作品を補足・説明するものとしてではなく、言葉自体に光が当たり、作品を体現するアートが花開いている。なぜ作家たちは、自らの表現を詩的な言葉に、そしてそれらを凝縮した「一行」に託すのだろうか。
例えば、映像やインターネットなど様々なメディアを横断して制作する布施琳太郎さん。作品に通底する現代社会の“孤独”を慈しむ詩的なアプローチは、2023年に刊行した詩集にも表れている。彼は詩の魅力を「自由さ」だと言い、「言葉を通じて、世界を組み替えたり戯れたりすることで、世界は単数ではなく複数だと気づかされる。だから、僕の活動はいつも詩を書くことから始まる」と語った。
水槽のなかの魚たちの目は
詩集『涙のカタログ』(PARCO出版)内「新しい死体」より
生きていても、死んでいても
同じように
きらきらと
ひかっているんだろうなって

《新しい死体》2022/PARCO MUSEUM TOKYO photo by 竹久直樹
また2023年、詩集『そだつのをやめる』で中原中也賞を受賞した青柳菜摘さんは、“見えない存在”を映像や言葉を用いたインスタレーションに落とし込む。以前は作品を制作する際の言語表現に苦手意識もあったという彼女だが、詩を核とする作品を作り始めたことで、言葉が生む“誤解”がイメージの攪拌(かくはん)を起こす面白さに出会ったのだそう。
木や、草や、花の種たちは
映像インスタレーション作品《方船》(2022)より
戦火にまきこまれるまえに
潮のにおいをたどって海をめざします。

《方船》2022 / 十和田市現代美術館での個展『亡船記』より(会場:田島生花店) photo by 小山田邦哉
一方、見過ごしがちな事象に目を向け、洞察に富んだ映像作品を手がける百瀬文さんは、作品の中で紡ぐ詩的な言葉を「“語られなかった者たち”から放たれ、世界の裂け目として現れるもの」と表した。
My body is my story.
映像作品《Flos Pavonis》(2021)に登場する台詞(せりふ)より

《Flos Pavonis》2021 / single channel video / 30 min / 東京都現代美術館蔵 ©Aya Momose
そして、詩人を中心とする4人で結成されたTOLTAは、現代詩や戯曲を軸に、紙片の中にとどまらず、時間や空間へと表現を広げて展開。その多彩な活動は「言葉が目的のための手段としてしか捉えられない世界は窮屈だ」との考えに立脚している。
軽やかでいて慎重、時に直截的で間接的。縦横無尽に様々に言葉を行き来して繰り出される彼らの既存の型にとらわれない表現は、私たちに詩とアートの深遠さを教えてくれる。
ずっとたのしくて、
インスタレーション作品《ロボとヒコーキ》(2019)より
おわるとさみしくなっちゃうようなあそびをしたいよ。

《ロボとヒコーキ》2019 / 東京都現代美術館『あそびのじかん』展 photo by 白井晴幸