“弘大今昔物語”。現地に住む文筆家に聞いた、変わっていく街の、変わらない名店

店は10年続けば老舗と呼ばれるソウルで15年、コーヒーと音楽を届け続けるお店がある。2006年から街に暮らす店主の清水博之さんが綴る、変わりながらも魅力を失わない弘大(ホンデ)の街のこと。

photo: Sungjin Chung (jaygraphy) / coordination: Seungho Heo, Chiharu Fujimoto(TANO International)

文・清水博之(文筆家、〈雨乃日珈琲店〉運営)

しみず・ひろゆき/韓国で出版される著書に『韓国タワー探究生活』ほか、連載に北陸中日新聞「雨乃日珈琲店だより」がある。

弘大で15年、珈琲店を運営している。時折韓国の人から「もう老舗ですね」と言われ、「さすがにそこまでは……」と戸惑いもするのだが、おかげさまでそれなりに常連客も多い。学生だったお客が社会人になったり、顔見知りのインディーズミュージシャンが有名人になったり、近所で見かけていた小学生やお年寄りや野良猫がいなくなったり、そんな彼らの変化に、改めて時間の長さを実感するのだった。

●清水さんのお店〈雨乃日珈琲店

弘大という街が好きだ。私が2006年から韓国に住みはじめたのも、この街に出会ってしまったから。美術で有名な弘益(ホンイク)大学を中心に広がり「弘大前(ホンデアブ)」とも呼ばれるこのエリアは、ライブハウスが集うソウル随一の街。当時は多くのアーティストがここを拠点にしていて、DIY精神あふれる個性的な店やアトリエが至るところにあった。居心地のいいカフェやバーを見つけてたびたび顔を出し、あるいはライブが終わった後にその場で始まる打ち上げに参加すれば、すぐに面白い人たちと繋がった。彼らはすさまじい瞬発力で店を開いては畳んでいて、街には自由と包容力があった。やがて音楽とコーヒーのある店を持ちたいと思った私が、弘大周辺の物件を探したのも必然だった。

そんな弘大も2010年前後からチェーン店が目に見えて増え、資本力のない個人店やアーティストの空間はそっと消えるか、まだ家賃の安い地域へ移っていった。大家の力が強い韓国では2年ごとの契約更新時に家賃がどんどん上がる。人気あるエリアならなおさらだ。2000年代はガイドブックで大きく扱われなかったこの街にも外国人観光客が集まりだし、一般住宅はより利益を生むゲストハウスへと変わっていった。私も「ゲストハウスにするから出て行ってくれ」と住んでいた家を追い出された経験がある。

コロナ禍を経てK-POP人気が上昇中の現在、弘大は明洞に次ぐ外国人観光客の聖地となり、商業的にはますます賑やかな様子を見せている。韓国の若い世代の遊び場でもあり、最新のショップも多い。近年はアニメやゲームに関連する店が増えていて、地下アイドルを標榜するパフォーマーたちも生まれつつある。

街の含蓄を感じられる、変わらないことを選んだ店

昔とはだいぶ様子が変わったが、それでも私は弘大が好きだ。突然出現した話題のエリア、いわゆるホットプレイスにはない街としての蓄積があると思う。だから当店を訪れた旅人にお勧めの店やライブ情報を聞かれたら、ついつい熱がこもってしまう。韓国の今がわかる流行りの店もいいが、それらは意外と旅人のほうが詳しい時もあり、そして数年後に存在するかどうかわからない。住民としては、変わらないスタイルを貫く「弘大らしい店」に愛着がわくし、ぜひ足を運んでほしいと思う。

賑やかなクラブ通りに2006年から存在するバー〈vinyl〉は、数席しかない小さな店で、手作り感あるインテリアは良き時代の弘大を思わせる。ミュージシャンでもあるオーナーの選曲が心地よく、バンドメンバーだけでぱんぱんになってしまう店内でライブを行ったことも。今日もロボット型の外観に明かりが灯るのを見てほっとするのだった。

●バー〈vinyl〉

夫婦が運営する料理店〈トゥリバン〉はカルグクス(うどん)を中心とする定食屋。化学調味料を使わない優しい味の料理に近隣住民が集う。2011年に都市開発による立ち退きに遭い弘大入口駅前から現在の場所に移ったのだが、ミュージシャンがライブを繰り広げ不当な立ち退きにNOを突き付けたトゥリバン闘争は、弘大を語るうえで欠かせない歴史の1ページだ。この事件を撮ったドキュメンタリー映画『パーティー51』はYouTubeでも視聴できる。

●料理店〈トゥリバン〉

焼肉屋なら〈麻浦ソグムグイ〉を勧めたい。2000年代初頭まで貨物列車も走っていた鉄道脇に位置する老舗店で、ドラム缶テーブルが良い雰囲気。本格的な炭火焼肉が楽しめるばかりでなく価格も良心的で、昔からバンドマンがここでよく打ち上げをしており、見知った顔とよく出会う。店内を闊歩(かっぽ)する野良猫に癒やされる。

●焼肉屋〈麻浦ソグムグイ〉

そのすぐ近くにある〈キム・ジンファン製菓店〉も、大好きな昔ながらのパン屋だ。ふかふか焼きたての食パンがおいしい。私などは好きすぎて、このお店の近くをグーグルマップで検索すればパンを持った私の姿が登場するほど。テレビで取り上げられたのをきっかけに突然行列ができるお店に変貌した時期もあったが、チェーン展開せず職人のおじさんがひとりでもくもくとパンを作っているのがいい。

●パン屋〈キム・ジンファン製菓店〉

最後にライブハウスを紹介したい。長きにわたりバンドを育ててきた代表的な箱に〈クラブパン〉〈FF〉〈アンプラグド〉があり、常時ライブが行われていて気軽に観ることができる。一方、前述したように個人経営の小規模ライブハウスはどんどん弘大から消え、近隣エリアへと移る傾向にある。弘大近郊でラインナップが面白いのは、駅から徒歩圏内の延南洞(ヨンナムドン)〈チャンネル1969〉や、さらに離れて加佐(カジャ)駅前の〈極楽〉。薄暗い市場の雑居ビルに突然現れる〈極楽〉は立地もインテリアも個性的で、音と居心地のよさはまさに極楽。注目のアーティストがライブを繰り広げる。

●ライブハウス〈極楽〉

2010年代初頭までの弘大のインディーズバンド全盛期と様子は違うが、商業的に成功したいくつかの中規模ホールは弘大に残り、いわゆるナンパ箱ばかりでなく音楽好きのためのクラブも健在。〈キムパブレコード〉を筆頭に代表的なレコードショップもあり、サーキット型ライブイベントが行われるなど、現在も弘大の代わりになる音楽の町はない。

いろいろ書いたが、いちどスマホをしまってあてどなく歩き、外観を見てピンと来た店、音が漏れ聞こえるライブハウスやバーに足を踏み入れてみることをお勧めしたい。弘大の夜は、いつでも旅人を受けとめてくれるはずだ。

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