戦後日本の異端を知るなら、窓を見よ。窓の在り方を意図的に操作した、村野藤吾の装飾窓

「窓を見れば建築家の個性がわかり、窓を知れば建築史の流れがわかる」と建築史家は言う。時代を変えた建築家の窓を通して、近代建築を読み解く“窓の建築史”。

text: Masae Wako / edit: Tami Okano

話を聞いた人:倉方俊輔(建築史家)

「戦後日本は窓を忘却した」と建築史家の倉方俊輔さんは言う。前川國男や丹下健三らモダニズムの旗手たちは、「“窓”ではなく開口部であるべき」と強く意識した建築を設計したからだ。そんな中で窓に注目したのが、独自の装飾性を追求した建築家、村野藤吾。

「窓が建築に個性を与えると考えた村野は、活動の最初期から窓に力を注いでいました。戦前の〈宇部市民館〉では、ガラス窓とガラスブロックを併用し、格式と先進性を両立させている。彼は、光を採り入れつつ視界を遮るガラスブロックを、日本でほぼ最初に使った人。当時の最先端素材を採用し、西洋の縦長窓にも日本の障子のようにも見える窓にしている。その巧みさに唸らされます」

山口〈宇部市民館〉外観
宇部市民館
竣工:1937年。山口県宇部市に建てられた音楽ホール。現在の名称は〈渡辺翁記念会館〉。photo/Shunsuke Kurakata
山口〈宇部市民館〉内観
煉瓦のように組んだ不透明なガラスブロックと透明なガラスを合わせ、伝統的な縦長窓のデザインに仕上げた会議室(元は貴賓室)の窓。装飾的ではあるが中央は開閉し、通風・採光の機能を果たす。現存する戦前の村野作品では最大。重要文化財。photo/Shunsuke Kurakata

〈日本橋髙島屋〉の増築では、ガラスブロックを全面に使って老舗百貨店に戦後の空気をまとわせていると同時に、旧館の窓デザインも踏襲。

「過去と現代の意匠とをシームレスにつなげ、それが表層の操作であることもあえて表現している。80年代のポストモダニズムを思わせる多義性を、高度成長期に達成している」

東京〈日本橋髙島屋 本館増築〉外観
日本橋髙島屋 本館増築
増築:1952〜65年。高橋貞太郎の設計による戦前の建物を、4度にわたり増築した。先駆的なイメージを打ち出すべく、増築部の全面にガラスブロックを採用。と同時に旧館の縦長窓を複写するように用いることで、旧館だけが古く見えることのないようにした。縦長窓は薄い被膜のように造り、表層的表現であることを見せている。photo/Shunsuke Kurakata

代表作の〈日生劇場〉では、近代建築らしからぬ石張りの外壁に、印象的な窓を整然と配置。ここが劇場であることを都市にアピールした。

「開口部とは呼べない窓を通して、劇場という機能に応えている。その建築に求められる役割にふさわしい設計を矜持(きょうじ)としていた村野は、建物に窓は不可欠であり、目を引いてしまうことを熟知したうえで、人の感情に適切に働きかける窓に意匠を凝らしたのです」

東京〈日生劇場〉外観
日生劇場
竣工:1963年。建物内部にある劇場と日本生命のオフィスとの複合ビル。東京の日比谷に建てられた戦後の近代建築でありながら、あえて石張りの外観にすることで、あたかも建物全体が劇場であるかのように見せている。外壁に並ぶ窓のデザインも重厚。人々が劇場というものに抱くイメージに、窓の表現で応えている。photo/Shunsuke Kurakata

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