「僕がやっているのは冒険じゃないですから」。開口一番、八幡暁さんはそう言って、爽やかに笑った。オーストラリアから日本まで、世界最大の多島海域といわれる地域をシーカヤックで旅し、人々の暮らしを見つめてきた。その距離は1万2000kmに及ぶ。
2002年に始まった前人未到の「グレートシーマンプロジェクト」は残すところボルネオ縦断のみ。それを冒険と言わずなんと言うのか。この認識のギャップを埋めるには、八幡さんが海に出会った頃まで遡る必要がありそうだ。
東京都の郊外で生まれ育ち、都内の大学に通った。転期が訪れたのは就職活動を始める時期だった。
「本当にやりたいことって何だろう。そう思った時、子供の頃に川で魚を獲って食べてた記憶が蘇ってきた。面白かったな、でも人間って“獲って食べて”生きてきたんだよな、そういう人って、まだいるのかな……、そんなふうに考え始めて」
ある時、八丈島の海に潜って魚を突き、暮らしている漁師のことを新聞で知った。すぐに会いに行き、見よう見まねで素潜り漁を始めた。
「海があれば食っていける。それを実感すると同時に、海での暮らしは楽じゃないことも知った。人間は何万年も自然に負け続け、それでも命をつないできた。もし今もどこかにそんな営みがあるのだとしたら、それを見てみたいと思ったんです」
「グレートシーマンプロジェクト」の舞台となる地域には古くから海とともに生きる人々が暮らす。それらを訪ね、営みを知りたい。そんなふうにして旅が始まった。オーストラリアからニューギニアを目指した最初の航海では、浜に置いたカヤックを波にさらわれ、全財産を失った。
「当初はGPSや衛星電話を携行していましたが、経験を積むにつれて、どんどん自分が海で死ななくなっていく。遭難する怖さは拭えないものの、自分の能力で行けるところまで行こうと思えてきて。後半は銛と鍋釜くらいしか持たなかったな」
星や月、太陽を頼りに方角を知り、風や波から天気を予測する。腹が減れば海に潜って魚を突き、ヤシの実を飲料水にする。海上での排泄について問うと、「魚と同じく、海がトイレですよ」と返ってきた。

かつての人は全員が冒険者。失った五感を取り戻す旅
1度の旅の期間は1~2ヵ月ほど。1日40kmほど漕ぎ、“いい感じ”の島があれば上陸する。
「島の人々に歓迎されていないと感じられる時は、離れます。違法な漁とか、外の人に知られたくないことをやっているのかもしれません。ニューギニアでは蛮刀を持った男たちに威嚇されたこともありました。一番面白いのも怖いのも、人間です」
もちろん歓待されることもある。
「“こんな船で遠くから漕いできたのか⁉すげえヤツだな”と驚かれることは多いですね。腹が減ってるだろうと食べ物をもらったり、泊めてもらったり。エンジン付きの船だったら、そうはならないでしょうね。ある島では“太平洋戦争の兵隊以来の日本人が来た!”と驚かれて。日本兵から教わったというヤシの実から造った酒を飲ませてくれました」
隣り合う島でも、そこに暮らす人の生活や文化、人となりは違った。
「海の条件が変わると生活が変わり、人が変わる。厳しい海に暮らす人は高度な海洋技術を持っているけど、穏やかな海に暮らす人は、ほとんどスキルを持たない。ニューギニア南部の湿地帯では地面がほぼすべて泥で覆われていて、人々はほとんど地面に下りることなく、ツリーハウスをいくつもつなげて生活していた。どの暮らしが優れているということはなく、みんなそこで幸せに生きている。それぞれが海の環境に適応している、それだけのことなんです」

1万km以上海を漕いで知ったのはきわめてシンプルなことだった。
「人間はほかの生物同様、環境に支配され、そこに適応する。だとしたら自分が心地よい環境に身を置くのが一番幸せです。それがわかっただけで満足。かつて海に生きる民は小舟に乗って自由に海を往来していた。僕はそんな人々の行為を追体験して、当たり前の人の営みや、幸せのあり方を知っただけ。冒険だとは、まったく思っていないんです」
冒頭の言葉は謙遜ではなかった。
「僕の行為が冒険だとしたら、昔の人々は全員が冒険者だった。できるだけ便利で安全な方がいいよねって知恵を絞った結果、五感と体を使わずに生きていけるようになった。それが今の生活です。でも僕たちの中には、確かにかつての冒険者たちの能力が眠っている。掘り起こせばきっと、それが目覚めるはずです」
八幡さんの冒険を感じる旅先へ

オーストラリアの北、アラフラ海に浮かぶ離島。ジャカルタから国内線とプロペラ機を乗り継いでアクセスする。「旅行の情報が少ないので、行くだけで面白いはず。ヤシから造った酒がおいしかったな。“私はお酒が好きな日本人です”っていう言葉だけ覚えて行けば、村の人が飲ませてくれますよ」(八幡)

