:髙石あかりphoto by Reiko Toyama for GINZA Jan. 2026
髙石あかりをモデルにしたファッション・ストーリーのロングショットで擬似ソフトフォーカス調な淡さがクール。
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https://ginzamag.com -
9:村越としや「星の果て 山に眠る舟」@タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー / フィルム
精緻なランドスケープを追求する村越の新作展。「凝縮された知覚の結晶、あるいは刻印」というステートメントが示す、震災後の福島のタイムレスな刻印。
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https://www.takaishiigallery.com/jp/exhibitions/photography-film/ -
8:映画『レンタル・ファミリー』監督:HIKARI
ブレンダン・フレイザー主演。東京を舞台に、冴えない米俳優がレンタル擬似家族ビジネスに加わるドラマ。空撮を多く含む躍動的なカメラワークがハリウッド映画的。
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https://www.searchlightpictures.jp/movies/rentalfamily -
7:ホンマタカシ『THIS IS NOT MY CAT』(Perimeter Books)
ホンマさんの「自分の娘じゃない」娘写真路線の継承で「自分の猫じゃない」(!?)猫写真集。かなり愛おしく撮っているが果たして。
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https://www.perimeterbooks.com/collections/all-titles/products/takashi-homma-this-is-not-my-cat -
6:Dior by Antoine & Charlie for Wallpaper Dec.2025
ビューティ・フォトグラファー・デュオのアントワーヌ&チャリーによるジョナサン・アンダーソンのディオール新作を題材にしたスティルライフ×ヌーディティの構築力。
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https://www.wallpaper.com/fashion-beauty/jonathan-anderson-dior-accessories-ss-2026 -
5:「喧騒に咲くアート」by 北島敬三 for『ヴォーグ・ジャパン』Jan. 2026
北島敬三のファッション・ストーリーは今月も登場。ストリート・スナップ的でありながらストロボ・シンクロのまばゆい光と完成度の高さ。
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https://www.vogue.co.jp/magazine -
4:Miley Cyrus by Mario Sorrenti for VOGUE France Nov. 2025
ミュージシャンのマイリー・サイラスをマリオ・ソレンティがフルヌードを含むセクシーなモード・アイコンに仕上げる。久々の仏ヴォーグ的エロティシズム。
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https://www.vogue.fr/article/interview-miley-cyrus-vogue-france-novembre-2025 -
3:Mikey Madison by Steven Meisel for VOGUE Italia Aug. 2025
映画『アノーラ』でブレイクしたぶっ飛び系女優マイキー・マディソンをスティーブン・マイゼルが往年のアーヴィング・ペンのようにクラシカルに撮影。
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https://www.vogue.it/article/mikey-madison-intervista-cover-vogue-italia-settembre-2025 -
2:畠山直哉写真集『A BIRD Blast #130』(roshin books)
畠山の名作、鉱山の爆破を至近距離で捉えた「BLAST」シリーズの、現場に紛れ込んだ鳥にフォーカスした再編集版の爆発的写真力とポエジー。
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https://roshinbooks.com/bird.html -
1:北島敬三写真集『USSR 1991』[新版](photographers’ gallery)
本文でも紹介した北島敬三の旧ソ連崩壊時のドキュメンタリーは、題材の強さと写真としての完成度が見事なケミストリー。
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https://pg-web.net/shop/photo-books/ussr1991-std/





